第2話
なんだか面倒なことに巻き込まれた気がする。なぜ、俺が探偵の助手なんかになるんだよ、と思わずにはいられなかった。正直嫌である。
だが、
「気が向いたときに来てくれたらいいからさ。少し僕の手伝いをしてもらうくらいだから。そうだ、来てくれたら自由にあまめと遊んでいいよ。碧君、猫が好きだったよね」
と探偵に言われた。
最後の言葉はずるい。あんなにもかわいい猫と遊んでもいいと言われたら、嫌でも行く以外の選択肢はない、と自分に言い聞かせる。
という訳で昨日に引き続き、ここに来てしまった。ドアを開け中を見ると、探偵は仕事用の机に向かってなにか作業をしていた。
「やあ、おはよう」
「おはようございます。なにをしているんですか」
「スケジュール調整だよ。こう見えても意外と忙しいのだよ。もう少ししたらお客が来るからあまめをよろしくね」
探偵がそう言い終わると、探偵の膝の上からあまめがひょいと下りて、こちらにテクテクと歩いてきた。
めっちゃかわいい、と思いながらあまめを抱き上げる。そのとき、ドアが開く音が聞こえた。振り返ると若い女性が立っている。
「いらっしゃいませ」
若い女性は促されるままソファに座った。探偵はキッチンで作業をしながら、俺にあまめを抱いたまま女性の対角に座るように言われたので、仕方なく座る。
その女性は二十代くらいであり、どこか悲しげな表情をしている。
「今日のご用件は、結婚相手の方が不倫をしているかの調査とその証拠がほしい、というものでしたよね。もしよかったらどうぞ」
探偵は女性に、白いティーカップに入った紅茶を差し出した。
女性は出された紅茶を見つめたまま、小さな声で話し始めた。
「そうなんです。夫が不倫をしている気がするんです。でも、確証はなくて」
女性によると、不倫を疑いだしたのは今から三ヶ月前のことらしい。
きっかけは、家に帰ってくるのが急に遅くなったり、家では今までと違い全く会話をしてくれなく、スマホばかり見ているという。しかも、理由を尋ねてもはぐらかされ、スマホでは知らない女性と、仲良さげに連絡をしているといった具合だそうだ。
そのため、女性は不倫の証拠を得るために、いろいろと試みたらしいが、スマホを背後から盗み見るくらいのことしかできなかったという。なんの成果も得られなかったので、この探偵を頼ることにしたというのが一連の流れだ。
「そうなのですね」
探偵は女性に同情するようにそう言った。そして、少しの間天井からぶら下がっている照明を眺めて後、急に女性を見て尋ねた。
「お相手の方の日々の行動を教えてもらえますか」
「それなら、簡単にまとめたものがあるので、もしよければどうぞ」
女性は手提げかばんから紙を取り出し、机の上に置いた。
「とても助かります」
探偵は笑顔でそう言って紙を見た。
その紙には、女性の結婚相手の方の起床時間や家を出て会社に行く時間から、日々のルーティーンまで細かく記されている。
「電車通勤か」
探偵はそうつぶやいてから、また照明をしばらく眺める。そして、なにか思いついたように女性を見て言った。
「私なら二日か三日あれば終わりますね」
その言葉を聞いて女性はとても驚いた。
「本当に、そんなすぐに終わるんですか」
「もちろんです。私にお任せください」
探偵は自信に満ちていた。
そして、また土曜日がやってきた。俺もまたこの探偵事務所にやってきた。なぜかというと、不倫についての報告を聞くためである。女性の都合で今日がその日になっていた。やっぱり結果は気になるし、探偵の実力も気になる、という思いがあったからだ。
ドアを開け中に入ると、探偵は調査報告の準備で忙しそうにしていた。そのため、俺はあまめと遊び、女性が来るのを待つことにした。
俺が猫じゃらしを上下に振ると、あまめは飛びかかった。その姿もまた愛おしい。
そうして遊んでいると、ふとあの疑問が湧いた。
「そういえば、なぜあまめという名前なんですか」
俺の質問に探偵は嬉しそうに答えた。
「それはね、甘いと豆を足して作ったからだよ。スイートピーという花は知っているよね。そのスイートピーはスイートが甘い、ピーが豆と意味らしくてね。だからあまめにしたのだよ。僕、スイートピーが好きだから。ちなみに、灰色のスイートピーの花言葉は、優しい思い出や永遠の喜び、だそうだよ。素敵でしょ」
「とても素敵です。いい名前ですね」
俺はあまめをなでながら言った。
思っていたよりも深い意味が込められていて、少し驚いた。ただ、なんだか優しい気持ちになった。
それからしばらくすると女性がやってきた。
そして、あの日と同じようにみんなが座ると、探偵は話し始めた。
「私の調査によると、やはりお相手の方は不倫をされているようですね。他の女性の方ととても親密な間柄であるようでした」
そう言うと、机の上に女性の結婚相手の方と他の女性が写った写真十枚程と、一台のスマホ、それから六桁の数字が書かれた小さな紙を置いた。
「これが頼まれていた、お相手の方が不倫をしているという証拠です。スマートフォンの中身も大切な証拠ですからね。そのスマートフォンのロックを解除するための番号がこちらです」
探偵はあの数字が書かれた小さな紙を指差した。
探偵の言葉を聞いた女性は、とても悲しげな表情をしていた。
「具体的な説明もできますけど、聞きますか」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございました」
女性は小さな声でそう言うと代金を支払い、証拠品を手提げかばんに入れた。そして、探偵と俺に見送られながら、足早に帰っていった。
女性の見送りが終わると、俺は先程から気になっていたことを探偵に尋ねた。
「あの、どうやってスマホとか暗証番号を手に入れたんですか」
すると、探偵はニコニコして答えた。
「それはね、スマートフォンはすった」
その言葉を聞いて俺は固まった。「すった」の意味がそのままの意味なら、明らかな犯罪だろ、と突っ込まずにはいられなかった。
俺がいろいろと考えている間にも、探偵は話を続ける。
「スマートフォンをリュックサックの横のポケットに入れる人だったから、楽で助かったよ。歩いているときに、追い抜かすだけですれるからね」
探偵は終始笑顔で話す。
「それから、番号は盗み見た。これも運よく電車通勤だったから、楽だったよ。結構人が乗っていたから見放題みたいな感じだったね。碧君も気をつけた方がいいよ。電車の中でスマートフォンを見るときは、周囲の人に自分がどんなことを見て、入力しているかを知らせているようなものだから」
誰が言ってるんだよ、と思いつつ、本当にこの人は一体どういう考えをしているのだか。探偵とはこういうものなのだろうか。いや、そんなはずはないよな、と思っている間に頭が混乱してきた。
そして、俺は恐る恐る探偵に尋ねた。
「それって、捕まったりしないんですか」
「うん、捕まるね。たぶん。でも、バレなければ大丈夫だよ」
いや、バレるとかバレないとかの問題じゃないだろ、と思う。あと明るく、さわやかに言うことでもない。
「もちろん、バレないように工夫はしているよ。例えば、防犯カメラの位置を入念に確認したり、手袋をしたり。まあ、バレなければいいのだよ。バレなければね」
なんだか関わってはいけない人に、関わってしまった気がするし、聞いてはいけないことを聞いてしまった気がする。
「今のこと、俺に話してもいいんですか」
「もちろん、いいに決まっているじゃないか。だって、君は僕の助手だからね」
助手ってそんな感じなの、と心配になる。とにかく、この話をしているとなんだか、よくないことを聞いてしまうので話題を変えよう。
「そういえば、さっきの女性、とてもショックを受けているようでしたが、大丈夫でしょうか」
「不倫関連のときは、みんなあのようになるよ」
探偵は先程と打って変わって、興味なさげに言った。
「それに毎回依頼者に同情していたら、きりがないよ」
「探偵という仕事は大変なんですね」
俺の言葉を聞くと、探偵は不敵な笑みを浮かべた。
「まあ、大変だね。だけどね、人の不幸は蜜の味というじゃないか。僕にとっては人の不幸は蜜の味なんてものじゃないさ。なんというか、もっと甘く得体の知れないなにかだよ。だから、僕はこの仕事を続けることができる」
探偵の目は黒かった。光をすべて飲むような黒だ。いつもの優しさはなく冷酷そのもので、視線は凍えるように冷たい。俺は知らない間に恐怖を感じていた。
この人は一体なにを隠し持っているのだろう。
次の更新予定
2025年12月31日 15:38
83番目の軌跡 @koruzirine
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