第三楽章:鎮魂の交響曲(シンフォニー)


 森での生活にも慣れてきた頃。

 俺はこの「絶望の森」の支配者と対峙することになった。


 それは森の奥深く。

 巨木がなぎ倒された広場にその主はいた。


 全長5メートルを超える巨大な熊。

 全身が鋼のような剛毛に覆われ、その爪は岩をも砕く凶器だ。

 でも何よりも俺を圧倒したのはその咆哮だった。


「グオオオオオオオオオッ!!」


 空気が震える。

 物理的な音圧だけで俺の身体が吹き飛ばされそうになる。

 《硬質化》を重ねがけしてなければ鼓膜が破れてただろう。


(デカい……! あの狼とはレベルが違う!)


 俺は即座に《水刃》を放った。

 でも高圧の刃は熊の剛毛に弾かれ、浅い傷をつけただけに終わる。

 熊がこちらを向いた。

 赤い瞳。そこには理性など欠片もなく、ただ破壊への渇望だけが渦巻いてるように見えた。


ドシン、ドシン。


 熊が歩み寄ってくる。

 地面が揺れる。足元の小石が跳ねる。

 逃げ場はない。勝てるビジョンが見えない。

 圧倒的な質量(暴力)の前に小手先の技術など無意味だと突きつけられるようだ。


(くそっ、音がデカすぎる! 情報量が多すぎて解析できない!)


 俺の【表現者】の能力は万能じゃない。

 理解できない音、強大すぎる音はただのノイズとして脳を焼く。

 熊の咆哮はまさに「暴力」そのものだった。


 死ぬのか?

 せっかく生き延びる術を見つけたのに。

 いやだ。死にたくない。

 心臓が暴れる。呼吸が乱れる。手のひらに汗が滲む。


 俺は必死に耳を澄ませた。

 ノイズの奥にあるコアを探せ。

 物理的な「強さ」だけじゃない。この生物を動かしてる根本的な動機は何だ?

 ただの殺意か? 食欲か?

 違う。そんな単純な音じゃない。


……聴こえた。


 咆哮の裏側。

 破壊の音のさらに奥深く。


 『どこだ』

 『いない』

 『寂しい』

 『会いたい』


 それは泣き声だった。

 怒りではない。深い深い悲しみ。

 迷子になった子供のような、あるいは伴侶を失った老人のような、張り裂けんばかりの喪失感。


(そうか……お前、泣いてるのか)


 俺の脳裏にビジョンのようなものが浮かぶ。

 かつてこの森にはもう一頭の熊がいた。

 でも人間に狩られたのか、あるいは寿命か、今はもういない。

 残された主はその喪失を受け入れられず、森中を探し回り、見つからない悲しみを暴力として撒き散らしてるんだ。


 その感情は痛いほど俺の胸に刺さった。

 異世界に一人放り出された孤独。

 「無能」と捨てられ、誰にも必要とされない無力感。

 俺が感じてた痛みとこの熊の痛みは同じ周波数で共鳴してた。


――倒すんじゃない。


 俺の中で解釈が変わる。

 物理的な攻撃チューニングじゃこの悲しみは止められない。

 力でねじ伏せてもその心は救われない。

 ならステージを上げろ。

 感情そのものに干渉する【感情調律】だ。


 俺は《水刃》の構えを解いた。

 代わりに両手を広げる。

 無防備な姿に熊が怪訝そうに動きを止める。


「聴かせてやるよ。お前のための曲を」


 俺は森中の「優しい音」を集めた。

 木漏れ日の暖かさ。

 土の包容力。

 風の慰め。

 そして俺自身が抱える「痛みを知る者」としての共感。


 それらを編み上げ一つの旋律にする。

 攻撃的な短調マイナーから安らぎの長調メジャーへ。


「響け! 《鎮魂歌レクイエム》!」


ファァァァ……。


 俺の身体から淡い光が溢れ出した。

 それは今まで見たこともない七色に揺らめく『虹色の光』だった。

 光は波紋となって広がり、空間を満たしていく。

 音符のような光の粒子が舞い上がり、熊の周りをゆっくりと回り始める。

 そして一つひとつの光がまるで癒しの旋律を奏でるように熊の身体へと溶け込んでいった。


「グ……ゥ……」


 熊の咆哮が止まった。

 赤い瞳から狂気が消えていく。

 代わりに大粒の涙が溢れ出し地面を濡らした。


 『ありがとう』

 『少し眠るよ』

 『夢の中でなら会えるかもしれない』


 そんな"歌"が最後に聴こえた気がした。

 主はゆっくりと地面に伏せ、そのまま穏やかな寝息を立て始めた。

 長い悪夢から覚めたように。


 俺はその場にへたり込んだ。

 精神力の消耗が激しい。頭が割れるように痛い。視界が揺れる。

 でも心は澄み渡ってた。


 これだ。

 ただ敵を倒すだけじゃない。

 世界の歪みを正しあるべき形に戻す。

 痛みを理解し、その痛みを癒やす。

 それが『調律』。

 それが俺の能力の本当の意味なんだ。


 俺は初めて自分の力に誇りを感じた。

 スキルなしと蔑まれた力が、実は誰よりも温かい力だったって気づいた。

 この虹色の光は、俺が世界に贈る最初の「優しさ」だ。


 眠る主の枕元には虹色の光の余韻を受けた一輪の花が咲いてた。

 俺はそれをそっと撫でる。


「いい曲だったろ?」


 森のざわめきが拍手のように俺を包んだ。


――そして。


「うん! とっても素敵な曲だったよ、作曲家さん!」


 突然、頭上から声が降ってきた。


 俺は驚いて顔を上げる。

 そこには木の枝に腰掛けた小さな影があった。

 人の形をしてるが、背中には透き通った羽根。

 月明かりに照らされたその姿はどこか幻想的で――


(え、何あれ? 妖精?)


 小さな存在は俺に向かってニッコリと笑いかけた。

 その笑顔には子供のような無邪気さと、何か古い知恵を持つ者の深みが同居してる。


「僕はノート。この森の音楽の管理人だよ。君のことずっと見てたんだ」


 妖精――ノートと名乗った存在はふわりと宙を舞いながら俺の前に降り立った。


「作曲家さん、君はとんでもない才能を持ってるね。でもまだまだ世界の本当の"歌"は聴こえてないみたいだ」


 ノートは人差し指を立てて俺の胸を軽く突いた。


「これから面白くなるよ! 君と一緒なら世界中の"楽譜"を演奏できるかもしれない!」


(……なんだこいつ)


 俺は疲労困憊の身体を引きずって立ち上がる。


「で? お前は何者なんだ」


「だから音楽の管理人だって言ったでしょ? 君がさっき熊さんに聴かせた曲、僕もすっごく気に入ったんだ!」


 ノートはくるくると宙を舞いながら楽しそうに笑う。


「君、世界の"歌"が聴こえるんだよね? じゃあ、僕と一緒に来なよ。もっともっと面白い"歌"がたくさんあるんだから!」


「面白い"歌"?」


「うん! でも今の君じゃまだ聴こえないかな。だから僕が教えてあげる。世界の本当の"楽譜"をね!」


(……こいつ、ふざけてるようで何か知ってるな)


 俺の新しい旅はこの謎の妖精との出会いから本格的に幕を開けることになる。


 俺は立ち上がる。

 この森はもう絶望の場所じゃない。

 俺が最初にタクトを振った思い出のステージだ。


 さあ、行こう。

 森の外にはもっと広大でもっと複雑な"楽譜"が待ってるはずだ。

 世界の全てを指揮するために。

 俺の旅はここから始まる。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界の“楽譜”が聴こえる僕は、あらゆる法則を《作曲》して最強に至る 東影カドナ @Kadona

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画