第3話 珍客来訪(ちんきゃくらいほう)

「それでは、二つ目の議題にございまする」

 沢辺が、議事を進めた。

「ご世子様のご縁談についてにございまする」

 正賢がうなずき、紙をめくる。

「ご世子様と先島花坂の駒姫様とのご縁組につきましては、先の公方様よりご裁可を頂きましたが、ご薨去こうきょに伴い、一旦、裁可取り消しとなっておりまする。

 こちらについては、新公方様の将軍就任の後という事にはなりまするが、改めての申し出が必要となりまする。

 お屋形様のご見識としては、いかがでございましょうや?」

「うむ……」

 正賢は、弓削之介を見て尋ねた。

「民部少輔! おぬしは、どうじゃ?」

「は!」


 弓削之介は、考えるまでもない。

 「分家の娘」という事で、不利な面はあるのかも知れない。

 それでも、生涯の伴侶としては、駒姫しか考えられなかった。


 ふっと、胸中に、別なかおが浮かんだ。

(いやいや! ないじゃろ!)

 あわてて打ち消す。


「従前の通り、先島の駒殿を、と考えております」

 父に答えた。


「ふむ」

 正賢は、沢辺を見ると、

「沢辺! おぬしはどうか? おぬしは、そもそもは先島花坂との縁組については前向きではなかったと存じておるが?」

「はっ!」

 沢辺が答えた。

「確かに、それがし、当初は、お身内との縁組につきましては、益が乏しいかと考え賛同はいたしませぬでした。

 ただ、縁組の効果につきましては、外向きの効果と内向きの効果がございまするな? ご世子様が、そのお役目につき、かなりのやる気をお見せになられるのは、駒姫様の効果とは言えそうですな」

「ひどい言い方じゃの?」

 弓削之介が、顔をしかめると、

「事実ですからな!」

と、沢辺が澄まして返す。

 その様子を怪訝な顔で見ていた正賢であったが、

「沢辺! 弓削之介!」

と、声を荒げた。

「さっきから、おぬしらは、何じゃ? 馴れ合っておるのではあるまいの?」

「「は?」」

 沢辺と弓削之介は、怪訝な顔で正賢を見た。

「沢辺! おぬしには、このポンコツを厳しく監督訓育せよと命じたはずじゃがの?」

「はっ! むろん、お屋形様の主命、わきまえておりまする」

 沢辺は答えた。

「ただ、こちらの若君、どうも、当初思っていたお方と違いまするな? 時々、我ら重臣らの斜め上を行かれまする。

 それでいて、正鵠せいこくを大きくは外されぬ。

 それならば、自由闊達かったつにやらせて、たまに羽目を外し過ぎた時だけ雷を落とせば良いかなと、近頃は考えてございまする」

 正賢は、眇目すがめして、沢辺を見つめている。


 父と沢辺がやりあっている間に、弓削之介は、ちらっと考えた。

(なんで、あそこで、美也殿の顔が思い浮かんだんじゃ?)


 ☆  ・  ☆  ・  ☆


 なお、その駒姫であったが、先島に戻っていた。


 これが、また、話が複雑で、花坂で、祖母・慈照院じしょういんより京の公家風の花嫁修業を受けていた駒姫であったが、年末に、ばば様が、庭で転んで左肘を折って寝込んでしまったのであった。

 しかも、それが、全く何もないところで蹴躓けづまずいたとの事で、本人が、すっかり意気消沈してしまったのであった。

 さらに、ひと月近く、駒姫のねんごろな看病を受けて、

「もはや、そなたに教える事は何もない」

と言い出したのであった。


(ばば様、それは、あと数日早く言い出して下さればよろしかったのにの!)

と思う弓削之介であった。

 公方様のご生前であれば、駒姫との婚約は有効であった。

 婚約者として、江戸に出府させても、何のさわりもなかったであろう。

 そして、武家の婦女の江戸からの下向に厳しい公儀の事である。一度江戸に出府させてしまえば、婚約が取り消されても「先島へ戻せ」とはならなかったであろう……。


 そんな次第で、ばば様の教育熱は冷めてしまったのだが、ご公儀が大名諸家の縁組裁可をすべて取り消している現在、駒姫を江戸に出府させる訳にはいかない。

 駒姫は、一旦、島に帰る事になったのだった。


 ☆  ・  ☆  ・  ☆


「三つ目の議題にございまする」

 沢辺が、議事を進める。

「うむ! 三つ目のこれは、何じゃ?」

 正賢が、三たび、難しい顔をした。

「八王子岩崎家の江戸出先窓口設置の受け入れの議、何じゃ、これは?」

「それにつきましては、それがしより!」

と、弓削之介が説明を申し出ると、

「また、おぬしか!」

 正賢が、あきれ顔をした。

「昔、綱賢つなかたが刀剣にハマッて出費が目立ち意見をした事があったが……」

と、難しい顔で紙をパラパラと見て、再び弓削之介を睨んだ。

「おぬしのやる事は、桁がさらに一つ大きいではないか!」

「ははっ! 恐れ入りまする!」

と、父に頭を下げて、

「ただし、お家の収入になる議ですが?」

と、抜け目なく顔を上げた。


 八王子岩崎の議とは、つまり、八王子の義太郎ぎたろうより、花坂藩の庇護が欲しい、という依頼事であった。

 例の、お側用人・柳沢様の用水路開削事業の件である。

 八王子岩崎としては、この事業に参加したい。しかし、譜代大名・川越藩8万2千石の柳沢様と八王子岩崎家では、力に差があり過ぎる。下手をすると、完全に、柳沢様の支配下に組み入れられてしまう恐れがある。

 義太郎らとしては、川越藩の事業への参加を足掛かりに、今後、同様の土木事業を請け負いたいので、行動の自由は担保したい。

 そこで、江戸での出先窓口を花坂藩江戸屋敷に置く事で、川越藩の支配下となる事を避けたいという。

 小身代しょうしんだい同士で相身互あいみたがいという訳である。

 しかし、花坂としても、多少の家賃や仲介金が得られるばかりでなく、甲斐武田の流れを汲む技能者集団・八王子岩崎を利用しやすくなる。

 「花坂にも利がある」と弓削之介が言うのは、そういう事であった。


「う、ううむ!」

と、正賢はうなっている。

 とりあえずは、屋敷の作事に金がかかる。


 その時、広間の前の板廊下に小者が走り込んで来た。

「評定中にご無礼つかまつる!」

と、頭を下げて、沢辺の脇に駆け寄り、何事か耳打ちする。

 沢辺が顔を歪めた。

 そうして、正賢に顔を向けると、

「お屋形様。お客様でございまするぞ?」

と、告げた。

「ん? 誰じゃ、こんな江戸出府早々に?」

「それが……、」

 沢辺も戸惑い顔で、正賢に告げた。

上州じょうしゅう安中あんなか藩主、内藤正盛ないとう まさもり様と申されておられまする」


~ 第4話に続く ~

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2025年12月25日 07:05

海とブドウ Ⅱ デリカテッセン38 @Delicatessen38

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