水晶宮の聖女と荒野の覇王
愛崎アリサ
1. 聖女審判
大聖堂は、異様な興奮に包まれていた。
喪服のような黒いドレスを身に着けた私が入って行くと、群衆がどよめいた。
「来たぞ!! 聖女マリスティアだ!!」
私は喧騒の中、訳も分からないまま、中央の被告人席に連行されて行く。いつも私が祈りを捧げていた大聖堂は、今日は急ごしらえの審議場と化している……私を裁くための。天窓から光降り注ぐ審判席には、大司教を筆頭に司祭がずらりと並んでいた。
ゴア大司教が、シミだらけのたるんだ頬を揺らして木槌を打った。
「静粛に!! これより、聖女マリスティアの審判を行う!」
聖堂内が静まった。大司教が審判席中央から私に言った。
「聖女マリスティア。この度の告発について、何か申し開きをすることはあるか」
私は戸惑いつつ、首を振った。
「恐れながら、
「身に覚えがない、か。罪人らしき
審判席の右奥の扉から、一人の人物が入って来た。私のよく知るその人は、迷いのない足取りで証人席へやって来る……私は、思わず身を乗り出して叫んでいた。
「アルマン!! なぜ、あなたがここに?」
白と緑の司祭服に身を包んだ、金髪碧眼の青年アルマン。彼は、次期大司教候補の一人と噂されている人物で……私の大切な、婚約者でもあった。
アルマンは私には目もくれず、胸に手を置いて、宣誓書を読み上げる。
「宣誓。私、司祭アルマンは、自らの良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを、女神ダイアに誓います」
群衆が静まり返る。大司教がアルマンに発言を促し、彼は堂々と話し始めた。
「はい。私は、聖女マリスティアの罪を、ここに告発致します! 彼女は罪深いサフィールの民と結託し、この聖地ゼトを破滅させようとしたのです! 女神ダイアは仰いました、聖なるゼトの民は、愚かなるサフィールの民を統治すべきである、と。マリスティアは、女神の神聖力を宿した聖女でありながらその使命に背き、この聖地ゼトに大いなる災いをもたらそうとしている!」
身に覚えのない告発に、私は驚く。群衆の喧騒の中、大聖堂横の扉から、何かが運び込まれて来た。刑場の運搬人らしき二人が担いで来たのは、二本の長い棒がついた細長い台だ。私はぎくりと身を強張らせる。その台に被せられた白い布が、不吉な赤黒い色に染まっていたから。大聖堂内の人々に、異様な緊張と興奮がみなぎる。
黒いローブ姿の運搬人は、アルマンの傍までやって来た。アルマンは頷き、証人台を下りて彼らの方へ歩み寄る。そして鋭い声を張り上げて、その白い布をサッと取った。
「ご覧下さい、この罪深きサフィールの者共を!! 彼らは、この聖地ゼトの至宝、女神ダイアの泉を
群衆から悲鳴が上がった。私もまた、抗議するよりも前に、思わず悲鳴を上げて顔を覆っていた。そこに乗せられていたのは、人間の首だった……私の見知った、二人の人間の。私は、とてもそれを直視することなど出来ず、込み上げる悪心をこらえながら、その場でよろめいた。
人々の悲鳴の中、証人台に戻ったアルマンが叫んだ。
「彼らは、畏れ多くも女神ダイアの聖なる泉に毒を混入させようとしていた……そしてそれを手引きした者こそが、ここにいるマリスティアなのです!!」
群衆から、怒号と罵声が私に投げつけられる。私は縄打たれた両手で、必死に被告人席の木の台にしがみついた。そうでもしないと、驚きと混乱でどうにかなってしまいそうだ。
「一体……何を言っているの、アルマン?! 私は、そんなこと……!!」
私の声は、罵声にかき消される。大司教が、「静粛に!!」と木槌を打った。異様な熱気の中、アルマンが声を張り上げた。
「
大司教が
「ニナ!? どうして……」
オレンジ色の豊かな巻き毛に、白い肌。優秀な聖女見習い、そして私の大切な友人でもあるニナは、白いローブを揺らし、アルマンの隣に立った。
「親愛なる聖地ゼトの皆様。どうか、わたくしの訴えをお聞き下さいまし」
彼女の細い声に、聖堂内が静まる。ニナは、アルマンに寄り沿うように立ち、彼と同じく宣誓書を読み上げた後、いかにも悲しそうに言った。
「わたくしは、だから反対したのです。サフィールの民を、大司教様の審議無しに、この聖地へ入れるのはやめた方がいい、と!」
ニナは、サッと右手を上げる。その手にはガラスの小瓶があった。中に入っているのは、泡立った青紫色の液体だ。
「ご覧下さい、皆様! これは、処刑された彼らが隠し持っていた、サフィール大陸にのみ存在する毒ですわ! 彼らはわたくしたちの命の源、女神様の聖なる泉に、これを注ごうとしていたのです! こんな悪人が聖地へ入れるようになったのも、全てマリスティアのせいですわ!! 彼女さえ規則を変えなければ、こんなことには……!」
大聖堂が、怒りの叫びに包まれた。私は必死に叫ぶ。
「待って、違うわ!! 彼らは、病に苦しむ村の人々を救うために、女神ダイアに祈りを捧げていただけよ!! 毒を持っていたなんて、どうしてそんな嘘を!!」
アルマンが、私を遮って声を張り上げた。
「マリスティアは教団最高位の聖女でありながら、罪人の末裔たるサフィールの民に味方してばかりだ! 挙句の果てには我らの教義を否定し、ゼトとサフィールは、元は同じ大陸だった、我らは同じ民族だ、などと妄言を吐く始末! 彼女は、聖地を守護する自らの立場を放棄し女神の存在を否定する、裏切り者だ!!」
群衆から割れんばかりの歓声と拍手が上がった。私は身を乗り出し、必死に訴えた。
「私は、女神ダイアの存在を否定などしていないわ!! 聖女としての責務も、放棄などしていない!! けれど、サフィール大陸と聖地ゼトは、かつて本当に……」
証人席のアルマンが、初めて私を振り返り、忌々しそうに言った。
「きみの発言は、到底受け入れられない。きみがこれほど愚かな人間だと気づけなかったのは、僕の人生で最大の汚点だよ。言うまでもないことだが、きみとの婚約は、今この場で解消させてもらう。当然だろう?」
そして彼は、大司教ゴアに向き直り、背筋を伸ばして声を張り上げた。
「私、司祭アルマンは、聖女マリスティアの断罪を望みます!! 裏切り者マリスティアに、女神ダイアの裁きを!!」
大聖堂が揺れるほどの怒号と喧騒の中、私は、衛兵達に審判席の前に引きずり出された。
「待って!!! 違う……お願い、どうか、公正な審判を……!!」
私の声など、聞く者はいない。衛兵に羽交い絞めにされた私の前に、大司教と、黒い盆を持った司祭が歩んできた。私は、その盆に置かれた短く禍々しい杖を見てゾッとする。あれはダイア教の神器、封印の杖だ! ゴア大司教が杖を手に取り、高らかに宣言した。
「罪深き聖女マリスティア。そなたから、ゼトの聖女の地位と全ての力を剥奪し、聖地追放の刑に処す! 女神ダイアより賜ったその神聖力、
「やめて!! 私は、何も……きゃあああー!!!」
人々の異様な興奮の中、大司教が封印の杖で私の頭に触れた。その途端、私の全身は雷に撃たれたような激痛に襲われる。頭から下った痺れは四肢を走り、目の奥がチカチカして意識が薄れる。暗くなっていく視界の端に、これまで空色に美しく輝いていた私の髪が、あっという間に光を失って暗い紺色へと変わって行くのが見えた。
(私の髪が……私の力が、消えて行く……ああ、どうして、こんな……)
私の目の端には、私を軽蔑したように見るアルマンと……唇の端に笑みを載せたニナが映っていた。
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