未知子とキラキラと私
杏樹まじゅ
未知子とキラキラと私
「ねえ、これ、なに?」
未知子と私、佐伯小春が最初に出会ったのは。
忘れもしない小学五年生の八月十二日。
「はっ、はっ」
茹だるような夕暮れの臭い。
さざ波みたいな蝉の鳴き声。
二階にある自室。
転がったリサちゃん人形。
開かれっぱなしのさんすうの教科書、五十六ページ。
「はっ、はっ」
私が親友の藤井由香を、ハサミで滅多刺しにしてから、七十五秒後のことだった。
「ねえ、ねえ。……ねえってば。これ、なに?」
「はっ、はっ……。なにって? ……ふうぅ……。親友だけど」
「しんゆう? しんゆうって、なあに?」
まだ息も整っていなかった。
いま、私は友達を殺した。ハサミで、何度も刺して。
この世で誰にも見られたくない瞬間のはず。
だのに、不思議と怖くもなければ、憎たらしくもない。
「あんた……だれ?」
「みちこだよ」
「みちこぉ?」
「うん。『未知との遭遇』の未知に、こどもの子」
私は、目の前に急に現れたその子を見る。
長い、金色の髪。腰まであって、くるくる回ってる。ちょうど、床に転がってるリサちゃん人形によく似てる。
青い目は、死んじゃったお父さんが昔くれた夢の国のスノードームみたいだ。
長いまつ毛がお日様の光を反射していて、スノードームに雪を降らせている。
──キラキラしている。
彼女に対する私の第一印象。
黒の地味なボブヘアに茶色の瞳、誰がどう見てもブサイクな私とは、何から何まで違って見える。
どちらかというと、足元で死んでる由香に似ていた。
ふわふわな髪に、長い手足。
いま、親友と答えておいてなんだけど。
べつに親友ってわけじゃあ、なかった。
◇
由香とは、幼稚園に入る前から一緒だった。
神様は残酷で、女の子みんなに『キラキラ』を平等には分けてくれるわけではないと、三つの頃に私は知った。
──違う? そう、あなたの中ではそうなのかもね。
けれど少なくとも、私と由香のキラキラは、ぜんぜん含有量が違った。
「由香ちゃん、いらっしゃい! 今日も可愛いわねえ!」
お母さんも、周りの大人はみな、由香しか見えてないみたいに振る舞った。
「うん、おばちゃん、おじちゃん、こんにちはー」
「あらまあ、お行儀よくて、いい子ねえ! お人形さんみたいじゃない!」
お母さんは由香を猫みたいに可愛がった。
死んだお父さんも、まだこの時は生きてて。
にっこりと目を細めた。
ともかくふたりは、由香に夢中だった。
なのに、私ときたら。
薄い三日月みたいな目。
子豚ちゃんってあだ名の鼻。
太くて硬い髪の毛。
大嫌いな顔をした私と対照的に、『ほしかった全部』を由香は持っていて、となりにいるだけで全てを比べられた。
そして、全てを奪われた。
「ねえねえ小春ちゃん」
彼女の言葉はよく効く呪文のよう。私を容赦なく強張らせる。
消しゴム忘れちゃった。貸して?
宿題忘れちゃった。見せて?
その髪飾り、ちょうだい?
彼女の要求は次第にエスカレートしていった。
終いには、こう言い出した。
ねえ、その好きな男の子。
──かっこいいの? プリ見せて?
由香はキラキラしていた。
いつだって、どんな時だって。
二週間後。
私の好きだった──まだ付き合ってすらいなかった──男の子を、彼氏だと紹介してきたときも。
つまるところ私の十一年の人生の大半は、由香と比べられ、由香に奪い取られる人生だった。
でも、それでも耐えて来られたのは、二年生のときにお母さんが再婚した新しいお父さんが、居てくれたから。
けれども、この日。
「パパ活?」
「うん、知らないおじさんと遊園地行ったり、レストランでご飯したりするんだけどね」
「へ、へえ。で、でも、そういうのって、先生にだめだって」
由香はすっかり遊んでばかりの女の子になっていた。
クラスの女子のカースト最上位に居座る彼女と違って、最底辺の私はしどろもどろに答えるだけ。
それに私は、さっきから嫌な予感がしてならない。
「佐伯さん……だっけ?」
「……は?」
いつものように私のためのお部屋で、私がやったさんすうの宿題を写しながら、由香はしれっと言い放った。
「昨日会ったの、小春の新しいお父さんだったみたい? なんだけど? ……聞いてる?」
◇
「おーい。おーい、小春ちゃーん? ……聞いてる?」
窓の枠に腰掛けて、未知子を名乗る女の子は退屈そうに話しかけてくる。
「なによ。……いま忙しいんだけど」
私は、いま猛烈に忙しい。
お母さんと新しいお父さんの寝室から持ってきたスーツケースに、由香を詰めたところまでは良い。
けど、床はまだ血塗れだし、凶器のハサミもそのままだ。
「もう、つれないなあ。……それはそうと、早くしたほうがいいよ」
「なにが」
「そこ、片付けてるんでしょ? お母さんがあと七秒で扉を開けて入ってきちゃうよ?」
「ええっ、どうしよっ。だってまだ──」
言い終わる前に、未知子はふわりと立ち上がると──由香と同じお花の匂いを振りまきながら──、あろうことかがちゃりとドアを開けて、お母さんの応対を始めた。
「お母さん!」
「あら、小春。由香ちゃんにケーキ買ってきたの。……あら?」
お母さんは不思議そうに部屋を覗こうとするが、未知子が視界を塞いだ。
「あら? 由香ちゃんは」
「由香なら、いまトイレに行ってる」
心の臓が握り潰されそうになりながら冷や汗を浮かべる私を他所に、彼女は顎でくいとトイレの方を示した。
「ケーキなら、私が由香に届けておくから。じゃあね?」
「え、ええ。わかった、ありがと、小春」
穴が空くほどに向けた私の視線をまるで意にも介さず、彼女はとんとんと歩いて、血塗れの床の上でへたり込んでいる私の前でしゃがんだ。
「あんた……。なんなの」
「私? 私は未知子。小春が知らないもうひとりの小春」
にい。
私には似ても似つかない歯並びの良い笑顔で、未知子は笑った。
◇
未知子の上手かつとても手慣れたエスコートを以て、私の殺人は明るみに出ることは、欠片もなかった。
由香は、確かに家を出たというお母さんの証言で、行方不明扱いになった。
床の血は、その日のうちに全部拭いた。
家の人はお母さんも新しいお父さんも、なにも気付かない。
二学期が始まって、私の机の下のスーツケースが臭い始めたこと以外は、全てが平穏に、過ぎていった。
「ねえ、未知子」
なあに。彼女は優しく笑う。
「あんたって、なんなの」
「んー……。未知との遭遇……かなあ? 小春の言葉を借りるなら、キラキラってやつ?」
私は笑った。
久々に、とても大きな声で。
私が苦手なお友だちとの関係は、未知子が代わりに出て応対してくれる。
でも、未知子は勉強が苦手だ。だから宿題は私がやる。不思議なことに、彼女が学校で覚えた内容は、私の頭の中に入っているから、それほど難しくはなかった。
嫌な宿題さえやってしまえば、ずっと私が好きなことが出来る。
鬱陶しいお母さんと新しいお父さんの相手は、全部未知子がやってくれるからだ。
今にして思えば。
この頃がいちばん幸せだったのかもしれない。
親友という呪縛から解き放たれて。
自由を謳歌出来て。
それに。
毎晩、未知子と寝た。
冷え切った私の手足とは違って、血が通って温かい手で、毎夜抱きしめてくれる。
私は、これが青春なのだと思った。
未知子という自分の片割れが抱いてくれるというこのことが。
──青春を、万能感を、そしてキラキラを感じながら息をしていた。
◇
「ねえ、ちょっとテスト勉強手伝ってよ」
三年後。
私と未知子は中学二年生になっていた。
私は、入学してから一度も学校に通っていない。
煩わしい友達付き合いもしなくていい。
それらは全部、未知子がやってくれている。
私は、宿題さえすましておけば、好きなことを二十四時間できる。
なにより、机の下の秘密に──もう臭いもしないが──気付かれないように、私は四六時中目を光らせていないといけない。
でもこの時期から。
未知子の様子が、いつもと違う。
私は、苛立っていた。
「いつも学校の授業、ちゃんと聞いてるの? 宿題もテスト勉強も難しくって、全然ついていけないんだけど」
「んー? うん」
ちょっと聞いてるの?
文句をぶつけても、どこか上の空。
「ねえねえ小春っち」
「なに、未知子」
ぼうっと、夜の空を眺めながら、分身は聞いてくる。
「今日さ、──されたんだ」
私だけの、大切な分身。
「ねえ、小春っち」
「え? なに?」
「──ねえ」
けれどそれきり未知子は、口を利かなくなった。
◇
好きな人が出来たという未知子は、どんどん綺麗になっていった。
家に帰ることも、段々と減っていった。
まあ、帰ってきたところで、私の言葉なんて、とうの昔に耳に届かなくなってるんだけども。
この前、言っていた彼氏を部屋に連れてきた。
ハマっていたK−POPアイドルグループ。華々しいセンターの子そっくりの男の子だった。
そしてふたりは、私の目の前で、私のベッドの上で。
抱き合い始めた。
「小春、好きだ、こはるっ!」
「私も……好きだよっ」
美しい未知子に、美しい彼。
誰がどう見ても、完璧な恋人同士だった。
もう、気が付いてた。
あそこで、恋人と身体を重ねているのが、佐伯小春。
今を生きる、私そのもの。
──じゃあ?
六畳のフローリングの上で、死体と息を潜めている私は?
生きてすら居ない……影。
私はいつの間にか、キラキラとは程遠い、影に成り下がっていた。
私は、お別れを伝えようと思った。
『幸せにね。未知子……ううん、小春』
……。
……と、その時。
◇
「ぎゃああっ」
彼が悲鳴を上げた。
同時に、首から血しぶきが上がり、天井まで赤い花を散らした。
「え」
私は、何が起きたかわからない。
カッターナイフをいつの間にか隠し持っていた裸の小春は、光の消えた目で、のしかかった身体をどかすと、動かなくなった『それ』を見ながら、呟いた。
「はっ……はっ。ふうう。地獄に落ちろ、強姦魔」
ふと、私が気配を感じて窓を見ると、綺麗になった小春なんか目じゃないくらい、文字通り美しいお姉さんが座っている。
「あんた……だれ?」
「みちこだよ」
「みちこぉ?」
「うん。『未知との遭遇』の未知に、こどもの子」
そう言うと、お姉さんはとんとんと、私と、裸の小春の前を歩いて、部屋の扉を開けた。
扉の前には、あの日のように、お母さんが立っている。
「あら? けんとくんは」
「けんとなら、いまトイレに行ってる」
彼女は顎でくいとトイレの方を示した。
「ケーキなら、私がけんとに届けておくから。じゃあね?」
「え、ええ。わかった、ありがと、小春」
◇
それから、小春は、キラキラした人生を謳歌した。その裏で、たくさんのいのちを消費しながら。
綺羅びやかな人生の裏側で。
たくさんのスーツケースに囲まれた影が、見ている。
キラキラをたっぷり含んだ小春を、見ている。
【完】
未知子とキラキラと私 杏樹まじゅ @majumajumajurin
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます