第1章 やさぐれシスター(part2)

 鏡に吸い込まれたわたし達は息つく暇がない程、あっという間に外国の土地に到着していた。その街は石造りの家が多く並んでおり、近くには川が流れたお洒落な場所、いわゆる、我々が想像する一般的なイメージの西洋の街並みがそこにはあった。


 先程まで凹んでいたことが忘れられるほどに、わたしは初めて見る西洋のお洒落な街並みに興奮していた。ここだと、洋だよね、ウフフフ。わたしは一人妄想しながら歩き出そうとした。


すると、降魔ごうまさんに首元の襟を引っ張られた。


辻屋つじやさん、どこに行こうとしているのですか。今から仕事ですよ。えーと、辻屋さんにソフィリアさん。二人いますね。では、この場所について説明しますね。ここは、先程の鏡の中に入った世界。ソフィリアさんの記憶世界です。この世界の特徴は生前のソフィリアさんの人生に影響を強く受けた場所が選ばれることが多いです」


「また、この世界ではソフィリアさんが生前に歩んでいた時代そのもので、ソフィリアさんの記憶や直接的な関係の有無にかかわらず、その時に起こっていたことが実際にこの世界では起きています」


「後は……、そうですね、わたし達はこの世界に間接的に干渉することが……できます。まあ、細かい話は面倒なのでこのぐらいで割愛させていただくとしますが、ここまでで、何か質問はありますか?」


 はい、はい、はい。わたしは恥ずかしげもなく小学生のように元気に、一方のソフィリアさんは静かに手を挙げた。


「ではまず、ソフィリアさんどうしましたか?」


「この街に見覚えはある。だが、だいぶ前に住んでいた場所だ。私自身土地勘は当の昔に抜け落ちていてな……周りに過去の私が居ないということは探しに行くんだろう?それは、あんたらが勝手にやってくれると解釈して良いんだよな?」


「察しが良いようで何よりです。あなたの言う通り、私が過去のあなたを捜索するのでその辺は気にしなくて問題ありません」


 懐かしい場所だからだろうか。彼女は冷静に分析していたが、目線に落ち着きはなかった。


 降魔さんはソフィリアさんから次なる質問がないことから、目線を私に向けて手のひらを向けながら指名した。


「では、辻屋さんの質問は何ですか?」


「ええと、わたしは干渉の限度について確認しておきたくて……。ええと、例えば、本当に例え話ですよ、この世界の食べ物を手に取って食べたりすることは可能でしょうか?」


 彼女に比べてわたしの質問は幼稚なものであった。でもこれは、わたしにとってはとても、とても、とーても重要なことだ。せっかく案内人補佐官になったのだから、少しぐらいの夢は見たい。


 ただ、それだけ……。


「飲食ですか……」


 彼は力が抜けたようにわたしの言葉を繰り返した。当然だ。ここに来て尋ねるような内容ではない。


 わたしはダメかと思い目を閉じながら祈って、彼の返答を待った。


「まあ、飲食は置いといて、最初に干渉の限度について軽くお話しますね」


 残念なことに飲食に関することは置いとかれてしまった。


「この記憶世界の干渉の範囲ですか……。干渉の範囲は倫理観を無視すればどこまでも可能ですよ。目の前の物を盗んだり、人を痛めつけたりと何でもできます。もちろん、この記憶世界の人を殺めることも可能です……。その場合にはこの世界のみならず、現実世界にも影響がありますので注意してくださいね」


「まあ、論より証拠ということで、今から目の前で実際にやってみるとしますかね」


「では、やさぐれシスターのソフィリアさん、少しよろしいですか?」


 やさぐれシスターと言われて彼女は大きな声で怒鳴りながら、降魔さんの目の前まで近づいた。


「おい、この野郎―!誰がやさぐれシスターだ!お前、ぶん殴るぞ!」


 彼女は大きな声で叫んだ。


 だが、様子がおかしい。


 大声で彼女が怒鳴ると辺りの視線のすべてが一点に注がれた。しかも、運の悪いことに目の前には小さな女の子がいて、怒鳴るシスターを見て泣き出してしまった。


 彼女は泣いている子どもの対応に困惑し、左右を見渡し戸惑い始め、先程とは打って変わって弱気になっていた。


「ごめんねー、大きな声を出しちゃって」

「おい、あんたら見てないで何とかしてくれ……私が悪かったから……」


「ほら、干渉できたでしょう?これが、干渉できる範囲の一例です。やろうと、思えば何でもできるんですよ」


 慌てる彼女を横目に降魔さんは楽し気に私に説明してくれた。


「おい、話してないで何とかしてくれ……。頼むから……」

「忘れてましたね。では、今度からは勝手に干渉しないでくださいよ」

「わかった、わかったからもう干渉しないから勘弁してくれ……。」


 彼女がそう言うと、周りの視線どころか、先程まで泣いていた女の子も泣き止み、何事もなかったかのように私たちは空気となった。


 これで分かりましたよね。ですから、干渉はしないように皆さん注意して下さいね。


「まあ、そもそも私の許可が無ければこの世界に干渉はできませんからね。ですから、その辺はご安心ください」


「そもそも先程から気が付きませんでしたか?ここの人たちは私たちにぶつからないように動いているのですよ」


 降魔さんはとても意地悪だった。


 最初から避けるように動いている人を例に出せば済んだことなのにこの方は本当にいい性格をしている。


「ああ、そうだ、そうだ。飲食のことを忘れていましたね」


「飲食はご自由にしてください。その辺は案内人という職業の特権と言うとあれですが、許されています。他には意外に思われるかも知れませんが、酒や煙草といった嗜好品も大丈夫です」


「もちろん、ソフィリアさんもご自由に飲食してください。いうならば、最後の晩餐みたいなものですからね」


 彼は不敵な笑みを浮かべながらソフィリアさんの方を見ていた。


 彼女は何か言いたそうな表情を向けていたが、先程のことで警戒したのか、反論することはなかった。


 本当に余計な一言である。


 揉め事の燃料をこれでもかと投下した降魔さんであったが、今度は真面目な顔で話し出した。


「まあ、楽しい雑談はこれぐらいにしましょう。とにかく、先ずはソフィリアさん、あなたのお宅に向かいますから付いて来てくださいね」


 わたし達は降魔さんの後を付いて行くようにして目的地に向かい、歩みを進めた。


 現在地から、歩いて10分もしないぐらいだったと思う。降魔さんは小さな一軒家の前で立ち止まった。


「着きましたよ。ここがあなたのお家ですね。ちなみに、見覚えはありますか?」


「この場所は残念ながら覚えている。ここは、子どもの時を過ごした場所だ。こんな形で帰るとは思わなかったがな。だが、こんな小さな家に一体何の用があるって言うんだ?」


「用と言いますか、鏡がここへ導いた。ただ、それだけです。先程も言ったように、ここはあなたの人生において大きな影響を与えた場所。だから、この先は大なり小なりトラウマが呼び起こされるかもしれませんが、それは諦めて下さいね。まあ、シスターならそれぐらい耐えられますよね」


「うるせぇ!そんなのこの街に来た時点でわかっているんだよ。御託はいいから、さっさと入りやがれよ」


 降魔さんの挑発は相変わらずである。


「わかりました。では、私に続いて来てくださいね」


 というと、降魔さんの身体は家の扉を通り抜けた。それに続いてわたしも入ろうとしたが、彼女が手に握り拳を作った状態で固まっていた。わたしは、一言「大丈夫ですよ。いきましょう」といって彼女の肩に手を当てるようにして入った。


 最初は反抗されるかと思ったが、意に反して素直に従って来てくれた。その際、小さな声でお礼が聞こえた気がした。あの彼女がお礼を言うはずがないと思いつつも、聞こえた気がしたことは悪い気がしなかった。


 やっぱり、いくらシスターといえど過去の自分と対峙することは怖いのだろう。


 わたし達は彼女の家に入るとそこには、若い女性と10代にも満たないと思われる女の子が楽しそうに食事をしていた。


 その様子を見るに二人の仲はよさそうに見えた。父親がいないことを除けばどこにでもいる普通の家族と言っても何ら問題はないだろう。


「今日は良い子にしていたフィリアちゃんの誕生日だから豪勢にお肉料理だよ」

「やったー、タリアータだ!ママの作ったタリアータ美味しいから大好きー」


「それは良かった。作った甲斐があったわ。まだ、入るならこれも食べると良いよ」

「良いの~。でも、これを食べちゃうとパパの分が無くなっちゃうよ……」


「パパのは……後で別に作っておくから大丈夫よ。それに、今日は帰れそうにないから、フィリアちゃんがいっぱい食べてくれるとママ嬉しいよ。あっ、でもデザートもあるから食べ過ぎには注意してね」


「えっ、デザートもあるの?デザートは何、何⁉」

「デザートはフィリアちゃんの大好物のティラミスだよ」

「ティラミス!やったー!でも、パパもいて欲しかった……」


 母親は私を抱きしめながらゆっくりと頭を撫でた。その手はとても寂しそうで、消えそうなそんな弱弱しさがあった。


「ごめんね。フィリアちゃん、ずっと良い子にしてたのにね。今日もママしかいないけど許してね」


「ママ、わがまま言ってごめんなさい。フィリア、これからも良い子にするから、ママはだけは一緒だよ」


 わたしは仲の良さそうな家族で微笑ましい。そんな気持ちで二人の様子を眺めていたが、二人の反応は異なっていた。


「あのソフィリアさんが……あらあら、彼女をママと呼んでいたんですか」


「う、うるせぇ!子、子どもがママと呼ぶことの何がおかしい。普、普通のことだろう」


「そうですね。大変申し訳ございません。フィリアちゃん」


「こ、殺す。お、お前を殺して私も一緒に地獄に落ちてやる」


「地獄とは物騒な。まあ、残念ですが私は松地獄で最下層の住人だから堕ちるのはあなただけですよ」


 彼女は降魔さんに大声で叫んでいたが、その表情は赤面しており、喋り方も少しおぼつかない感じであった。だが、彼女はいつになく優しい目線を母親に向けている。きっと、お母さんのことが大好きなのだろう。それだけは伝わった。


 過去の彼女は素直さと可愛さがあり、年相応な一般的な少女という印象を持った。


 そんな吞気に構えている場合ではない。


 わたしは何とかフォローしようと考えたが、彼女にかける言葉が見つからなかった。そこで、先程から気になっていたことを降魔さんに尋ねることにした。


「降魔さん、ソフィリアさんを虐めるのはそのぐらいにしておいて下さい。可愛そうですよ。そんなことより、このフィリアちゃんの食べているデザート、ティラミス?でしたっけ、これをいただきたいのですが、食べることは可能でしょうか?」


「ティラミスが食べたいのですか……。別に良いですよ。今の我々は実体がない霊に近い状態です。その証拠にこの家族に認識されていませんよね。その状態で食べ物に手を近づけ、その後に持ち上げればそれも一緒について来るのでそれをそのまま食べればいいですよ」


 上手く誤魔化せた。と思いつつ、彼女の方を見ると何故かわたしにも少し鋭い目つきを向けていた気がする。


 怖いので気のせいだったと思うことにした。


「ええと、このお皿を持ち上げるのでしたね。では、失礼いたします。よいしょっと。あっ、持てました!持てました!これがティラミスですね。不思議ですね、記憶の世界に干渉しないでティラミスを持ち上げられるなんて、何だか不思議ですね」


「それではいただきま~す。……ああ~しっとりとした柔らかい甘い生地に少し苦みのあるパウダーが良い感じにマッチしててとても美味です。これがティラミス。奥深いです。そんなところに立ってないで皆さんも一緒に食べましょう」


 始めて食べるティラミスにはしゃいでいるわたしを尻目に二人は冷めた目線を向けていた。


「あいつは何しにここに来たんだ。あんたの補佐官じゃないのかよ」


「彼女はきっと案内人補佐官ではなく、デザート飲食官なんでしょう。まあ、いいでしょう。食べながらあなたの過去の続きを見るとしましょう」


 そう言うと、降魔さんはティラミスをソフィリアさんに手渡した。


「まあ、懐かしい味を後悔のないよう食べて下さい。あなたの人生においてこの場面が選ばれたということは何かしら思うところがあるはずですからね。さあ、どうぞ」


 先程までとは変わった態度の降魔さんに、彼女は、戸惑いの表情をしながらもそれを素直に受け取った。


 すると、辺り一面が光りだし記憶の世界に変化が生じた。


 わたし達はソフィリアさんの部屋にいきなり飛ばされていたみたいだ。


 だが、彼女の部屋というには、些か違和感があった。


 幼い頃の彼女は母親をママと呼んで甘えたり、といった年相応な女の子であるように見えた。


 そんな女の子の部屋にしては殺風景で子どもらしい物、ぬいぐるみやちょっとした可愛い小物などは一つもありはしなかった。


 代わりにあるのは大量の書類と伏せられた写真立てだけが置かれた机とベッドだけというなんとも簡素な部屋であった。


「ここは、あなたの部屋ではありませんよね?」


 最初に、口火をきったのは降魔さんであった。


 彼女は部屋全体をきょろきょろしながら、それはまるで初めて友達の家に行ったかのようにじっくりと見渡していた。


 そして、彼女は深呼吸をした後、一言ボソッと答えた。


「ああ、その通りだよ。ここは母の部屋だよ。懐かしいなあー。もう見ることがないと思ってから素直に嬉しい」


 彼女はいつにもなくしおらしかった。


 その表情はとても嬉しそうであり、普段の彼女の表情とのギャップに多少の困惑はあった。


 人は懐かしむとこんな表情をするのか……。


 私自身、初めての仕事でこんなことを思うぐらいには、生きていた頃の人間の感覚は鈍くなっていたようだ。


 そのようなことを考えていると扉が開く音がした。振り返ると子どものソフィリアさんが入って来た。


 先程、見たときの姿とあまり変わりはないことから、きっと直近の出来事なのだろう。その女の子は真っ直ぐに机に向かうと、机に伏されていた写真立てを立て掛けてまじまじとそれを覗き時々、か細い声で「ママー」と呼びながら泣いていた。


 その一言でわたしは最悪な想像をした。


 わたしは居ても立っても居られず、過去の彼女の頭を撫でようとしたが手が頭に触れることはなかった。


 彼女は過去の自分を見つめながら、神妙な面持ちで母親のベッドに腰かけた。そして、ここで初めて先程のティラミスを一口、また一口と噛みしめるようにゆっくり口に運びながら静かに話だしたのである。



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