第5話 父との闘い

 ここから第1話です。文体が変わります。


ーーーーーー


 7月後半のある日、天城家の家族は自宅で昼食を取っていた。

箸を動かしながら、父はふと息子に問いかける。


「そういえば、部活の調子はどうだ?」

「前は基礎練ばっかりだったけど、3年生の県大会が終わって引退したから、今は台も使えるようになった。だから最近はちゃんと打ててるし、腕はだいぶ上がってきたと思う」


 西中学校は地区大会こそ優勝したものの、県大会となると毎年県の上へコマを進める強豪校が立ちはだかる。結局3年生たちは大きな結果を残せないまま引退した。


「そうか。……じゃあどうだ? 今日、ちょっとだけお父さんと卓球してみるか?」


 父は軽い調子で言ったが、大樹の胸中はざわついた。

(小学生のとき、俺は父さんに勝った。あのときから俺は強くなってる。けど……実際の差は開きすぎてる気がする。正直、相手にならないだろうな)


「行きたいけど……。部活でも打ってるし、部外コーチにも教えてもらってるから、前に父さんと打ったときよりはるかに強くなってる。だから正直、差がありすぎると思う。俺には勝てんよ」


 卓球という競技は、経験の有無で埋めがたい差が生まれる。

運動神経が並程度でも、3か月本気で練習した経験者は、オリンピックに出られるほどの身体能力を持った未経験者に勝つ。

それを知っている大樹には、父との実力差はもはや越えられない壁のように思えた。


「ははっ、どのくらい強くなったのか楽しみだな。飯食ったら行くか!」


 父はお構いなしに話を進める。

そして食後、二人は南重高体育館へ向かった。


「よし、では始めるか」


 父は静かに、しかし慣れた手つきで年季の入ったシェークハンドラケットを取り出した。両面に黒と赤のラバーが貼られたそのラケットは、使い込まれた証拠として木目が艶を失い、角はすり減っていた。

 ――えっ、お父さん、ラケットなんて持ってたのか……?

 驚きの視線を向ける明吉の目に、ラケットの厚みが飛び込む。自分のものよりはるかに分厚く、「カザンフレア」と刻印されている。かつて存在した“厚ラケット”の一種。しかし今では既に廃盤、幻と化した代物だ。

 疑問を胸の奥にしまいながら、大樹はラケットを構える。

 ウォーミングアップが始まる。

 ――フォア打ち。

 「パンッ!」「パンッ!」

 乾いた打球音が体育館に響き、白い球が二人の間を正確に往復する。

 未経験者が見れば信じられない速さに映り、まるで達人同士の真剣勝負にすら見えるだろう。だが、経験者にとって、これは基礎の「き」にすぎない。基礎が出来ていなければ、そもそも打球は数本すら続かない――。


「なっ……!?フォア打ちが続いてるだと!!」


 思わず声をあげる大樹。


「何っ!じゃない。あたりまえだ、これは基本だろ」


 父はぶっきらぼうに言い放つ。

 続いて――バック打ち。

 角度を絶妙に調整し、球の勢いを正確に殺しては返す。

 一通りの基礎が終わると、父の表情が不機嫌に歪んだ。


「おまえ……ツッツキってそれか? 一体誰に教わった?」


 ツッツキ――卓球の台上技術の一つ。ネット際の短い下回転を、同じ下回転をかけて押し戻す技だ。名前の通り、突っつくような仕草で行う。

 本来であれば下回転に対し、下回転を乗せて返すか、上回転をかけてドライブで打ち抜くか、あるいは面を立てて少し上げるか。はたまた回転軸の横を捉えて回転の影響を逃す……。複数の選択肢がある。


「黒田コーチだけど」


 大樹の返答に、父の顔がぴくりと引きつる。

 西中学校では顧問の他に、部外ボランティアとして黒田コーチが指導に入っていた。厳しい指導だったが「県大会の先でも通用する」と教わり、大樹達は必死に食らいつき、その練習を忠実に繰り返してきたのだ。


「じゃあ、このツッツキを……ツッツキで返してみろ」


 挑むような声。

 大樹は下回転サーブを打つ。

 ――シュッ! 白球がネットをかすめ、低く滑るように父の台へ。

 父はツッツキで即座に返球。鋭い下回転を纏ったボールが戻ってきた。

 大樹も慣れたツッツキで返そうとした、その瞬間――。


「うっ……!?」


 ラケットに重みがのしかかる。反射的に力を込めたが、球はネットを超えることなく、ストンッ……と真下へ落ちた。


「な……なんでだ!? この角度で返ってたはずなのに!」


 信じられない光景に声を失う。


「おまえのツッツキは、その角度じゃ少しでも回転をかけられたら返せない。……それはツッツキじゃない」


「ちょっと試合してみようか、俺はこれでいいや」  


父はラケットの端を、指2本で挟んで持った。


「は!?それはいくらなんでも舐めすぎだろ!」


 父は、微笑む。


「指2本だけで良いよ」


 その持ち方だと、力が全く入らない。  フォアも、バックも、その他の技術全ての練度が大樹よりも下がるのは明白だった。  あまりにも馬鹿にしたその姿に顔が引きつる。  

 試合が始まる。  

 大樹は今の実力で出せる技術を全て出した。  下回転、横回転、上回転、そしてドライブ、スマッシュも……。  

 しかし、そのすべてがたったの指2本で持たれている不安定なラケットに阻まれ、返球される。


「ば……バカなっ!!」


 小学生の時のクラブ活動(クラブチームではない)、そして中学生に入って必死に頑張ってきた部活。  さらに、コーチの部外にも参加し、夜遅くまで頑張ってきた。

 それらの集大成が、今までの頑張りの結晶が……たったの指2本でラケットを握るという、舐め腐った父の前に、ことごとく跳ね返される。

 しかも、返球されるコースが鋭く、返しにくいことこの上無かった。

 11-3  

 まるで今までの自分の頑張りを否定されるかのように、圧倒的大差で負けた。


「く……くそっ!!」


 悔しい、悔しくて悔しくてたまらない。  そもそも、何故小学生の時に勝てた相手に大敗するのか。


「ちょっと差を見せようか、3セットマッチするぞ」  


父の空気が変わる。


「次は勝つ!!」  


大樹は気合いを入れた。


「サーーーっ!!!」


 大樹のサーブ、全力で下回転を打つ。  白いボールは高速でスピンし、伸びるように相手のコートのバック側へ向かう。

 相手コートにバウンドし、その後の弧線が頂点に来たその時。  父は高速でバックから振り抜いた。

 ボールは見たことが無いほど速い速度で横カーブを描きながら自分のコートへ突き刺さる。

(は……速い!!!)

 とっさに手が出た。  反射的に、彼はボールにラケットを当てる事に成功した。


「やった……え?」


 大樹のラケットに当たったボールは質量以上の重さを感じる。  次の瞬間、横上に飛んでいく。  想定を遙かに上回る、感じたことの無い高速回転と速度になすすべが無い。


「そ……そんな、まだだ、まだ諦めんぞ!!」


 出せる技術の全てを出す。  

父がツッツいたボールがフォア(利き手側)に来る。  ボールが微かにネットから浮いた。


「チャンス!!」


 腰をひねる。

 右足に体重を乗せ、腰の回転を加え、全ての関節を同時加速させて振り抜く。

 ボールはラケットに張られたゴム製ラバーに食い込み、力を溜め、やがてその威力を解放した。  

 高速高回転ドライブ!!  

 球は父のフォア側に突き刺さる。


「え?」  


 笑っている。微かな不安……。  父はフォアから振り抜く。

 ラケットはボール回転軸の横を捉え、ドライブの上回転が殺された上、猛スピードで大樹の台に突き刺さった。  

 高速カウンター……


「うそだろ……なんだ、そのでたらめな強さは」  

 

ドライブをスマッシュで返された事など一度も無かった。  信じられない技に、大樹は固まる。  

いったいどうすればこの化け物に勝てるというのか。  

何をやっても返される。

気付けば3セットとも11-0で抑えられてしまう。


「大樹、諦めないその気持ちは評価する。でもちょっと今のこの時期にしてはお前弱すぎるぞ。  何で半年もしてそんなに伸びてないのか考えたが、打ち方の基礎が全くなってないな」

「お父さん……何者?」

「中学生の時、ちょっと経験していてな」


 ちょっと経験しているどころではないデタラメな強さに、思わず大樹は突っ込んだ。


「いやいや、この前引退した先輩の誰よりも明らかに強いけど……というか、この前JPランドでやったとき、100%手加減してた?花持たせたの?」

「まあ良いじゃ無いか。それにしても、そのコーチ何だかおかしなフォアの基礎はどうやって教わった?」


父は、そのコーチの教えに疑問を持っているようであったが、大樹はコーチの事を、いい人と認識していたため、聞かれた事に答える。


「こうやって、くるくる回して戻す」


明らかに無駄な動きが多い。


「バックは?」

「こうやって、この方向からくるくる回して元にもどす」

 父の顔が険しくなる。

「……ドライブは?」

「台に手をついて、左足を前に出してひねる」

「はぁっ?……いつも、そんな練習してるのか?」

「いや、変な癖がついてはいけないから、ドライブは部活での使用は禁止されていて、コーチの部外以外では練習したらいけないと言われてる」


絶望的な父の顔。


「その無駄な動きは何なの?ラリーになって、そんな無駄な動きをしていたら間に合うわけ無いだろ  そもそも、そのドライブとか、人間の可動域無視してないか?  というか、台に手をついたら反則だろ  もしかして、そのコーチめちゃくちゃ弱いのか?……それとも、俺が長く卓球から離れていたから、最新の理論ではその……変な打ち方が主流なのか?  そんな打ち方をしていたら、俺が中学校の時のY県では県体前の予選でも最下位になりそうだが」

「……さあ」

「うーん、どう考えてもその打ち方では強くなれるとは思えない……どうする?お前がとにかく強くなりたいなら、1から教えるぞ。  今より遙かに強くなるのは間違いない」

「俺は強くなりたい、教えてくれ!!」


 大樹の目に闘志が宿る。

 小学校の時、超えたと思った父が、実は想定より遙かに強かった事が素直に嬉しかった。

 純粋な強さを求め、父に教えを請う。


「解った、ちなみに今同級生の中ではどのくらいの強さ?」

「解らない。山田丸夫が結構強いからどうなるか……まだランキングが無いんだ」

「そうか、では最初のランキング前までに強さを引き上げるか、厳しく行くぞ」

「よろしくお願いします!!」

「一つだけ気をつけろ、よく指導者はドライブを打つ時、腰を回せと言うけど、背骨を回そうとして痛める人が多い。  腰を回すのでは無く、股関節を回すイメージで行け  故障に気をつけろ」

「解った」

大樹と父の脳裏に、学校への微かな疑問が過る。


 父との練習を終え、体育館を出る頃にはもう夕陽が沈みかけていた。

 汗で重たくなったシャツが背中に張りつき、息はまだ荒い。

 全く勝負にならなかった。何本ラリーをしても、結局は父の強烈な一撃で吹き飛ばされる。

 ――悔しい。

 その言葉が、喉の奥で燻っている。

 けれど、同時に胸のどこかが熱く震えていた。

 父の放つ球は、ただ速いだけじゃない。重みがあり、正確で、逃げ場がなかった。

 ラケットを弾かれ、何度も膝を折りそうになった。

 でも――あの時だけ。ほんの一瞬だけ、自分の打球が父の球を押し返した。

 たった一度。

 でも、その感触は手のひらに確かに残っている。


 「絶対に……追いつく」


 誰に聞かせるでもなく、声がもれた。

 今の自分では到底届かない。けれど、必ずいつか父を越える。

 そのために練習する。何千本でも、何万本でも打ち込む。

 夕闇の体育館を振り返り、大樹はラケットを握り直した。

 まだ震える手に、強く力を込める。

 ――今日の悔しさを忘れなければ、きっと強くなれる。

 そう心に刻み込み、彼はゆっくりと歩き出した。


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西中卓球部(中学の卓球)仮称 三ノ路王 @mirainodaisakka

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