83番目の軌跡
@koruzirine
第1話
ビスマスの結晶はやっぱり美しい。
そのようなことを、化学実験室の椅子に座っている俺は思った。
なぜ、このように美しい色そして形になるのか、本当に不思議である。極めて一般的な金属が加熱し、冷却するだけで全く別のものになるなんて、本当に驚きである。
俺は高校に入ってから科学部に所属しているが、理科が好きという訳ではない。イオンとか、なんとか結合とか目に見えないことについては、どうも興味が湧かない。ただ、こういった実験は変化が見てわかるので好きだ。だから、高校では科学部に入った。
入学してすぐ入部したので、もうすぐ入部七ヶ月といったところだが、今でもこう思う。
ビスマスって本当に不思議。やっぱり実験って楽しい。
ビスマスで盛り上がった週の土曜日、俺は見ず知らずの土地にいた。なぜ、そのような場所にいるのかというと、これが俺の趣味だからである。見ず知らずの土地を散策することは、新しい発見がたくさんあり案外楽しいものである。
元々は母親に家でダラダラしていたのを怒られ、仕方なく始めたことだった。だが、やってみると意外とはまってしまい、今では休日の日課となっている。
今日は家から二駅離れた閑静な住宅街を散策する。
いつもと同じように周囲を見渡しながら、ゆったりと歩く。長い夏がようやく終わり、秋が深くなってきたので少し肌寒いが、日の光が気持ちよい。
そのようなことを考えていると、脇道から灰色の猫がひょいと現れた。かわいい、と思わずにはいられない。俺は無類の猫好きだが今、目の前にいるような大きく、丸々とした猫が特に好きだ。
かわいいな、と何度も思いながら猫を眺めていると、首輪をしているのが見えた。どこの家の猫なんだろう、と思いながら心配なので後をつけることにした。ちょこちょこ歩く姿がとても愛らしい。
しばらく後をつけて歩いていると、猫は急に進路を九十度変え、ドアに付いてある猫専用らしき扉から建物の中へと入っていった。
かわいかったからもっと見ていたかったのに、と思いながら目線を上げ、猫が入っていった建物を見た。
その建物は家といった感じではないが、なんの看板もなくとても異質であった。
赤レンガ造りの二階建てで、壁の所々に植物のつるが巻き付いており、年季を感じる。ただ、それ以上に異質だと感じる原因は二つある。
一つは、建物の両側が空き地であるということだ。周囲は家で埋め尽くされており、空き地は見当たらない。公園といった感じでもなく、背の低い雑草が生えているだけである。
もう一つは、道路に面している壁とドアの全てがガラス張りであるということだ。猫が入っていったところは木製であったが、他の全てがガラス張りである。
どうやら、そのガラス張りの壁は棚のようになっていて、都会でよく見るショーウィンドーのようである。そこには小さな観葉植物や、オシャレな地球儀、ガラス製のかわいらしい温度計など、本当に様々なものが置かれている。
置かれているものに規則性はないものの、どことなく美しく魅力的だ。
ただ、そのせいで中の様子は全く見えないが。
他にはどんなものが置かれているのだろう、と思いながら見ていると、アレが置かれていた。そう、ビスマスの結晶である。しかも、色と形ともに完璧である。やっぱり美しいな、と思っていると
「そこの君、これを少し持っていてくれないかな」
と声を掛けられた。
あまりに急なことだったので、ビクッとなった。
声のした方を見ると、スーパーなどで売っている五キログラムの米を抱えた、若い男性が立っている。
その男性は俺の目の前に米を差し出してきたので、俺は意味がわからないまま受け取る。そうすると、男性は背負っていたかばんを下ろし、その中をゴソゴソと漁り始めた。
改めて、男性をまじまじと見る。
歳は二十か三十代くらいで、丸い眼鏡を掛けている。しわのない純白のシャツに灰色のベスト、ちょうどよい丈の深い紺のズボン。さらに、しっかりと締められた青のネクタイと、とても整った服装をしている。
ただ、服装の整然さに反して、髪には寝ぐせがありボサついている。
服装と髪への気遣いがあまりに違うので、不思議な人、という印象である。
そのようなことを考えていると、男性はかばんから鍵を取り出し、あの建物のドアにその鍵を差した。
この建物の関係者なのか、と思っていると、男性は俺から米を受け取った。
「ありがとうね。安かったからつい大きいものを買ってしまってね。本当に助かったよ」
そして、ドアを開け建物の中へと入ろうとしたとき、
「ただいま、あまめ」
と満面の笑みで言った。その目線の先には、先程の灰色の猫がいた。どうやら、飼い主のようだ。「あまめ」というのは猫の名前らしい。どういう理由で、付けられたのかはわからないが。ただ、あまりのかわいさに見とれてしまう。
「君は猫が好きなのかい」
「大好きです」
男性からの問いに、俺は反射的にそう答えていた。
「ならば、休んでいくといいよ。お米を持ってもらったしさ」
男性は嬉しそうに言い、俺を建物の中へ招き入れた。
建物に入ってすぐの部屋は、やはり家という感じではなかった。
右手の奥に仕事用らしき机と椅子、手前には接客用らしき長いソファが、小さな机を挟んで向かい合うかたちで置かれている。また、左手にはキッチンと小さな冷蔵庫が置かれている。
また、天井からは色とりどりのガラス製のカバーで覆われている照明がぶら下がっている。そのため、床は鮮やかに輝いており、なんだか別世界にいるような気持ちになる。
「好きなところに座っていいよ」
男性は米をキッチンに置いて言った。そして、キッチンでなにか作業をし始めた。その足元にはあまめがいる。
男性に言われるまま、ソファに座り部屋を眺めていると、男性が
「ココアは好きかな。もしよかったらどうぞ」
と言って、俺の前にココアの入った陶器製の黄色のカップを置き、俺の向かいのソファに座る。その隣にあまめも座り、丸まった。
そして、男性は俺に名刺を差し出した。
名刺を見ると、探偵という文字が目に入ってきた。
「自己紹介が遅れたね。僕は
俺は探偵という言葉に驚いた。人生で初めて探偵に会う。
「まあ、探偵といっても不倫調査やペット探しが主な仕事だよ。小説とかのように、殺人事件の調査や推理なんてやらないよ。最近ではほとんど何でも屋みたいになっていて、子どもの見守りや草抜きを頼まれたりすることが多いけどね」
俺が呆気に取られていると、探偵は俺の顔を見て少し照れた様子で言った。
こういう人が探偵なんだな、と思った。ただ、妙に納得できる。
すると、突然ドアが開きおばあさんが入ってきた。手にはダンボール箱を抱えている。
「あら、お取り込み中だったかしら」
「そんなことないですよ、
そう言い、探偵はソファから立ち上がった。すると、山口さんは手に持っていたダンボール箱を探偵に渡した。
「みかんをたくさん頂いたからおすそ分けしに来たの。黒井ちゃんにはいつもお世話になっているからね」
「いいのですか。ありがとうございます」
探偵は笑顔でそう言った。
本当に探偵なんだ、と改めて思っていると、山口さんがこちらを見て、
「あの子はお客さんなの」
と探偵に尋ねた。
「違いますよ」
「ならば、助手さんでしょ」
助手という言葉に耳が引っ掛かる。
「助手でもないですよ。彼とは今そこで偶然出会っただけです」
「そうなの。黒井ちゃん、この前助手が欲しいみたいなこと言っていたから。一人では大変だって」
「そうですけど」
そう言って探偵はこちらを見て少し考えてから、なんだか楽しそうにニヤニヤしながら、
「そうですね。一人は大変ですからね」
と俺の目を見てつぶやいた。
なんだか嫌な気がする。
「君、名前をまだ聞いていなかったね」
「俺は
探偵はさらにニヤニヤして言った。
「碧君、僕の助手にならないかい」
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