2. 出逢い

 欺瞞ぎまんだらけの審判のあと、私は大聖堂前の広場に引きずり出された。広場に溢れかえった人々から、ひどい罵声が私に浴びせられる。それは、私を絶望させるのに十分だった。教団最高位の聖女が、その地位から転落して追放される。それは、聖地の退屈な人々にとって、最高の見世物でしかないのかもしれない……。


(私は今まで、この人たちを守るために、人生の全てを捧げて来た……それに対する彼らの報いが、この悪意なのね。私は一体、今まで、何のために……)


 人々から投げつけられる悪意に涙が滲む。でも、辛うじてこらえた。


(……私は……私は、絶対に泣きはしない。偽りの聖地、偽りの聖なる民になど、何の未練もないわ。私は……私はもとより、何も持たずに生まれた身。私は絶対に生き延びて、今度こそ、自分のための人生を、生きてみせる。聖女などという私を縛るだけの肩書は、もう私には、必要ない!)


 見せしめのように広場を連れ回されて向かう先は、女神ダイアの神殿だ。ここは、聖地ゼトの中心にある白い石造りの神殿で、断罪された者は皆ここで、女神に懺悔ざんげの祈りを捧げなければならない。


「罪人マリスティア。女神ダイアに、最後の祈りを」


 私を連行して来た刑吏人けいりにんの声は、喧騒でほとんど聞き取れない。白い石造りの階段を上り荘厳な列柱に囲まれた神殿内に入ると、外部の喧騒を寄せ付けない静けさが私を包んだ。


 白い神殿の最奥には、碧のツタに縁どられた麗しい泉が、常と変わらず豊かに湧き出ている。泉の中央には、女神ダイアと、その眷属けんぞくたる白蛇レヴィの水晶像が静かに佇んでいた。これこそが聖地ゼトの至宝、女神ダイアの聖なる泉だ。女神の神聖力の賜物で、この泉からは尽きることなく清水が湧きだし、聖地ゼトは下界と隔たれた断崖絶壁の上に位置しながら、豊かな水源に恵まれた肥沃な土地となっている。


 私は女神ダイアを見上げ、膝をついた。女神の伸ばした右腕には、白蛇レヴィが巻き付いている。透明或いは青い水晶で形作られたこの神秘の像は、光受けて輝く水の揺らめきを永遠に留めているかのように美しい。


「女神様……なぜ、このような欺瞞ぎまんをお許しになるのです。なぜ、あの哀れな者達を、お救いにならなかったのです! 彼らは、病に苦しむ村を救うため祈りを捧げに来た、力無き者達だったのに!!」


 3日前。処刑された二人は、ここで膝をついて祈りを捧げていたのだ。アルマンは私が彼らを手引きした、と糾弾きゅうだんしたが、それは見方によっては本当だ。サフィールの者達が、大司教の選別を経ずにこの聖地を訪れることが出来るように規則を変えたのは、他の誰でもない、この私だから。今までこの聖地には、大司教の許可した限られた者以外は、立入りすら出来なかったのだ。間違いない。大司教ゴアは、教団に邪魔な私を排除するためだけに、あの哀れなサフィールの者達を利用したのだ……。


 私は怒りと悔しさに、拳をぎゅっと握り、女神を見上げて言った。


「……サフィールの民は、我々と同じ人間です。聖地とサフィールを生きる人々に、一体何の違いがあるのでしょう! ここは、聖地などではありません……我々は、神でもなく、聖人でもないのです……そこに集うのが罪深い人間である以上、この地上に、聖地など存在しないのですわ!!」


 答えはない。私は、陽光の中で静かに微笑む女神と、その女神を愛しく見つめる白蛇レヴィに訴えた。


「女神様。わたくしは、今まで、自分の全てを犠牲にして、女神様にこの身を捧げて来ました……けれど、それももう終わりです。わたくしは、全てを失い、たった一人この聖地を出て行きます。……どうか、もしも本当に、女神の加護というものがあるのなら。これまで女神様に尽くして来たわたくしに、哀れみを下さるなら! わたくしを、お守り下さい……わたくしは、生きて、生き延びて……新たなる人生を、精一杯、生きてみせる!」


 刑吏人たちが「時間だ」と言って、私を神殿から連れ出し、罪人を運ぶラダの背に乗せた。ラダは四本足の、崖を棲み処とする頑健がんけんで忍耐強い獣。聖地ゼトから追放される罪人は、みなこのラダの背に乗せられる。行先は言われなくても分かる。聖地ゼトでの追放は、処刑と同義なのだ。


 私は縄打たれたままラダの背に乗せられ、2人の刑吏人と共に、急峻きゅうしゅんな洞窟を下って行く。聖地と外界を結ぶ道は、この険しく危険な洞窟の他に無い。


(あの者達は、どんな思いでここを通って来たのだろう……それを、あんなやり方で処刑するなんて……。大司教ゴア……そして、アルマン、ニナ!! あなた達は、いつか必ず、その行いの報いを受けるわ!!)


 洞窟を下りきると、そこはサフィール大陸だ。刑吏人二人が、洞窟の北側にある錆びた真鍮しんちゅうの扉を開ける。ギギギィ、と不吉な音がして、アーチ形の扉が開いた。


「行け、罪人よ」


 私はラダから下ろされ、刑吏人に背後から突き飛ばされる。両手を拘束されたままの私は、よろめいて膝をついた。背後で、再び金属のきしむ音と共に重い扉が閉まる。私は立った一人、灌木かんぼく生い茂る暗い原野に置き去りにされていた。


 私は絶望的な気分で立ち上がる。ここは、光の原野。ゼトの罪人の追放地で、その名とは裏腹に、赤茶色の砂地に灌木が群生する、寒々しく暗い原野だ。


「光の原野……聞いたことはあっても、実際に来たのは初めてね……。噂に聞く通り、陰気な場所だわ」


 ゼトの罪人は、全ての所持品を剥奪はくだつされて、この原野にたった一人で置き去りにされる。すると、数刻も経たずに、この原野を数多あまた徘徊している『聖獣』に食い殺される。そうすれば、その罪人の魂は女神ダイアの御許みもとに帰れるのだ……というのが、ダイア教の教えだった。追放とは名ばかりの、処刑。


「聖獣……どんな生物か想像もつかないけれど、私は丸腰なのだもの。それがどんな獣であったとしても、こちらが勝てる見込みなど無さそうね。とにかく、今すぐに逃げなければ」


 聖地ゼトでは、光の原野に関して何か知ろうとすることは、女神ダイアへの冒涜ぼうとく罪とされていた。だから私は、この原野に関する知識を何一つ持っていない。


 私は辺りに気を配って歩きつつ、身をよじる。私の両手は、体の前で拘束されたままだった。


「どうにか、この縄だけでも切りたいけれど……どこかに、尖った石か何か……」


 そう呟いた時だった。背筋に悪寒が走り、私はぎくりと足を止める。視線を感じる。それも、一つではない……。


「あれは……!!」


 黒い灌木かんぼくの枝の間に、赤く光る点がある。と思ったら、それは、獣の瞳だった。いつの間に集まって来たのだろう、私の周りの灌木の中に、何頭かの大きな黒い影が潜み、こちらを狙っている。


「あれは……あれが、本当に聖獣?! なんて禍々まがまがしい姿なの……!」


 頭が二股に分かれた巨大な獣が、灌木から何頭も姿を現わした。一つの頭に、三つの赤い目。岩をも砕きそうな大きな顎に、獲物の音を逃すまいとするピンと立った耳。体は針のような黒い剛毛に覆われ、太く短い足は、いかにも強健さを感じさせる。


 彼らは長い牙の生えた口からよだれを垂らし、私を睨んでいた。獣達は、グルルと唸ると、私を目掛けて突進してきた!


「きゃああー!!」


 逃げられるわけがないのに、私は本能的に踵を返して走っていた。だが、獰猛で巨大な獣の脚力になど、最初から敵うはずがないのだ。黒いドレスの裾が足にまとわりつき、私は乾燥した砂地に足を取られて肩から転倒してしまう。両手を拘束されているせいで、身動きも取れない。ドカッドカッという獣の足音と飢えた息遣いが、すぐ間近に迫って来る。


 食い殺される!!


 そう思ってギュッと目をつぶった私は、けれど、暫くしても、体のどこにも異変が無いことに、おそるおそる目を開ける。もしかして、痛みを感じる間もなく死んでしまったの? その時だった、私の頭上から、よく通る深みのある声が降って来たのは。


「マルセル! こちらは済んだぞ。そっちは大丈夫か?」

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2025年12月24日 18:25
2025年12月25日 07:20

水晶宮の聖女と荒野の覇王 愛崎アリサ @arisa_aisaki

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