第5話 何もなかったことにする

 12月25日。

 クリスマス当日。

 私は海にいた。

 海と言っても、湘南とかオシャレな場所じゃない。

 東京湾の、工業地帯が見える殺風景な埠頭だ。

 なぜここに来たのか自分でもよく分からない。

 ただ、どこか遠くへ行きたかった。

 ユウトの生活圏内から離れたかった。


 スマホを取り出す。

 LINEの画面を開く。

 ユウトからのメッセージが溜まっている。

『昨日はごめん』

『言いすぎた』

『飲み直そう』

『既読無視すんなよ』

 必死だ。

 昨日の余裕はどこへ行ったんだ。

 私は無心でブロックボタンを押した。

 削除。

 さようなら。

 これで終わり。

 あっけない。

 一年間、あんなに悩んで、一喜一憂して、ドキドキしていた時間が、指先一つの操作で消滅した。

 デジタルな関係なんてこんなもんだ。

 リアルな繋がりなんて最初からなかったんだ。

「楽な関係」っていうのは、切るのも楽ってことだったのかもしれない。


 コンビニで買ったパンを袋から出す。

 冷たい風が吹いて、パンの袋がガサガサ鳴る。

 あんぱん。

 クリスマスの海で一人あんぱん。

 シュールすぎる。

 インスタにあげたら「病んでる?」って心配されるレベルだ。

 一口かじる。

 冷たくてパサパサしてる。

 甘さがしつこい。

 昨日飲んだストロングゼロの味が蘇ってくる気がして、ちょっと気持ち悪くなった。


「……クァッ」

 頭上で声がした。

 カモメだ。

 一羽のカモメが、私のあんぱんを狙って旋回している。

 目つきが鋭い。

 ハイエナの目だ。

「やんないよ」

 パンを隠すように背ける。

 でも、カモメは諦めない。

 仲間を呼び始めた。

「クァッ! クァッ!」

 数羽集まってきた。

 囲まれた。

 カツアゲかよ。

 人間の恋も終わってるけど、鳥の世界も世知辛いな。

 私は溜息をついて、パンのかけらをちぎって投げた。

「ほらよ」

 カモメたちが一斉に群がる。

 奪い合い。

 骨肉の争い。

 一羽がパンをくわえて飛び去り、残された鳥たちが不満げに鳴いている。

 その光景を見ていたら、なんか全部どうでもよくなってきた。

 私がこだわってたユウトとの関係って、このパン屑みたいなもんだったのかな。

 奪い合うほどの価値もない、ただの小さなエサ。

 それを「宝物」だと勘違いして、必死に守ろうとしてた自分が滑稽に思えてきた。


「……バカみたい」

 声に出して言ったら、涙が出た。

 昨日は泣けなかったのに、今は自然と涙がこぼれてきた。

 悲しいからじゃない。

 悔しいからでもない。

 ただ、軽くなったからだ。

 肩の荷が下りた。

「彼女になれるかも」っていう淡い期待も、「嫌われたくない」っていうプレッシャーも、全部なくなった。

 自由だ。

 クリスマスの空はどんより曇ってるけど、私の心は妙に晴れやかだった。


 残りのパンを全部ちぎってばら撒いた。

 カモメたちが狂喜乱舞して群がる。

「くれてやるよ! 全部持ってけ!」

 叫んだ。

 海に向かって。

 カモメに向かって。

 そして、記憶の中のユウトに向かって。

 私の未熟で、中途半端で、都合の良かった恋心。

 全部カモメの餌になればいい。

 消化されて、フンになって、海に落ちればいい。

 そうしたら、少しは海の色も綺麗になるかもしれない(ならないけど)。


 スマホが振動した。

 ブロックしたはずのユウトから……なわけない。

 着信画面を見る。

『サークルのグループLINE』

『今日暇人おるー? 飲み行こーぜー』

 誰かが呼びかけている。

 ユウトもそのグループに入っている。

 私はそっと「退会」ボタンを押した。

 サークルも辞めよう。

 新しいとこ探そう。

 あるいは、バイトを増やそう。

 何でもいい。

 ユウトのいない世界なら、どこだって新鮮だ。


 海風が冷たい。

 でも、昨日の夜の公園よりはマシだ。

 私は深く息を吸い込んで、潮の匂いを肺いっぱいに満たした。

 しょっぱい匂い。

 涙と同じ成分。

 これが私のクリスマスの味だ。

「……帰ろ」

 立ち上がる。

 お尻についた砂を払う。

 あんぱんの袋をゴミ箱に捨てる。

 その時、一瞬だけ振り返った。

 カモメたちはもういなかった。

 パン屑も残っていなかった。

 何もなかったみたいに、ただ灰色の海が広がっているだけだった。

「……バイバイ」

 私は誰にともなく呟いて、駅の方へ歩き出した。

 もしかしたら、来年のクリスマスは誰かと一緒にいるかもしれない。

 あるいは、また一人であんぱん食ってるかもしれない。

 どっちでもいいや。

 少なくとも、「都合のいい女」にだけはならないと誓った。

 私の20代最初の冬は、こうして静かに、そしてあっけなく幕を閉じた。


(おわり)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編】ちゃんと好きになる前に、終わっただけ 月下花音 @hanakoailove

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ