第3話
地上に戻って最初に思うのは、やっぱり静かだな、ということだ。
ダンジョンの中は常に何かが鳴っている。魔力の流れ、足音、呼吸。
それがないだけで、頭が少し軽くなる。
転移ゲートの先は、ダンジョン管理局・日本支部の帰還フロア。
今日も変わらず、忙しそうで、落ち着いている。
探索者が帰ってきても、誰も騒がない。
生きて戻るのは前提で、怪我をしているかどうかが仕事になる。
この感覚に慣れているあたり、ここもだいぶ異常なのだろう。
「九条さん、お帰りなさい」
受付にいた女性が、こちらに気づいて声をかけてきた。
名札には 伊東 真奈。
何度も顔を合わせているが、必要以上の雑談はしない人だ。
「ただいま戻りました」
「今回も単独、ですよね」
「はい。予定通りです」
「……はい」
一瞬だけ、間。
この人は毎回、ここで一拍置く。
「負傷は?」
「ありません」
「装備破損は?」
「軽微です」
「魔力残量――」
端末を操作する指が、ぴたりと止まった。
「……測定、合ってます?」
「たぶん」
「ですよね」
納得していない顔をしながら、伊東さんは入力を再開した。
このやり取りも、もう様式美である。
「三七五階層、階層支配個体の討伐を確認しました。
知性持ち、会話あり……」
「はい」
「……会話、あり」
念押しするように復唱されると、少し居心地が悪い。
「内容は記録に回しますので、後ほど簡単に」
「分かりました」
「なお」
伊東さんは、ちらっと周囲を確認してから言った。
「この後、時間は空いていますか?」
「特に予定は」
「橘局長が、“捕まえておけ”と」
……言い方。
「食事だと思います」
「でしょうね」
局長が「捕まえる」と言うときは、大体それだ。
会議にするほどじゃないが、放っておくと面倒になる話がある。
そういう時に呼ばれる。
「では、医療チェックだけ済ませてください」
「いつも通りで」
「はい、いつも通りです」
その“いつも通り”が、普通じゃないのは、お互い分かっている。
形式的な診察を終え、装備を預け、ログを提出する。
廊下を歩くたび、何人かと目が合う。
誰も驚かない。
ただ、少しだけ慎重な目。
「扱いを間違えると困るもの」を見る目だ。
局長室の前で待つように言われ、
ボクは壁際のベンチに腰を下ろした。
……暇だ。
最近、やたらと耳に入る言葉がある。
ダンジョン配信。
探索者が攻略の様子を配信する。
情報にもなるし、娯楽にもなる。
管理局としても、正直ありがたい。
やらない理由も、いくらでも思いつく。
準備が面倒。
編集が面倒。
注目される。
管理が増える。
一番大きいのは、
今やらなくても、困っていないという点だ。
「待たせたな」
声をかけられて顔を上げると、
そこにいたのは
管理局日本支部の局長。
肩書きは重いが、本人はそこまで気にしていないタイプだ。
「いえ、ちょうど考え事してました」
「ろくなこと考えてない顔だな」
「失礼ですね」
「昔からだ」
そう言って、橘局長は歩き出す。
振り返りもしない。
ついてくる前提なのが、この人らしい。
「飯、行くぞ」
「やっぱりですか」
「他に何がある」
「会議とか」
「この時間にする話じゃない」
確かに。
並んで廊下を歩きながら、
ボクは内心で少しだけ息を整える。
この人との食事は、
だいたいが雑談で、
たまに核心が混じる。
仕事の話なのか、
忠告なのか、
ただの愚痴なのか。
境目が分からないのが、橘修司という人だ。
「三七五、派手だったらしいな」
「数字の見方によります」
「局としては頭が痛い数字だ」
「ですよね」
「他人事みたいに言うな」
「他人事ではないですけど、想定内ではあります」
「そこが腹立つ」
そんな軽口を叩きながら、
ボクたちは食堂へ向かった。
――ここからが、たぶん本番だ。
でもまあ、
局長と飯を食うくらいなら、
今日もまだ平和な部類だろう。
ボクはそう思うことにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇
管理局の食堂は、時間帯を外すと妙に落ち着いている。
騒がしくもなく、かといって静まり返っているわけでもない。
人が働く音だけが、一定のリズムで流れている感じだ。
「相変わらず、ここは飯が早いな」
トレーを持った橘が、空いている席に腰を下ろす。
局長専用の部屋があるのに、わざわざ食堂を使うあたり、この人らしい。
「早くて不味くないなら、文句はないと思いますけど」
「不味くない、が基準なのがもう探索者だ」
「褒めてます?」
「半分な」
ボクも向かいに座って、スプーンを取る。
今日のメニューはシチュー系。
無難。だが、こういうのでいい。
一口食べて、内心で少しだけ安心する。
……うん、普通だ。
ダンジョン帰りに変な味だと、地味に精神にくる。
「で」
橘は前置きもなく切り出した。
「三七五階層、どうだった」
「強かったですよ」
「終わり?」
「いえ、知性がありました」
「それは報告で見た」
「交渉、というほどじゃないですけど。
向こうは、こちらを“敵”と認識していませんでしたね」
橘の眉が、わずかに動く。
「……つまり?」
「縄張り荒らし、くらいの感覚です」
「深層でそれか」
「はい」
スプーンを口に運びながら、思い返す。
あの魔物は、確かに強かった。
ただ、それ以上に「余裕」があった。
自分が支配者であるという前提を、一切疑っていない顔。
だからこそ、話しかけてきた。
「最近、増えてるんだよ」
橘が、少しだけ声を落とす。
「知性持ちが、な」
「聞いてます」
「地上じゃあ、まだピンと来てない連中も多い。
ダンジョンは“攻略する場所”だと思ってる」
「まあ、実際そうですし」
「違う、とは言わん。
だがな」
橘はスプーンを置いた。
「向こうが“住んでいる”って感覚を持ち始めたら、話は変わる」
……ああ、なるほど。
「管理、ですか」
「そうだ」
ダンジョン管理局の仕事は、単純だ。
ダンジョンを監視し、被害を抑え、資源を流通させる。
攻略を促進し、危険を制御する。
でもそれは、
ダンジョンが「自然災害」に近い存在だったから成立していた。
「知性を持った存在が増えれば、
災害じゃなくて、“隣人”になる」
「厄介ですね」
「面倒だ」
橘は即答した。
「外交が増える。
責任も増える。
死んだときの言い訳が減る」
「……生々しいですね」
「管理職だからな」
ボクは苦笑しつつ、シチューを飲み込む。
確かに、これは探索者より管理側のほうが胃が痛い話だ。
「で」
橘が、ちらっとこちらを見る。
「お前、配信はやらんのか」
来た。
内心で小さくため息をつく。
やっぱり、この話題は避けられなかった。
「今のところ、予定は」
「理由は?」
「面倒だからです」
「即答だな」
「正直に言うと、管理が増えるのが嫌です」
「正直すぎる」
「それに」
少しだけ、言葉を選ぶ。
「注目されるの、得意じゃないので」
橘は、じっとこちらを見てから、鼻で笑った。
「今さら何を言ってる」
「今までは、仕事の範囲でしたから」
探索者として知られている。
強い、という評価もある。
でもそれは、
“日本の中では上のほう”という、曖昧な認識だ。
英雄だとか、最強だとか、
そういう称号がついて回る世界では、まだない。
「配信をやれば、一気に線を越えるぞ」
「でしょうね」
「管理局としては、やってほしい」
「ですよね」
「だが」
橘は肩をすくめた。
「無理にとは言わん。
お前が壊れたら、それこそ困る」
……この人は、本当にそういうところがある。
管理局長としてではなく、
一個人として、探索者を見ている。
「いずれは、考えます」
「その“いずれ”が来る前に、世間が勝手に盛り上がらなきゃいいがな」
「それは、どうでしょう」
ボクは曖昧に笑った。
正直、世間の流れには疎い。
流行も、評価も、噂も。
ダンジョンの中にいる時間のほうが、ずっと長い。
だから、
自分がどんな立ち位置に見られているのか、
よく分かっていない。
それでも――
「まあ、今日は帰って休め」
橘が立ち上がる。
「三七五階層だ。
それだけで、十分“仕事”だ」
「ごちそうさまでした」
「次は奢らせるなよ」
「善処します」
軽口を交わして別れる。
その背中を見送りながら、ボクは思った。
世界は、ちゃんと動いている。
管理する人間も、悩んでいる。
――なのに。
自分だけが、
少し外側に立っているような感覚が、拭えなかった。
それが良いのか悪いのか。
今のボクには、まだ分からない。
分からないままでも、
ダンジョンは、明日もそこにある。
――――――――――――
はじめまして、作者です。
以前、同名の作品を投稿していましたが、
構成を見直し、あらためて書き直すことにしました。
今回は完結まで書くことを前提に、
少しずつ投稿していく予定です。
更新は毎週、水・金・日を予定しています。
静かなテンポの物語ですが、
楽しんでいただけたら嬉しいです。
次の更新予定
世界最強は目立ちたい @Green_Grapes
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