わたしとマナミとかなちゃんと私
小此木尋瀬
20221102230149
「紅生姜。使うでしょ」
「使う使う。……七味はいらないって」
夜10 時前、駅で鉢合わせたわたしたちの夕ごはんは牛丼に決まった。
説明会を 3 個はしごした後大学で 5 時間ほど勉強したわたしと、昨日も一昨日も 3 時間睡眠、からの休憩なし 5 時間の飲食店シフトを終えたマナミ。そんな 2 人には、作り置きのおかずを温めなおすことすら億劫だった。
紅生姜の容器に添えられた赤い瓶を卓上調味料のトレーに戻しつつ、真っ赤に染まったマナミの丼ぶりに目をやる。
「加減ってものがあると思う…」
「かなちゃんがそれ言う?」
笑いつつ、マナミの視線がわたしの手元に落ちる。確かにちょっと、ほんの少しだけ、ピンク色が多い気がしなくもない。
店内で流れる 10 年前のヒット曲と、間断なく箸先が食器を叩く音。店員さんは奥の人と
レジの人の 2 人だけで、カウンターのこちら側には人けがない。わたしとマナミ、それに離れた場所におじさんと大学生が 1 人ずつ。
なんとも言えない空間だ、ここ。
「カガミさんの調子はどうですか」
語尾を下げずにマナミがそんなことを訊いてきたとき、わたしの牛丼大盛りには生卵が
投入されていた。マナミはキムチをトッピングして、追いで七味をかけている。お腹、大丈夫なのかな。
調子、というのは言うまでもなく、就活と進路の話に他ならない。
「カガミさんはもう消化試合みたいなものですが……あぁ、でも今日行ったとこ面白そ
うだったよ」
「観光系は大変って聞くけど……」
「大丈夫なのかなぁ」と心底心配そうに箸先でキムチをつつくマナミ。わたしは割り箸を匙に持ち替えて、流し込むように丼をかき込む。激務が心配というのはお互い様で、入社前の新人に研修と称して仕事を依頼してくるようなマナミの職場も、わたしに言わせればちょっと不安だ。烏丸さんにかけられてる期待すごいから、というのがマナミの主張。なんかもう、やりがい搾取の匂いがぷんぷんする。
「烏丸さん……って、マナミのこと呼ぶ人見たことないかも、わたし」
そんなことを思いついて、ふと呟く。すると「えっ?」みたいな顔がこちらを向いた。わたしを左右対称にしたような仕草で、丼をかき込む手は止めていない。
少し考えるように水を飲み干して、一旦食べる手を止めるマナミ。
「そんなことないけど……?」
「え、そう?」
「うん。ゼミの人とかだいたい烏丸さん呼び。あ、室長って呼ばれてた時期もある。合宿の後特有のノリ、あるじゃん」
「へー、そう……なんか悔しいな。2、3 年『カガミ』だったんだよ、わたし」
「……その話はうん、思い出ってことで」
「思い出ねぇ」と悩み多き 3 年ちょっとを振り返りながら、わたしは熱い味噌汁を半分
飲み干した。「かなちゃん」が「カガミ」だったその時間は、マナミにとっては苦い青春の思い出らしい。ちょっとカガミって呼んでみてよ、とからかうと、例外なくマナミの顔は赤くなる。
わたしとしては、そんなに悪いものではなかったと思うのだけれど。
「でもさ、なんかこういうの、良くない?」
味噌汁を飲み切ったマナミの横顔を見ながら言う。「こういうのって?」と返しながら紙ナプキンを取って、マナミが軽く口元を拭った。
「こういうさ、いろいろあって忙しくても結局帰ってくるのはお互いの隣、みたいな。将
来のこと考えなきゃな時期だから、尚更」
相変わらず、細々とした雑音しか聞こえない店内にわたしの声が溶けていく。反響しない
言葉が届いたのは、きっとマナミに対してだけ。
わたしたちに無関心でいてくれる空間が、いまはとても心地よい。
「将来ね」
しっとりとした響きでマナミが相槌をうつ。最後の一口をかき込んで息をつき、わたしは水を一気に飲み干した。
「こういうのも今しかできないことだもんね。就活とかバイトでバタバタして、もう夕飯作りたくねー、よし牛丼行くか!っていうの」
「七味ドバドバも今のうちだけだから……。そのうち本当に胃を壊しそうで怖いんだよ、
マナミ」
「紅生姜モリモリはいいの?」
「紅生姜モリモリは体に良いから。多分」
多分……うん、わたしはまあほら、和食派だし。毎朝納豆食べてるし、健康だし。ただち
ょっと、マナミよりもアレルギーが多くて体調崩しがちなだけで、ね?
「……」
完食してから 1 分弱の無言を挟んで、手持ち無沙汰そうなマナミが肩を小突いてきた。
壁かかった時計の針は、もう 11 時近くを指している。帰ろうか?とわたしの方から切り出
して、若干重い腰を同時に上げた。
「ありがとうございましたー」という声を背に店を出る。と同時に、「はぁ」「やっべ」と漏らすわたしたち。
「お腹重い……」
「ね。あーくそ、帰ったらすぐ寝たいのに……」
目を擦りながら愚痴をこぼすマナミの顔は綻んでいる。満腹感と若干の後悔。わたしは胃の調子を、マナミは多分、明日以降のお腹回りを気にしながら、ため息を吐く。
「でもマナミ、明日空いてるじゃん」
「空いてる。……あれ、かなちゃんもだっけ?」
やっぱりだ。把握していなかったな、マナミ。
「そう。で、提案なんだけど」
「……なに?」とマナミが先を促す。嫌な予感を嗅ぎ取っているのか、目元の表情が少し
固い。
「家まで歩くの、どう?」
「却下だよ……」
珍しくきっぱりと拒否された。ちょっとだけ強引に、わたしの二の腕を取ってマナミが歩き出す。一歩一歩、進むたびに滑舌が怪しくなっていくあたり、本当に疲れているらしい。
停留していたバスに乗り込む。平日のど真ん中、夜 10 時のバスに乗り込む人は少ない。
おかげで、2 人がけの席をしっかり確保できた。
座る、と同時に、わたしの肩に頭を預けるマナミ。
「寝る?起こすよ」
「起きてる……かなちゃんも寝ちゃいそうじゃん」
目を擦って「目閉じてるだけだから」と微睡むマナミ。わたしのジャケットの肩に、うっすらとファンデーションの白い跡がついている。やったな、と思いつつ、マナミが実家に置きっぱなしにしたスカジャンを思い出した。
こんなことが前にもあったような、なかったような。わたしが借りた肩の白い跡に、こぼしたジャムを拭きとるように触れるマナミの姿が、不思議と記憶に残っていた。
「……寝た?」
「……」
寝た。
バスが走り出して 2 分で寝たね、マナミ。
家の最寄りに着くまでの 10 分弱、手持ち不沙汰になってしまった。こういうときに寝ち
ゃうのはだいたいわたし……なので、家の外でマナミの寝顔を見る機会はほとんどない。
しめた、と思って左側を覗き込む。
「っふふ」
……違う、今のナシ。どっからどう見ても不審者の笑いがこぼれた。
目を閉じて、緩みきった表情。でも口元はきゅっと閉じられていて、ときおり口角が上下する。
猫っぽい大きな目。
ちょっとだけ高い鼻。
右目に二つある、小さな泣きぼくろ。
……あ、まつ毛はわたしの方が長いんだ。
全体的にハッキリとした顔立ちなのに、どこか抜けている雰囲気のマナミの寝顔が、無造作に結いただけの髪と相まって、どうしようもなくわたしの体温を上げていく。
居眠りなんてできるわけがない。
午後 11 時のバスの中、寝静まったような静けさの中。
わたしの隣に、お姫様がいる。
わたしとマナミとかなちゃんと私 小此木尋瀬 @okonogi_0202
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