【だらだらしたい貴族の無自覚領地改革】 ~没落した許嫁を幸せにしたいだけなのに、いつのまにか王都を凌駕する最強の聖域を作っていた件~
こてつ
第1話世界を滅ぼせる魔力で、冷えたコーラを。
「……よし、温度はマイナス四度。過冷却寸前だな」
俺――アルス・ロウランドは、自室の机の上で琥珀色の液体が満たされたグラスを眺め、満足げに頷いた。
グラスの表面には、計算され尽くした魔法による微細な結露が浮いている。
前世の知識。そして、今世で授かった「規格外」なんて言葉では生ぬるいほどの魔力。
それらを組み合わせて俺がたどり着いた至高の魔法――それは、この世界には存在しないはずの『キンキンに冷えた炭酸飲料』を完璧に再現することだった。
「ぷはぁ……。この一口のために、俺は王都の魔法試験をサボったんだ。後悔はない」
喉を焼くような刺激。これこそが至福だ。
この魔力があれば、伝説の竜を屠ることも、一晩で王国を焦土に変えることも可能だろう。
だが、そんなことに興味はない。
面倒な義務、上位貴族への媚び、不毛な戦争。そんなものは全て、魔力がないフリをしてどこかの誰かに押し付けておけばいい。
俺が欲しいのは、静かな領地での平穏と、冷えた飲み物。
そして――。
「アルス様! 大変です、リリアーヌ様が……許嫁のリリアーヌ様が、もうすぐ到着してしまいますっ!」
バタン! と乱暴に扉が開く。
慌てふためいて飛び込んできたのは、我が家に仕える隠密部隊の娘、シオンだった。
普段は鉄の仮面のような無表情な彼女が、今は珍しく眉を寄せ、通信機代わりの魔導具を握りしめている。
「……シオン。ノックは三回だ。それと、落ち着け。リリが来るのは明日のはずだろう?」
「それが……不敬な公爵家の次男フェリクスが、彼女の馬車を強引に早めさせたとの報告が。おそらく本日中に到着させ、そのまま彼女を自領へ連れ去るつもりです」
「…………」
俺は、最後の一口だったコーラを飲み干した。氷の弾ける音が、静かな部屋にやけに大きく響く。
独立の準備はまだ半分だ。世界に影響を与えすぎるからと、力は抑えてきた。だが。
「シオン。リリの馬車の位置を特定しろ」
「……既に。ここから北西、十五キロ地点です」
「わかった。十秒で終わらせてくる」
平穏な暮らしを邪魔するなら、相手が神だろうが王だろうが関係ない。
俺のチートは、愛する人を泣かせる奴を効率よく絶望させるためにあるのだから。
一歩踏み出した俺の視界は、『空間歪曲』を経て、土煙を上げる馬車の列を捉えていた。
「ははは! 逃げても無駄だぞ、リリアーヌ! 貴様の家はもう終わりだ。大人しく私の愛妾になれ!」
下卑た笑い声を上げているのは、公爵家の次男フェリクスだ。
俺の許嫁、リリの腕を乱暴に掴み、今にも馬車から引きずり出そうとしている。
「……悪いな、フェリクス様。その取引、俺が先に拒否させてもらう」
俺が音もなく馬車の屋根に降り立つと、現場の空気が一変した。
「アルス……様!?」
「貴様、なぜここに! 構わん、殺せ!」
周囲の歩兵たちが一斉に剣を抜き、俺に殺到する。
俺はため息をつき、空中に浮かぶ分子の分布を指先でなぞった。
「悪いが急いでるんだ。コーラの炭酸が抜ける前に戻りたいんでね」
指をパチンと鳴らすと、フェリクスの周囲数メートルが、目に見えない『大気の檻』に包まれた。
「な……が、は……っ!?」
突然、フェリクスが膝をついた。
やったのは単純な気圧操作だ。彼の周囲だけ気圧を数倍に高め、同時に酸素濃度を極限まで減少させた。
「……フェリクス君、そんなに顔を真っ赤にしてどうしたんだい? 酸素が欲しい?」
のたうち回るフェリクスの耳元で、俺は無慈悲に囁く。
「だったら、その酸素が君の肺の中で『猛毒(活性酸素)』に変る呪いをかけてあげようか。……リリから手を離して、這って帰るなら今すぐ止めてあげるよ」
「ひ、ひぃ、あ、がはっ……!」
窒息の恐怖と、全身をプレス機で潰されるような重圧。公爵家の次男は、一瞬で恐怖に染まり、股の間から情けない水溜まりを作って失神した。
「……掃除の時間だ、シオン」
「……御意。不浄なゴミは、速やかに投棄いたします」
俺は足元の土を魔法で再構築し、滑らかな流線形の板を作り出した。魔導式のリニアプレートだ。
「よし。これで公爵領まで『高速で滑り続ける』ように設定した。摩擦係数はほぼゼロだ。ブレーキはないから、せいぜい実家の門に突っ込むまで楽しんでくれ」
フェリクス(と、気圧差で気絶した兵士たち)を板に積み込むと、それは凄まじい風切り音と共に公爵領の方角へ射出された。文字通りの『物理的強制送還エクスパルジョン』だ。
静寂が戻る。俺は馬車の扉を開け、震えていたリリを優しく抱きしめた。
「お待たせ、リリ。……もう大丈夫だ。家に行こう。君の大好きなアップルパイ、焼き立てが待ってるよ」
「アルス様……! はい、はいっ!」
リリが俺の胸に顔を埋める。
世界を滅ぼす力も、原子を操る知識も、すべてはこの瞬間のためにある。
(シオン、後片付けは任せた。コーラのグラスは割れてないか?)
(……了解。温度維持は完璧です、主様)
こうして、俺の「だらだら平和なスローライフ」を守るための、少しばかり過激な日常が始まった。
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