異世界でもブラックでした。配属先は討伐部です
@yoruhanemurenai
第1話 成り上がりは、牢屋から始まる
人は、正義感だけで命を張ってはいけない。
それが、俺が人生で最後に学んだ教訓だった。
早朝の通勤ラッシュの車内は、今日もいつも通りだった。
人と人が押し合い、誰かの肘が誰かの肋骨に食い込み、
誰もが「早く降りたい」とだけ考えている、逃げ場のない箱。
そして、毎日変わらない電車の風景を観るたび憂鬱に感じてしまう。
その中で、異変は突然起きた。
「来るな! 近づくな!」
金属がぶつかる乾いた音。
続いて、女の悲鳴。
刃物を振り回す男が、車両の中央に立っていた。
誰かが非常ボタンを押したかどうかは覚えていない。
ただ、人の流れが一斉に後方へ雪崩れ、
俺の背中に、逃げる意思の重さが何度も叩きつけられた。
怖かった。逃げることに夢中になった。
正直に言えば、足が震えていた。
――それでも。
泣き声が聞こえた。
いや、聞こえてしまった。
座席の陰で、小さな子どもがしゃがみ込み、必死に耳を塞いでいた。
母親らしき人の姿は見えない。
「……っ」
考えるより先に、体が動いた。
理由なんてわからない。足はブルブル震え、緊迫感で心臓の鼓音が身体全体を響き渡す。
ただ、そのまま見捨てて生き残れるほど、俺は器用な人間じゃなかった。
子どもの前に立つ。
男がこちらを見る。
一瞬、目が合った。
その瞬間、理解した。
――あ、これ、助からないな。
衝撃は思ったよりも軽かった。
鈍い音と共に、腹部に熱が広がった。
痛みは、すぐには来なかった。
代わりに、力が抜けていく。
足が、言うことを聞かない。
膝が折れ、世界が斜めになる。
息が詰まり、視界が揺れた。
生暖かい液体が床を滴る。
周囲が悲鳴を上げる。
衝撃で膝が抜け、床に倒れ込む。
その拍子に、どうでもいい昔の記憶が、脈絡もなく浮かんできた。
特別な人生だったわけじゃない。
学生時代の体力は、平均より少し上くらい。
運動神経も、飛び抜けてたわけではいない。
高校までは剣道部で、毎日竹刀を振っていた。
才能がないわけじゃない。天才でもない。努力すれば、そこそこ結果は出る。
その程度の人間だった。
地方では名があるそこそこ良い大学には行けた。
周囲からは「真面目」「優しい」と言われ、
恋愛だって、まったく縁がなかったわけじゃない。
大失敗も、大成功もない、
平和な人生だったはずだ。
――社会に出るまでは。
最初の会社は、名前だけは立派だった。
実態は、終電帰りが当たり前で、
残業代は「やりがい」に変換され、
理不尽を飲み込める人間だけが残る場所。
誰かが倒れても、
「自己管理ができていない」で片づけられる。
それでも俺は、
新人のフォローをした。
無茶な指示には、言葉を選んで噛みついた。
剣道部で叩き込まれた癖だ。
――卑怯な真似はするな。
――弱い立場から逃げるな。
結果、評価は下がり、
仕事だけが増え、
気づけば「都合のいい正義感持ち」になっていた。
それでも、捨てきれなかった。
……ああ、そうか。
だから今も、
この状況で、
にげる選択肢が、最初からなかったのか。
正義感だけで命を張ってはいけない。
分かっていた。
身に染みて、理解していた。
それでも残ってしまったんだ。
学生時代から、
叩かれても折れなかった、
無駄で、割に合わない、
この
何で昔の記憶が今になって出てきたのかが、なんとなくわかった気がする。
視界がさらに暗くなる。
子どもが無事かどうか、
確認する余裕はなかった。
正しかったかどうかなんて、もうどうでもよかった。
(……結局、最後まで学びきれなかったな)
自嘲のような思考を最後に、
――そこで、意識は途切れた。
……はず、だった。
◇ ◇ ◇
冷たい。
最初に感じたのは、背中に広がる不快な冷感だった。
背中がじっとり濡れている。
どうやら水たまりの上に転がされていたらしい。
目を開ける。
石造りの天井。
錆びた鉄格子。
湿った空気。
喉が、かすかに鳴った。
息をしている。
指が動く。
一定のリズムで心臓の鼓動がなっている
(……生きている。)
(……助かったのか?)
そう思った瞬間、胸の奥に小さな引っかかりが残った。
生きているのに、“自分”の感覚が、薄い。
起き上がろうとして、気づく。
体が、軽い。
足元には水たまりが広がり、そこに映った自分の顔を見て、俺は言葉を失った。
(……誰だよ、これ)
金髪。
整った顔立ち。
年齢は……せいぜい十七歳くらいか。
身長も、元の自分より少し低い。
そして何より、瞳の色。
黄昏の空みたいな、金とも紫ともつかない。
現実感がない不安を注ぐ色。
もう疑う余地はなかった。
(……異世界転生ってやつか)
自分で言って、自分で呆れる。
だが、他に説明がつかなかった。
牢屋。
見知らぬ体。
明らかに地球じゃない雰囲気。
状況を飲み込むのに、そう時間はかからなかった。
――俺は、電車内で刺されて死んだ。
――そしてどうやら、アラサーのブラック企業社員は、
この世界で、謎の美青年として再起動したらしい。
……何その配役。
人生ハードモードの次は、見た目だけSSRかよ。
いや、それ以前に――狭い。暗い。臭い。
錆びた鉄格子。石造りの壁。
「………●●?」(………牢屋?)
声が、出た。
――いや。
出た、というより“自然に出た”。
自分の声なのに、ほんの一瞬だけ遅れて脳が追いつく。
(……あれ?……俺は、今、何語で喋った?)
そう思った瞬間、違和感が胸に広がった。
日本語、英語でもない異国の言語。
周囲を見渡す。
錆びた鉄格子。
石造りの壁。
地面に転がる木製の桶と、欠けた皿。
そして――壁に貼られた、古びた紙。
何かが書いてある。
俺は、無意識にその文字を目で追った。
……読める。
「――●●、●●」(――いや、まて)
思わず声が漏れる。
そこに並んでいるのは、アルファベットでも、ひらがなでも、漢字でもない。
角ばっていて、曲線が多くて、見たことのない記号の集合体。
なのに、意味が頭に流れ込んでくる。
《⟡𐌙𐌖𐌋𐌄𐌔・𐌙𐌀𐌍𐌄𐌔》
(ヴァル=ネア区画外出入禁)
《𐌌𐌖𐌓𐌕𐌀=𐌂𐌖𐌓𐌀》
(暴動行為は即時処罰)
「……どうなっているんだ?」
俺は目を擦り、もう一度見る。
やっぱり、知らない文字だ。
形も、書き順も、見覚えがない。
それなのに。
(……読めてる)
意味だけじゃない。
ニュアンスまで分かる。
役所特有の、感情のない、突き放した言い回し
ぞっとした。
脳みそを誰かに勝手に弄られたような感覚。
「……なんだよ、それ」
俺は壁にもたれ、ゆっくり座り込んだ。
青年の記憶を探る。
その言葉を誰から教わったか、どんな場面で使っていたか、この子は一体何者か?
一切、思い出せない。
(……思い出せない、けど、分かる)
そして理解した。
この世界の言葉、文字が何故わかるのかはこの青年の記憶があるからだ。
簡単に言えば、誰かの「記憶の殻」だけが、残っている。
言葉。
文字。
体の動かし方。
生きるための最低限の機能だけ。
しかし、
思い出。
家族。
なぜここにいるのかの経緯。
重要な記憶だけが空っぽだ。
だがこっちは、前世の記憶はある。
名前も、年齢も、昔の記憶も、ここに来るまでの経緯も。
「……都合いいな」
おもわず苦笑が漏れる。
異世界転生ものなら、
前世の知識フル活用、ってのが定番だろ。
だが、どうやら今回は――
そんな都合のいい展開には、ならなさそうだった。
――カツン。
乾いた音が、牢の外から響いた。
足音だ。
思考が、強制的に現実へ引き戻される。
鉄格子の向こうで、誰かが立ち止まる気配。
続いて、鍵が回る。
「……目を覚ましたようだな」
やはり言語は異国語そのものだったが理解できる。
低く、よく通る女の声だった。
感情の起伏がなく、命令でも確認でもない、事務的な響き。
そしてなによりも、圧。
アラサーの俺でも怖いと感じるほどだ。
ゆっくりと顔を上げる。
そこに立っていたのは、黒髪の女だった。
年齢は二十代半ばほど。美人だが、笑顔は一切ない。
背筋は真っ直ぐで、軍人か役人か――どちらにせよ、現場に慣れきった人間の目をしている。
冷たい灰色の瞳が、俺を値踏みするように上下する。
「……あなたは?」
「自己紹介は後。お前に質問がある。」
その声は、喉元に突きつけられた刃のようだった。
答えるか、………答えるか、――選択肢は一つしかない。
「名前は?」
「……分からない」
即答すると、女は眉一つ動かさなかった。
「記憶欠損。想定内だ」
そう言って、女は手元の紙に何かを書き込む。
「ここがどこかは理解しているか」
「……牢屋、ですよね」
「正解。だが理由は?」
「……それは、分かりません」
女は一瞬だけ俺を見るのをやめ、溜め息ともつかない息を吐いた。
「身元不明。記憶欠損。年齢推定十七。違法入国の疑いあり。難民認定」
「なッ……難民ですか?」
思わず声が裏返った。
違法入国とか、身元不明とかはまだ分かる。
だが、
難民? 俺が?
女は、紙から視線を上げないまま淡々と言う。
「この国の法では、出自不明で保護者を持たず、登録記録のない未成年は、例外なくそう扱われる」
「いや、でも……俺は――」
「“お前”は、何も証明できない」
ぴしゃりと、言葉を切られた。 反論の余地を最初から与えない口調だった。
「名前がない。身分証がない。戸籍も、所属も、保証人もない」
「その状態で国境内に存在している時点で、立場は一つだ」
「――難民」
俺は冷や汗を流しながらその言葉口に出した。
これは、まさに宣告だった。
胸の奥が、ひやりと冷える。 難民。 助けを求める人。 保護されるべき存在。
……そんな、綺麗な言葉じゃない。
女の目は、はっきりそう言っていた。
「難民となったものは保護される。最低限の衣食住も与えられる。だが、権利はない。拒否権も、発言権も、選択権も」
淡々とした説明が、逆に重い。
「命があるだけ、感謝しろ――そういう立場だ」
喉が、きゅっと鳴った。
反射的に、前世の記憶を思い出す。
ブラック企業。 新人。 断れない立場。 “やりがい”という名の無償労働。
……ああ。 形は違えど、構造は同じか。
「ちなみに言っておくが」
女は初めて、俺の目を真正面から見た。
「この国は、役に立たない難民を長く養うほど、優しくはない」
冷たい灰色の瞳。
そこに映っているのは、哀れみでも怒りでもない。
ただの事実確認。
「生き延びたいなら、価値を示せ」 「示せなければ――」
女は言葉を区切り、鍵を軽く鳴らした。
「次に出る場所は、牢屋では済まない」
背中に、ぞわりと寒気が走る。
正義感だけで命を張ってはいけない。 分かっていたはずだ。 なのに――
(……ここでもかよ)
逃げ道のない箱は、電車だけじゃなかったらしい。
俺は、鉄格子越しに女を見上げる。
そして、腹の底で静かに覚悟を決めた。
――生き残るために。
今度は、間違えないために。
「……質問をします」
「答えろ」
俺は、ゆっくり息を吸った。
「俺に、何をさせたいんですか?」
女は、俺の言葉を聞いてもすぐには答えなかった。
代わりに、手元の書類を一枚、裏返す。
そこに描かれていたのは、紋章だった。
歯車を模した円環。
その中央に、矢印のような三叉の槍。
「帝国公認企業、アーク・フロントグループ」
淡々と告げられた社名に、俺は思わず瞬きをした。
「物流、加工、流通。表向きはな」
女はそう前置きし、続ける。
「モンスター素材の回収、解体、保管、販売、その全工程を一手に担っている」
……物流会社。 聞こえはいい。
だが、この世界で“モンスター素材”がどこから来るかなんて、考えるまでもない。
「討伐部は、その中の一部署だ。主な仕事は、魔物討伐の現場担当、治安維持支援、輸送・護衛任務、探索・踏破任務こだ。」
つまり――戦場だ。
「難民は、労働力として最も扱いやすい」
遠慮のない言い方だった。 包み隠す気もないらしい。
「戸籍不要。保証人不要。死亡時の補償も最低限」
「だが、その代わり――」
女は、ようやくこちらを見た。
「結果を出せば、身分は買える」
その一言で、空気が変わった。
「功績次第で、正式な市民権、部内での昇進、討伐報奨金と、素材歩合」
「運が良ければ、貴族の目に留まることもある」
「……成り上がりですか」
前世で聞いたことがある。 危険な現場ほど、夢みたいな言葉が並ぶ。 成功例だけを強調して、失敗例は語られない。
耳障りのいい単語が、妙に現実味を帯びて胸に刺さる。
ブラック企業で何度も聞いた。
「成果主義」 「実力次第」 「チャンスは平等」
だが――
(今回は、断ったら終わり、か)
女は、その沈黙を肯定と受け取ったのか、静かに続ける。
「選択肢は二つだ。アーク・フロント討伐部に所属し、生き残る。あるいは、難民としてこの区画で朽ちる」
どちらも、自由とは程遠い。
だが。
生きる道が“ある”だけ、まだマシだった。
「……半強制スカウト、ってやつですね」
俺の皮肉に、女はわずかに口角を上げた。
「帝国では、それを“雇用”と呼ぶ」
やっぱりか。
この世界も、言葉だけは綺麗だ。
「配属先は第十三討伐部」
「損耗率は高いが、成果も出やすい」
……嫌な予感しかしない。
「どうせ、拒否権なんてないですよね」
拒否権なんてない。
つまり討伐部に加入するしか選択はないとゆうことだ。
一瞬、女の視線が鋭くなった。
だがすぐに、事務的な顔に戻る。
「理解が早くて助かる」
女は鍵を手にし、鉄格子が、重い音を立てて開いた。
「ようこそ、討伐部へ」
「ここは、努力が数字になる世界だ。そして、なんとしてでも生き残れ」
俺は立ち上がり、濡れた床を踏みしめる。
(……成り上がり、か)
望んだ人生じゃない。 だが、選んだ人生だ。
正義感だけで命を張ってはいけない。
だから今度は――
生き乗るために、命を使う。
異世界でもブラックでした。配属先は討伐部です @yoruhanemurenai
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