「大人」って何?

taktak

「大人」って何?

 モヤモヤした気持ちを抱えて、私はカフェで時間を過ごす。

 

 片手にはマグカップ。豊かな豆の香りは素敵だけど、私の猫舌は黒琥珀を嫌がってる。

 もうちょっと冷めるのを待とう。


 テーブルにはスマホ。画面にはオープンAIの回答が表示されている。

 ついさっきまで、人間関係についてAIに相談してた。

 ちょっとしたすれ違い、主義主張のズレ、思想の差異。

 よくあることだよね。職場だけじゃない。家族、友人、恋人……犬猫だって一人ひとりが自分の価値観に従っている。


 私はAIにそう言ってみた。

 そうしたらAIはこういった。

「うん。君はかなり『大人な受け止め方』をしているよ。」


 さすが、私の相棒。褒め方をよく知っている。


 でもさ……『大人』って、なに?


 怒ってるんじゃないの。

 本気でわかんないから、聞いてんの。

 

 きっと友達にこんなこと聞いたら

『じゃあ、AIに聞いてみたら?』

 って笑われる。

 いや……うん……そういうことじゃなくてさ……。


 この年になって……『大人』が分からない。

 

 昔は、年齢が上がると……

 ――自然に世知辛い世間にこなれて、

 ――物事に動じなくなって、

 ――道理をわきまえた所作ができるようになる。

 ……そう思ってた。


 でもさ……いつまでたってもそんな瞬間、来ないんだ。


 いつも何かに苛立ってて、合わない人や環境に不平不満を口にする。些細な事で優しさを忘れちゃって、気がつけばいつも利己的で……。


 こんな私のどこが『大人』なんだろう。

 あ、ちゃんと税金も社会保険料も納めているよ?

 でもさ、ちっとも『大人』じゃ無い。

 

 でさ、『素敵な大人』たちの真似をしてれば、いつか自分もそうなれるかなって、お手本を見習おうとした。


 でもさ……どこにもいないんだよ、『素敵な大人』。


 現実の大人。

 皆、顔を上げて周りをよく見て。

 

 道ゆく人は暗い顔。上司、同僚、なんぼのもん。

 明るいイベントの裏には、計り知れない苦労が満載。

 飲み会、雑談、家族の会話。

 みんな誰かに不平を漏らし、みんな誰かに依存してる。

 

 確かにフィクションの中にはいますね、『理想の大人』。漫画やドラマ、映画にも。

 でも結局、フィクションじゃん。

 願望の偶像であって、リアルじゃ無い。

 

 雑誌やテレビ、メディアを見てれば出てくる?

 そうかな?

「それはそれは素晴らしいどこそこの誰かさん」。

 何年後かには「有名人の凋落」って、ネットのおもちゃになってるよ?


「自己啓発本や動画で勉強しよっか」?

 ……マナー講師の嘘って記事、見たことある?

「中身で勝負」って本の横に「見た目がすべて」って本が置いてあったよ?

 動画?……まず、この人誰ですか?

 あれれ?いつのまにかチャンネル消えてる?


 さて……どれを信じよう?


 世の中には『あの人、すごく大人だね!』って褒められている人もいる。確かにすごい人。お手本にするならこういう人。

 

 でもさ……そういう人って、大体無理してる。

 

「あなたは大人で素晴らしい!」

 そう褒めそやかしながら、みんな自分の難問を次々持ちこむの。

 優しいその人は、苦笑しながらそれを受け取って、必死にそれをこなしてる。

 みんなのため……会社のため……社会のため……って。


 でも遠巻きに見ていると、見えちゃうの。

 その人の家族が……その人の周囲の人が……その人自身の人生が……犠牲になってる。

 それをお涙頂戴で称賛し、結局苦労はその人に。


 ……非難してんじゃないの。自己嫌悪。

 申し訳ないって思いながら、私もそうしちゃうから……。


 こういう優しい人を「大人だね!」って称賛するのは嫌い。


 私は言いたい。

「ごめんなさい。いつもありがとう。」

 そして、

「次は自分で頑張るね。」

「もう大丈夫。私が変わってあげるから。」

 ……そう言えるようになりたい。

 

 でもみんな、その道を通ったはずなんだ。

 そして結局、また同じ場所に戻ってくる。

 私もそう……。


 結局、誰かに頼って押し付けて、いつまで経っても自立できない。


 結局……私は『大人』じゃない。


 ……。


 少し冷めたコーヒーは、口に含むと深い味わいが広がった。熱々よりもこっちの方が好き。

 ため息ひとつ、カップを両手で包んで考える。

 小さい頃は、ブラックコーヒーが飲めたら、大人だと思ってたんだけどなぁ……。


 

「よっ、お待たせ。……なんか渋い顔してんな。」


 頭をコツンと叩かれた。

 やっと来た。この人も大概大人じゃない。

 デートに遅刻とか……基本マナーがなってない。


「……先輩はいつも『子供』ですね。」

 そこそこ不機嫌に呟く。

 でも、待たされるのはいつもの事。

 どっちかっていうと、八つ当たりだ。


「悪かった……って、なに?なんかあったの?」


 先輩は多少食い気味に詰め寄ってくる。

 どうもこの人は、私の一々を気にしすぎる。

 まあ……そこに甘えてるのが私なのだけど……。


「なんか、いつまで経っても大人になれないなって……。」


 私は、私の中の物思いを吐き出した。

 先輩よりも、AIの方が有益な事を教えてくれるのは知ってる。でも、スマホに尋ねるのと同じくらい、この人にボヤくのが、私のルーチン。

 何でだろうね?

 なんか先輩の、人を食ったような笑顔を見ていると、腹が立つのに言葉が出てしまう。


「……ふ〜ん。お前はなんか、生まれつき十字架でも背負ってんのかもな。病まないように気をつけろよ。」

 先輩はウェイトレスさんが持ってきたオレンジジュースを爆速で飲み干しながらそう言った。


「なんですかそれ。人が真面目に話してんのに……。」

 私は膨れてそっぽを向いた。

 そりゃ確かに、考えても仕方ない事で悩んでるんですけどね……。それにしたって……。


「……よし!じゃあ行こうか!今日は忙しくなるぞ!」

 先輩は伝票をひょいと取り上げると、立ち上がった。


「え、ちょっと……?のんびり企画展見るんじゃ……。」

 私は慌てて先輩を追った。今日はとある美術館の企画展をふらっと見る予定しか立ててなかった。

 それなのに、先輩は妙なハイテンションで私を引っ張る。


「お前の悩みはよくわかった。『素敵な大人』の見本が見たいんだろう?一緒に見て回ろうぜ。」


「見て回るって……どうやって?」


 先輩はニヤッと笑った。

「奇しくもここは……上野恩賜公園!

 先人たちの軌跡なら、お釣りが来るほど溢れてる!片っ端から見学して『素敵な大人』を見つけに行こうぜ!」


 私は呆れた。何を言い出すんだこの人は。

「何言ってんですか……全く。芸術品見たら大人になれるとか……なんの受け売りです?」


「受け売りじゃねえ。俺の思いつきだ。」

 先輩は胸を張る。


「ほんと、謎理論好きですよね。私の悩みと芸術鑑賞になんの関連があるんです?私、帰りますよ?」


「まあ聞けって。」

 先輩は慌てて私を引き止める。

「先人たちも、今のお前と同じように悩み苦しんで大作を生み出した。もちろん内容はお前の悩みとは全然違うだろうけど。でも『悩んだ先に答えを見つける』ってプロセスは一緒だろ?」


 先輩は珍しく真面目な顔で私を見つめた。

「俺の頭じゃ、気の利いた言葉の一つも出てこねぇ。それに、俺も『素敵な大人』ってなんなのかよくわからん。むしろ知りたい。

 だから、一緒に悩んでみよう。

 ほら……西郷せごどんもそう言ってる。」

 そう言って、先輩は西郷隆盛像を指差した。


 私は先輩の言葉に釣られて、日本で一番有名な銅像を見上げた。

 ――敬天愛人。そういえばこの人も、人間関係には苦労したんだっけか……。


「……わかりましたよ。でも入館料は奢りでお願いしますよ。先輩が言いだしたんですからね。」


「任せとけ。こんなデート、してみたかったんだ。」

 そう言って、先輩は嬉しそうに私の手を取った。


 ――暖かい手……。


 私は先輩に手を引かれながら、こっそり彼を盗み見る。

 どうだろう……。これを『大人』っていうのはちょっとちがう気がする。

 これは多分……「変」に似た字の奴。

 でも……簡単には落ちないんだから。


 ふわりとした幸せを感じながらちょっとだけわかった。


 大人である事。

 

 それは、必死でなろうと思い患いながら、近づくものじゃ無いのかも。

 静かに手を取り合って、ちょっとずつ近づいていくものなのかもしれない。


 今日の先輩のように。


 私は少しの高揚とともに、今日のデートを楽しむ事にした。

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