第3話 周知

千歳からの要求に対し、しばらく考え九郎が口にした条件は、至って単純だった。


「どうせ拒否権が無いので幾つか条件を。まず私の農作業を手伝ってもらいます」


千歳は、一瞬だけ目を見開いた。


「……それが条件か?」

「ええ。匿う以上、生活が乱れるのは困りますから。」


座卓の前、湯のみから立ち上る湯気の向こうで、幼女の姿をした元上官は小さく笑った。


「相変わらずだな、九坊。」


「貴女の教えですよ、『潜入するなら徹底的に溶け込め、田舎なら尚更だ』です」


九郎はそう言い切った。


「それと――」


少し言いづらそうに視線を外し、続ける。


「表向きは、私の知人の娘さんと、そのお付きの方、ということでお願いします」


「なるほど。身元不明の幼女と女が突然独身の男の家に居候、はさすがに目立つな」


「あと……出来れば年相応の振る舞いを。見た目は完全に10代なんですから。」


千歳は一拍置いてから、肩をすくめた。


「善処しよう」

「“善処”で済ませないでください、頼みますよ。ただでさえその見た目なのにオーラが出てますから…。」


ふっと、昔と同じ笑い方をする。


「安心しろ。閑院家の娘としての立ち居振る舞いは、まだ覚えている」


その言葉に、九郎は少しだけ胸を撫で下ろした。

元々、旧家の生まれの大佐はどんな所作や立ち振る舞いにも順応できる。


「それから、レイは――」


千歳は、背後に控えていた軍服の女に視線をやる。


「オフラインだ。追跡も、外部同期もない」

「……なぜ?アンドロイドの強みはオンライン下での戦闘展開なのでは?」


「追跡を切るためだな、元々軍属のアンドロイドだ。軍の追跡機能にかかればすぐに見つかる」


千歳は真っ直ぐ九郎を見た。


「九坊、お前にレイを付ける。戦争以外のものを、たくさん見せてやってくれ。

レイ、お前は私の護衛から少し外す。色々見て回れ。そして感じたことを教えてくれ」


九郎とレイは、黙って頷いた。


レイは少し考え込み、不思議そうに質問する。


「千歳様、ここに来られる前からとても楽しそうです。来てからもずっとです。我々は逃亡者のはず、追われる側は常にストレスが掛かるはずですが…何故でしょう?」


千歳は一瞬目を瞬かせて、そして答える。


「さてな、ただ、この気持ちが分かるようになった時、お前はもっと成長出来るはずだ。私はお前をただの戦闘用アンドロイドで終わらせるつもりはないぞ」


やはりこの方はあの大佐だ。

兵の成長を願っているし、例えそれがアンドロイドであっても一貫している。


だからこそついて行こうと、そう決めたのだ。



布団を敷き終えた頃には、すっかり夜も更けていた。


押し入れから出した客人用の布団を二組。使っていない部屋に敷く。流石に別の部屋だ。

あの後、散々大佐に同じ部屋でいいではないかと言われたが…。例え、義体化していてもアンドロイドでも彼女らは女性だ。


そういうわけにはいかない、断じていかないのだ。


「この布団、最後に使ったのはいつだ?明日干しておいてやる、後部屋が汚いな。農作業の代わりに綺麗にしておいてやる。こんな家にレディを二人も住まわせるつもりか?」


どうやら不満がある様だが、流石に男の一人暮らしにそこまで求められても困る。


レイは不思議そうに布団を見る。


「……これは、休息用の設備ですか?」


「そうだ。布団、と言う。横になって目を閉じると人間はエネルギーが回復する様にできている。お前は横になってスリープモードにしろ、コンセントは…あそこだな、充電設備はあそこにある」


千歳の説明にレイは素直に頷いた。


「理解しました」


そして、最後に一言。


「軍服は脱いで寝ろ、布団は清潔にして入るものだ。本来はパジャマと言う就寝専用の衣服があるが、ヤツの準備不足だ、仕方ないので本日は布団を汚さぬ様、裸で寝る事、いいな?」


「了解しました、その様に記録しておきます」


そう言って千歳は服を脱ぎ出す。続いてレイも軍服を脱ぎ出す。


「ん?どうした九坊、そんなところに突っ立って。やはり幼女…」


襖を思い切り締める。

昔からそうだ、とても旧家のお嬢様とは思えないほど鋭いジョークを飛ばしてくる。


「せめて出てから脱いで下さいよ…」


――明日、服を買いに行かないとな。このままでは俺が捕まってもおかしくない。

レイの軍服についた猫の毛もどうにかしなければ。


襖の向こうに一言声をかける。


「それでは、おやすみなさい」


「ああ、おやすみ」


自室に戻り布団に入ると、疲れが一気に押し寄せてきた。

天井の染みを見つめながら、九郎は目を閉じる。



――夢を、見た。


夜の闇。

砂の匂い。

銃声。


「お前よくも殺したな、俺を」


誰かの声。

反射的に身体が動く。


次の瞬間、視界が赤く染まった。


――目が覚めた時、心臓が早鐘を打っていた。


あれは誰だ



アラームが鳴る前に目が覚める。

薄いカーテン越しに、夏とはいえ朝4時台はまだ薄暗い。

しかし蝉の喧しいほどの鳴き声と燃え上がる直前といった朝の空気、今日もいい日になりそうだ。


今日は少し遅い。

早く出荷の準備を始めねば。


九郎は身を起こし、隣の部屋に目をやった。


――静かだ。


「……珍しいな」


大佐は、どんな戦地でも自分より早く起きていた。いや、寝ていたかも疑わしい、それが、当たり前だった。寝ている姿を見た者など殆どいない。


そんな人が起きてこないなどとは…。

少しだけ胸に引っかかるものを覚えながら、九郎は出荷の準備を始める。


茄子とピーマンを箱に詰め、軽トラックに積む。

いつもの動作。

いつもの朝。


軽トラックを発信しようとした時、ふと玄関先にレイが顔を出す。


無論、衣服という概念を完全に忘れた形で。


「九郎様、付き添った方がよろしいでしょうか?」


「いや、結構だ。出来れば帰ってくるまで大佐の護衛を頼む。このままお前について来られたら、俺はそのまま警察の世話になってしまう」


「何故です?警察如きなら私が全員叩き潰せますが…」


「頼む、今日は無理なんだ、すまん」


慌ててアクセルを踏み込み、見事にエンストさせる。

アンドロイド相手に何を動揺してるんだ。


道の駅に着くと、予想通りだった。

一瞬でおばさま達に取り囲まれる。こう言う時の彼女らは特殊部隊も凌駕する動きを見せる。


「九坊!」

「和田さんの奥さんに聞いたわよ!誰なの、昨日夜に玄関にいた可愛い子達は!」

「今日という今日は白状させるわよ!」


凄まじい勢いだった。あっという間に、包囲網ができる。


尋問、追及、詮索。

もはや扱いは犯罪者、向こうは鬼の首を取ったかの如くであった。


それでも荷を下ろしてからの動きは達人じみており、あっという間に棚に商品が並べられた。


どうにも解放されそうになかったので一言。


「戦地の知人の娘を疎開させる事になりまして、その侍女の方が一緒に居候しています。俺も男一人で必要な物がさっぱり分からず…ぜひ皆さんうちに来て話してあげてくれませんか?」


かえって隠そうとするから怪しまれるのだ。こうやってむしろ引き込んでしまえばいい。


あと、大佐へのちょっとした反抗だ。


「あとで家、見に行くから!」

「お茶ぐらい出してよ!」


そんな声を背に受けて、家に帰宅した。



午後、襲来したおばさま達の勢いはもはや災害級の勢いであった。しかし、どの質問に対しても大佐は完璧に返答をしていた。

レイはまだ対応させられないので少し下がっていてもらった。あと、服がない。


「初めまして。アナスタシアと申します」


それは昔、大佐が飼っていた猫の名前だ。


「あらまぁ、品がいいわねえ。日本は初めて?」

「いやよね、こんな男の一人暮らしの家に、うちにいつでも遊びに来て良いのよ」

「洋服は?ちょっと九坊、だめじゃない揃えておかないと。今からでも買いに行って来なさい」


一時間ほど質問攻めにした後、満足したのか皆帰宅していった。


「どうだ?私の幼女っぷりもなかなか上手かっただろう?」


「悔しいですが完璧でした、流石に伊達じゃありませんね」


出していたお茶と御茶菓子を片付けながら大佐に声をかける。


「大佐、ちょっと付き合ってもらえませんか?大佐とレイの服を揃えなければ。犯罪者はごめんです」


「任せておけ、レイのサイズは把握している。私の服を九坊が選んでも良いんだぞ?」


「……勘弁してください」


少し遠出して大型ショッピングセンターに行くとしよう。

レイには申し訳ないが留守番をしてもらう。


間違っても人が訪ねて来ても対応しない様に伝えてから。



記録ログ


『夕方、九郎様と千歳様が買い物から帰られた。

軍服以外の服に袖を通すのは初めてだった。九郎様がしつこく下着なるものを着用しろと言ってきたので仕方ないので着用した。

後ろで千歳様はとても楽しそうであった。

明日は九郎様の農作業を手伝うこととなった。作業服もあるらしい。農作業とやらを実施するのは初めてだ。

今、私のメモリには戦闘データが殆どを占めている。どうやって殺すか、破壊するか、それだけ。』


夕方、レイは九郎の家の裏手の川沿いの土手を散歩していた。


舗装の緩い道。

遠くでなにかの吠える声。

沈む夕日、センサーで感じる風。


視界に映るものを、静かにマッピングする。


「レイ」


そう呼ばれた音声データが、何度も再生される。


これまで、自分は“個”ではなかった。

番号だった。

機能だった。


名乗るのは自由だ、だがそれを相手が呼んでくれるとは限らない。

しかし、ここでは九郎様が、千歳様がそう呼んでくれる。今日は出してもらえなかったが、きっとあの訪ねて来た方々も。


それに、猫。


猫に触れた時、胸部フレームに走った不可解な反応。

温度でも、圧力でもない。


――何か。


「……」


レイは、空を見上げた。


プログラムにはない、不思議な感覚が、静かに芽生えていた。


「今日も帰ったら猫との戦闘訓練をしなければ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2025年12月23日 08:00

一切唯心造、されど魂は躍る SHIROKI @mugiyan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ