第4話 プロローグ4 部外コーチ
蒸し暑い体育館の空気が、肌にまとわりつくようだった。
西中の外部委託コーチである黒田は中央に立ち、鋭い目で俺たち一年を見渡した。
「いいか。ここでは走り込みはしない。台に向かって打つ。試合で勝つための練習だけをやる」
その言葉に、胸が高鳴った。
ようやく“卓球”ができる。ずっと望んでいた、本物の練習だ。
隣で丸夫が小さく拳を握ったのが見えた。
「フットワークだ。フォア、バック! リズムを崩すな!」
黒田のトスは正確で、打球が左右へ、まるで生き物みたいに揺さぶってくる。
石狩大地が先に立ち、必死で食らいついていた。汗が床に落ちるたび、ボールの音が鋭く響く。
「ナイス、ダイチ! 足止めんな!」
誰かが声を張り上げる。
俺も思わずラケットを握る手に力が入った。
これが“本気”の練習なんだ。今までとはまるで違う。
最後の一球を打ち返した瞬間、黒田の目がわずかに細まった。
「悪くない。次」
次は雪谷。
構えた瞬間から、空気が変わる。あいつの打球は、音が違う。ドン、と空気を震わせた。
「おおっ!」
歓声が上がる。俺も思わず口を開けたまま見ていた。
「力はある。だが無駄が多い。もっと小さく、速く振れ」
黒田の声は冷たいのに、的確で、胸の奥に突き刺さる。
雪谷の目に、火が灯るのが分かった。
休憩の合間、みんな興奮して話していた。
「お前の足の速さ、マジで羨ましいわ」
「松本のスマッシュ、見えねーな。止められん」
「じゃあ、お互いの足りんとこ補えば最強や」
冗談みたいに笑いながらも、目は本気だった。
走るだけの夏は終わったんだ。
やっと、台の前に立てた。
汗と音と熱気の中で、俺たちは確かに“始まった”気がした。
■
黒田コーチの部外練習――部活終了後に行われる学校の練習とは違う、張り詰めた空気……
「もっと腰を低く! 足でボールを追え!」
鋭い声が響くたびに、俺たちの足音が体育館の床を叩いた。
息が苦しい。汗が目に入る。
それでも、ボールから目を離せなかった。
昨日よりも反応が速い。打球も、ちゃんと繋がっている。
ラケットに伝わる衝撃が、手のひらの奥で確かな“成長”として響いた。
「ナイス! 今のいい!」
後ろから仲間の声が飛んでくる。
思わず口元が緩む。俺も誰かに「ナイス!」って返していた。
全員が汗まみれの笑顔で、ひたすら打ち合う。
気づけば、ボールの音と声が一体になっていた。
黒田コーチは腕を組み、じっと俺たちを見ていた。
「……うん、だいぶ形になってきたな」
その一言が、胸に残った。
褒められたというより、“認められた”気がした。
もちろん、上級生にはまだ到底敵わない。
けど、確かに今の俺たちは、昨日の自分たちより強い。
それが嬉しかった。
灼けつくような暑さの中でも、胸の奥はもっと熱かった。
あの時の俺達は、ただ信じていた――この道の先に、きっと答えがあると。
◇
練習後、近くのコンビニでアイスを買って、みんなで並んで食べた。
「くぅ~っ、これだよな!」
チョコアイスを豪快にかじった友人が、頭を押さえて悶える。
「ほら、食べるの早すぎ! 脳に直撃してるじゃん!」
爆笑が起き、疲れた体に笑いが沁みる。
溶けかけたアイスをすすりながら、大樹はふと思う。
――きついけど、楽しい。今はまだ勝てなくても、この仲間とならきっと前に進める。
真夏の夕暮れに、そんな小さな決意が心の奥に芽生えていた。
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