案内先は地獄でよろしいでしょうか?

渡辺つかさ

第1章 やさぐれシスター(part1)

 生き物はいつか必ず死ぬ。その過程は様々だ。お金持ちとして財を成し一生不自由なく幸せに暮らすことができる者もいれば、財はあるが健康面で問題を抱える者、はたまた、財や健康の両面を持ちえない者だっている。悲しいことに世界は残酷な程に不平等だ。だが、こんな不平等な世界においても一つだけ、たった一つだけ平等なものがある。そう、それは誰にでも死が訪れることだ。死の訪れを回避することだけはどんな超人にもできない純然たる結果だ。この物語は死後の人間を導く案内人とその補佐官による魂の向かうべき道筋を示すお話である。


 今日から私も案内人だー。案内人になるのに数百年かかったけど、これで私も……えへへ。

辻屋つじやさん。あのう、辻屋さん……辻屋芽郁めいいさん!」


 私は彼の気怠そうな声で現実に戻された。

「あっ、はい、申し訳ありません」


 わたしは案内人の仕事が楽しみ過ぎて妄想に浸っていた。いけない、いけない。しっかりしなきゃ。この気怠そうな声の主は降魔ごうまさんだ。降魔さんはかなり長い間、案内人をしているベテランで業界内でもかなりの有名人だそうだ。


「まったく、君も運がないね。初仕事なのに海外の方が訪れるなんて。まあ、初めてでわからないと思うから適当にしててくれてれば良いよ。本当、適当にね……」


 この適当を強調しているのは案内人の降魔さんである。サバサバした性格だが悪い人では無さそうに見える。わたしは彼に言われた通りに素直に適当に相槌をした。そんなわたしを確認したら、降魔さんは話しの続きを始めた。


「そうだね。他に何を話せば……」


 降魔さんは話の内容が浮かばなかったようで、顎に手を置きながら少し考えていた。


「一応、仕事内容だけ軽く確認しておくとしましょうかね。案内人の仕事について、辻屋さんはどの程度知っていますか?」


「案内人の仕事ですか。ええと、ケーキを……」

「ケーキ⁉」

「いえ、間違えました」


 私は高速で訂正した。いけない、いけない。つい本音が溢れてしまった(ケーキが食べたくて案内人になったなんて言える訳がない)。


「ええと、案内人の仕事ですよね。も、も、も、もちろん知ってますよ。人間界から来た人間を天国と地獄に振り分ける。あれですよね……」


 ケーキで動揺した私は雑な受け答えをしてしまった。降魔さんは、そんな私を見ると一瞬、怪訝な表情をした。やらかしたかも知れないとわたしは内心焦り、よりパニックになりながら受け答えしていた。そんなわたしを見てか、降魔さんは小さくため息をした後、口火を切った。


「天国と地獄に振り分けるというのは合ってます、けど、これだけだと不十分ですね。まあ、時間があるから少しだけ案内人についてお話しましょう。まず、案内人の仕事は死者を向かうべき3つの世界に選別することです。先程、あなたが言っていた、天国と地獄はその2つに該当します。それで、選別の仕方を簡単に説明すると生前に良いことをすれば天国。悪いことをすれば地獄。そして、天国と地獄の双方に該当しない者はうつつに送られます。我々、案内人の間ではこれを「うつつおくり」と言う方が一般的ですね。で、その現送りはまあ、要は生まれ変わって一から人生を始めなおすこと。こんな感じですね。ここまでで、何かわからないことはありますか?」


「あのう、恥ずかしながら、現送りは聞いたことが無いのですが。現送りは天国と地獄と比べて罪の度合はどのような感じでしょうか?」


「ああ、そういえばあなたは天国在住でしたね。それなら、現送りは馴染みがないかも知れませんね。罪の度合という言い方で表現するのは正確には難しいところがありますが、それでも区分けをするとしたら天国、現送り、地獄の順番で良いと思いますよ。そこから、さらに天国と地獄の中でも序列があり細分される。これはあなたも天国に在住しているからわかるでしょう。」


「それなら知ってますよ。天国内で3つの番号が振られていて1番天国が最も得を積んだ心の綺麗な方の集まりで、次に2番、3番と続く。そうですよね」


「そう、それです。天国は1番、2番、3番の順で良く、人数で表すとピラミッド型で1番が最も人数が少なく3番が最も人数が多い。一方、地獄は松、竹、梅の順で罪が重くなる。こんな感じですね」


「あれ?確か地獄も天国と同様の番号制だったような?名前は忘れましたが、大地獄と言われていたような……。もしかしたら、記憶違いかも知れませんが……」


「その認識自体は間違えてませんよ。大地獄は恐らく八大地獄のことでしょう。確かに、以前の地獄は8つに分類されていました。ですが、数百年ほど前に問題が起きて、今の天国と同じ数の3大地獄になったんです。ですが、天国と同じ呼称というのがどうも地獄の方々から猛反対が起きてこの際、全く違う呼び名である松竹梅が採用された経緯なんですよ。私は呼び名の呼称に興味はないですが……」


「事の経緯は分かりましたが、でも、どうして8つから3つになったんですか。いきなり、そんなに減らす必要性もないと思うのですが」


「そんなの、簡単ですよ。人員不足で人手が足りなくなったからです。そりゃ当然でしょう。誰が好き好んで気性の荒い罪人の管理がしたいんですか。そのような奉仕心のある方はまず、地獄には落ちないし、仮にそのような方がいたとしても数日で病んで使い物にならなくなってしまいますよ。これは、最近の日本でも同じでしょう。有名大学を卒業したのに何故か大企業の窓際族を目指す人がいたりといった矛盾、地獄の世界も現の世界でもリスクや責任のある立場は忌み嫌われるものなんです」


「地獄の方はわかりませんが、日本人みんながそのような考えではないような……。それより、具体例で日本人を出すのは妙にリアルで生々しいです」


「そりゃ、私は基本的に日本人を担当としている案内人ですからね。いろいろな方を見てきましたからね。―ああ、懐かしい……。まあ、安心してください。あなたも直ぐに理解できますよ」


「できることなら、それはお断りしたいです」


「さて、長話で良い感じに緊張が解れたみたいなので、そろそろ故人の方をお呼びしてもよさそうですね。では、初仕事頑張ってくださいね。辻屋補佐官」


 どうやら、わたしは降魔さんの手の上で踊らされていたようだ。それよりも補佐官?どういうこと……。


「あ、あのう補佐……」


わたしが降魔さんに聞き返そうとしたが、言い終わる前に小さなベルのような物が鳴り響きわたしの声は完全にかき消された。ベルの音が響き終わると目の前には外国人の女性がいた。来てしまっては仕方がないので補佐官については後で聞くことにして今はとりあえず、目の前の女性に集中することにした。目の前には紺色の修道服を着た女性がいた。その女性は綺麗な金髪で、海を連想させる透き通った碧眼を備え、十字架の首飾り、手には火のついた煙草を持っている。いや、煙草?わたしは煙草を持っているのが原因なのか、はたまた、修道服姿とのギャップなのかはわからないが、最初の印象と180度変わりその女性がヤンキーのように見えてしまった。突然知らないところに送られた彼女だが、全く動じた様子はなく堂々としているように見えた。わたしは、見た目の怖さから引きつった笑顔で立つのが精一杯であった。一方、わたしとは異なり降魔さんは慣れた様子で彼女に話し掛けた。


「えっと。あなたは亡くなってここに来たことはわかりますか?私は死者の魂を導く案内人の降魔です。」


 彼女はムッとした表情を浮かべたが、周りを一瞬見渡すと、今度は笑みを少し浮かべ「ああ」と一言だけ発した。


 そんな、彼女を見てわたしは少し不気味さを感じた。


「理解の早そうな方で助かった。そんなあなたにおすすめな案内先があるけど。どうよ、地獄ならすぐにご案内しますよ」


 地獄の一言を聞いて彼女の表情は般若のごとく恐ろしい顔になった。


 当然である。


「どうかなさいましたか?聞こえていますか?地獄ならすぐにご案内しますよ」


 なおも、降魔さんは地獄への勧誘を止めることはなかった。


 彼のしつこさに彼女のイライラとした感情が伝わってきた。そして、彼女は怒鳴るように叫びだした。


「聞こえてるよ。そんなのは!あんた、馬鹿じゃないの?初対面で地獄なんていきなり失礼じゃないの」


 シスターの言うことは至極全うである。誰だって、地獄には落ちたくない。それは普通の感情である。ましてや、シスターという神に奉仕してきた人間に会って早々提案できるのは肝が据わっているというか、空気が読めなというか、全くもって正常とはいえない。


「降魔さん流石に酷いですよ。いくら、見た目がやさぐれたヤンキーみたいな見た目をしたシスターであっても、いきなり、地獄というのは些か横暴ではないですか」


 ヤンキーという言葉に反応したのか、シスターの怒りの矛先がわたしに変更された。


「そこのお前、何言っているんだよ。私のどこがやさぐれヤンキーだよ。目ん玉ついてんのか?どこからどうみても、敬虔けいけんなシスターだろ」


 煙草をふかしながらシスターは強く反論してきた。良かれと思ってフォローしようとしたが、どうやら、逆鱗に触れてしまったようだ。わたしは焦ってあたふたした。返答に困っていると、ありがたいことに降魔さんは深いため息をつきながら助け舟をだしてくれた。


「あのね。シスターさん。いや、名前で呼んだ方がいいかな。ソフィリア・マヌリッタさん、地獄の生活は別に悪くないですよ。地獄という名前からして怖い場所だと思うかも知れませんが、実際にはそんなに怖いところではありませんよ。少なくとも生前よりは幾分マシだと思えるはずですし……」


 その発言はわたしには助け舟であったが、シスター、いや、ソフィリアさんには泥船な提案であった。ソフィリアさんからのヘイトが再び降魔さんへと向けられた。


「あんた何で私の名前を知っているの?まあ、今はそんなことはどうでもいい。気に食わないが、その口ぶりを聞いて確信したよ。私はやっぱり死んだ。そういうことなんだな……」


「流石シスターさん話が早くて助かります。そうです。あなたは死にました」


 降魔さんの淡々とした「死にました」という発言を聞くと、ソフィリアさんは手に持っていた煙草を床に落としていた。いくら、シスターといえど、やっぱり、ショックだったのだろう。5秒程の沈黙があった。その5秒という時間は彼女には相当長い時間だったのだろう。死んだと言われて動揺しない人間は普通では考えられないからだ。ソフィリアさん我に返り床に落ちた煙草を踏みつけて火を消した。そして、降魔さんの方を見つめながら今にも消えてしまいそうな小型犬のような表情で再度確認の質問をした。


「もう一度だけ訊きたいが、私が死んだのは本当か?」


「……本当です」


「…………」


「やったー!私の勝ちだー。ざまあみやがれていうんだ」


 私は彼女の満面の笑みをここで初めて見た。どうやら、わたしの見立ては間違えていたようだ。ソフィリアさんはショックで煙草を落としたのではなく、死によって生前から開放されたことによる喜びからきたものだったらしい。この世界に来てからそこそこの年月を経た、わたしにはこういった感情の理解はどうやら乏しい様だ。歓喜の余韻に浸って満足したのかソフィリアさんは思い出したかのように、再び怒った表情を作り降魔さんに問いかけた。


「そうだ。忘れてた。それより、私が地獄行ってどういうことだよ。さっき、あんたも言ってただろう。生前より地獄の方が幾分マシってな。それなら、私が地獄に行くってのはおかしいだろう。あんたの言い方だと生前苦労した人間は地獄行みたいに聞こえる。その理屈は通らないだろう。それに、私は生前まではシスターだ。天国に送れとは言わないがもう少しマシな対応の一つや二つあってもいいだろう」


 彼女の言い分は全うだ。だが、降魔さんもベテラン案内人。何かしらの意図があり、それに即した発言をしているだろう。わたしは降魔さんの出方を見るため彼の表情を伺った。降魔さんの表情は凄く嫌そうな顔になっていた。その表情はまるで苦虫を噛みしめたような、凄く微妙な感じだった。


「はあー」


 辺りから大きなため息が聞こえた。ため息の主は当然降魔さんだ。降魔さんは堪忍したような諦めた表情で気怠げに話し出した。


「まあ、あれですよ。地獄と言ったのは半分冗談ですよ。地獄なら私の裁量で審査せずに送れますからね。事務的負担の軽減にうってつけなんですよ。それにあなたにとっても悪いことばかりではありませんよ。今ならどんな悪人でも3段階ある地獄の中で一番軽い地獄である梅地獄に落としてあげるという最大限の善処をしてあげる訳ですから、どうです、私の提案を受ける気はありませんか?」


 ……残念なことに何の意図もなかった。降魔さんの言っていることを平たく言うなら楽したいから地獄に送るということだろう。わたしはただただ呆然としてしまった。


「そんな地獄行が確約された提案を受ける訳ないだろう。あんたみたいな提案するのは詐欺師と相場が決まっているんだよ」


「そうですか……。それはとても残念ですね。まあ、神の聖職者であるシスターをはばかることはできませんね。しょうがないから今日はしっかり仕事をするとしましょう。本当、不本意ですが……」


 そう言うと降魔さんは重い腰を上げてゆっくりとソフィリアさんの方に歩みだした。


「辻屋さんあなたも来てください。今日は大変かも知れませんが、頑張ってくださいね」


 ソフィリアさんの前で歩みを止めると降魔さんは人の全身が映る程の大きな鏡がある方の壁を指さした。


「では、鏡の前に立ってください。そうすると、我々はあなたの過去に行くことができます。それを見た上であなたの行き先を決めます。天国か地獄、またまた現送りか……」


 ソフィリアさんは、一瞬目を閉じた後、胸の十字架に手を当て意を決したように鏡の前に向かった。鏡の前に彼女が立つと彼女は一瞬の内に消えた。正しくは消えたというより、吸い込まれたという方が正しいかも知れない。


 ソフィリアさんが吸い込まれた後、わたしは降魔さんに尋ねた。これが過去に入れる鏡なんですね。初めて見ました。ところで降魔さんに一つ伺いたいのですが、「降魔さんには彼女の過去が見えていたのですか。彼女に生前の生活より地獄の方がマシと言っていましたし、本当は何か知っていたりするのでしょうか?後何より気になっているのですがわたしが案内人補佐官とはどういうことでしょうか?わたしは案内人ではないのでしょうか……」


「質問が多いですね。最初の質問ですが、私は彼女の過去は何も知りませんよ。でも、彼女を見たらある程度の推測はできますよ。シスターなのに人前で煙草を吸う。別に修道女の喫煙が禁止されているということは一般的にはありませんが、それでも、我々の目の前に現れても平然と吸っている様子やあの性格ですよ。どう見ても順風満帆な人生を送ってきた人間に私は見えなかった。だから、そう言っただけです。」


「あと、あなたは案内人ではなく案内人補佐官です。案内人は恣意性の介入を防ぐために2人以上で行うことが多いです。要は私の補佐官の後任が空いたからあなたが採用されたということです。そもそも普通はいきなり案内人にはなれませんからね。まあ、あなたのように天国出身の案内人希望者は希少なので近い将来、そうですね……数百年もあれば恐らく案内人になれると思いますよ」


「そ、そうなんですね……」


 わたしはショックで膝から崩れ落ちた。今までの苦労は何だったのか。また数百年も辛抱しないといけないと思うとただただ、やるせない気持ちになった。降魔さんはそんなわたしを見て手をパーンと二度叩いた。


「無駄話はこれぐらいにしといて、早く仕事に行くとしますよ。残業は御免なので手っ取り早く終わらせるとしましょう。さあ、鏡の前に立ってください」


 わたしは促されるままに降魔さんの隣で鏡の前に立つとソフィリアさんと同様にあっという間に吸い込まれたのであった。

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