エンジェルフィッシュは灰の海を踊る

宵宮祀花

命ある武器と、心ない人間

 ――――純白のフィッシュテールドレスを翻して、身の丈に余る武器を手に戦場を駆ける少女がいる。


 異能力者たちのあいだで、そんな噂が流れていた。

 誰も本気にしておらず、もしそんな少女がいるならお目にかかってみたいものだと酒の肴にされるばかりの、他愛ない噂だった。

 それと同時に、能力者を人形に作りかえて手駒にする異能力の持ち主がいるという噂も流れていた。そちらは仲介所でも要注意能力者として懸賞金と共に張り出されているため単なる噂ではないが、見たものはいない――――否、その能力者に出会ったものは全て、人形にされているか殺されているというのが正しかった。

 国家が滅び、世界の八割が崩壊して、街の大半が廃墟と化した世界でも人は生きている。異能という新たな武器を身に宿し、壊れた世界でこそ生きていられる。

 原因など最早誰も覚えていない。風説なら山と転がっているが、真実は瓦礫の下に埋もれたまま、誰も掘り返そうとは思わない。

 そうして年月が過ぎ、嘗ての文明が遺産と化した現在でさえも、人は娯楽と仕事を往復しながら生きているのだ。


「小僧、お前のそれはアニマテルムか?」


 仲介所のロビーで、一人の少年が屈強な傭兵風の男に声をかけられていた。

 少年の傍らには、少年より二~三歳ほど年下に見える少女が、所在なげにぼうっと佇んでいる。色素の薄い髪に硝子のような瞳、そして、胸の中心に埋め込まれている澄んだ色の宝石。その全てがアニマテルムという種族の特徴を差していた。


「そうだけど、おっさん誰だよ?」

「ははは、元気なガキだな。俺は賞金稼ぎギルド烈火旅団のギルドオーナー、暁だ」


 年上に対して至極失礼な物言いをする少年の態度にも気を悪くした風もなく、暁は筋肉質な巨体を揺らして豪快に笑って見せた。大きな傷跡が残る日焼けした肌に暗い灰色の髪、少年の頭を掴んで軽く持ち上げられそうなほど大きな手に見合った無骨な剣と、暁を構成する全てが大きい。

 対する少年は、自然な黒髪に青みがかった黒い瞳、決して小柄でも貧弱でもない、ごく一般的な十代の少年らしい特徴を残した姿をしている。


「で、そのオーナーが何の用? 言っとくけどコイツはやんねーからな」

「いらねーよ。んなことよりお前、それ手に入れてどれくらいだ?」

「は?……一年くらいだけど、それがなに?」


 一年と聞いて、暁の目が僅かに細められた。その目は少年を通して、背後に隠れている少女を見据えている。


「そうか。因みにそれの使い方を教えてやるっつったら、俺のところに来るか?」

「はぁあ? そんなん必要ねえよ。それにさっきから、それとか使うとか失礼なこと言うなよな。コイツは物じゃねえっつーの」

「へえ……そうかよ。邪魔したな」


 ひらひらと手を振って、暁は少年の前から立ち去ってギルドメンバーらしき集団のほうへ混ざっていった。


「ったく、何なんだよあのおっさん……」


 少女の手を引きながら、少年は瓦礫の街を早足で歩いて行く。背後を懸命についてきている少女が時折躓いていることに全く気付いていない様子で、ブツブツと文句を呟きながら、歩いて、歩いて、歩き続けて。前方に開けた空間が見えてきたところで漸く足を止めた。

 前衛芸術のオブジェのようなビルの残骸や、不安定な格好で支え合った状態の電柱だったものなどが取り囲む、闘技場のような空間だ。元は大きなスクランブル交差点だったのだろう白い誘導線の跡が、ひび割れたアスファルトに残っているのが微かに見える。

 少年が足を止めた理由は、広い場所に出たからではない。

 その中心で舞い踊る、純白のドレスを見たからだ。


「あれは……前に仲介所で酔っ払いたちが言ってた……」


 長いフィッシュテールの白いドレス。鋭い刃のような銀色の髪に、深い緋色の瞳。細い手足に見合わず、彼女の武器は身の丈以上もある巨大なガンアックスだ。

 振りかぶるのと同時に引鉄を引くことで、裂傷に加えて爆撃でのダメージも与える殺すための武器。元来は瓦礫撤去に使われていた工具で、戦斧ではなく大型ハンマーだった。それを武器として改造したものが世に出回ったという代物だ。

 巨大な戦斧を軽々と操り、舞い踊るかのように戦う彼の少女に対峙するのは、少年より幾許か年上に見える青年だ。

 短い黒髪に、異能力者を表わす赤い瞳、三節槍を自在に操る様はだいぶ戦い慣れているように見える。だというのに青年の表情はひどく苦しげで、対する少女は艶麗な笑みすら浮かべている。


「あなたで何人目かしら。お金に困っているなら廃墟を漁ればいくらでも金目の物が転がっているのに、どうして私の元へ来るの?」

「黙れ! 誇り高きギルドナイトが漁り屋なんかに成り下がってたまるかよ!!」


 背後に跳んで距離を取り、肩で息をしながら青年が反論する。

 少女は心底不思議そうな顔で、地面に突き立てた斧の柄を撫でながら首を傾げた。


「その漁り屋がいるから、貨幣文化がかろうじて残っているのではなくて? 彼らがいなければ、とっくにこの世から価値のあるものはなくなっているわ」

「きれい事を……!」


 叫ぶと同時に深く踏み込み、低い姿勢で一気に距離を詰める。敵意と殺意を宿した眼差しに正面から射抜かれながらも、少女は溜息を吐いてから踊るように、軽やかに身をかわした。

 青年は砂埃を立てて地面を踏みしめて勢いを殺し、その反動で再び襲いかかった。

 関節が蛇のように自在に宙を舞う三節槍の動きにも白い少女は難なくついて行っている。それどころか、子猫が虫をいたぶるような余裕さえ窺える。


「遊ぶのも飽きたわ」

「なっ……!?」


 向かってきた青年に対し、少女は避けるでもなく武器を盾にするでもなくそのまま体で受け止めた。体の中心を槍が貫き、ドレスが赤く染まる。間近でそれを目撃した青年が、誰よりも信じられないという顔でそれを見つめていた。


「自分の目が信じられない? それは正しいわ」


 次の瞬間、少女の姿は真っ白な花弁となって消えた。

 風に舞い上がった無数の白い花弁が青年の背後で再び集まると、光に包まれながらやがて少女の姿になる。


「さあ、答え合わせをしましょう」

「かはっ……!」


 嘲るような笑い声と同時に、青年は自らの武器に貫かれた。

 なにが起きたのか理解する間もなく、腹部から焼けるような痛みが広がる。意識が落ちかけたのを瀬戸際で踏み留まったつもりであったが、青年は地に膝をつき片手をつき、そしてぐらりと傾いて倒れ伏した。

 倒れた青年を蹴り転がして仰向けにすると、少女は背中から腹へと突き抜けている槍を乱暴に引き抜いた。


「可哀想に……助けてあげてもいいわよ。私のお人形になるなら……ね」


 無彩色の地面に鮮やかな赤が広がっていく。死の間際にあってなお、青年の目には強い殺意と嫌悪の色が宿っている。


「……だ、れが……お前、なん、か……に……」


 絞り出すような声で拒絶する青年を、まるで見世物でも見たかのように見下ろして少女が笑う。その笑顔だけなら誰もが見惚れる愛らしさなのに、視線の先にあるのはいまにも息絶えそうな血塗れの青年だ。


「いいわ。じゃあ、助けてあげる」


 クスクスと楽しげに笑いながら、少女は斧の刃先で自身の指先を傷つけると青年の胸に垂らした。すると、そこから蜘蛛の糸が張り巡らされるように赤い軌跡が走り、軌跡が体を覆い尽くすと青年の傷が嘘のように塞がった。


「ふ……ざけるなっ! 誰が、誰がお前の人形なんか!!」


 立ち上がり少女に掴みかかろうとするも、ふらついて蹈鞴を踏むだけに終わった。少女はそんな青年を可笑しそうに眺めながら、斧の柄を撫でて口元に笑みを引く。


「跪きなさい」

「っ!?」


 青年の体が、意志に反してその場に跪く。表情が驚愕に強ばる。

 意識ははっきりしているのに、体の自由がきかない。


「お、前……なにを……!」


 ころころと鈴を転がすような声で少女が笑う。跪いた格好ながら目だけは反抗的な光を宿している青年を見下ろす。

 そして繊細な花飾りのついた小さな白い靴に包まれた足で、その頭を踏みつけた。


「正しくはこうするのよ。勉強になったわね?」


 所謂土下座の格好に無理矢理させると、少女は斧の柄を指先で弾いた。瞬間、斧が光の粒子に包まれたかと思うと、瞬く間に背の高い金髪の青年の姿となった。前髪も後ろ髪も長く、その瞳は陰気な目つきに似合わず、宝石の如く透き通った輝きを持つ青みがかった緑色をしており、悩ましげに寄せられた短い下がり眉と相俟ってひどく無愛想に見える。

 跪く青年の視界の端に、自分の手が映った。その手には明らかに血管とは別の細く赤い軌跡がひび割れのように張り巡らされており、少女の意に反した動きをしようとする度、焼けるように痛む。体は何一つ思い通りにいかないのに、意識はしっかりと残っているのが余計に屈辱的だった。


「ねえユーシィ。彼ったら、私のお人形になりたくないみたいなの」


 ユーシィと呼ばれた金髪の青年は、眉間の皺を更に深くしながら、少女の足の下で未だに抵抗を試みている青年を見下ろした。その目には深い侮蔑と僅かな嫉妬の色が宿っている。


「必要ありません。ルナーリアには俺がいます」

「うふふ。そうね、そうよね。お前が使える限りは使ってあげる約束だものね」


 それならと純白の少女――――ルナーリアは青年の頭を踏みつけていた足を退け、一歩下がった。


「私は、どんな不良品でも自分の作品を壊すのは嫌いなの」

「ええ、ルナーリア。あなたのことなら何だって。俺はあなたのものです。身も心も全て。ゆえに俺は、あなたの意志で動くのです」


 うっとりと、祈りの言葉のように唱えると、ユーシィは地面に転がっていた青年の武器を手に取り、青年の頭上に掲げた。体の自由が利かないまま首だけは動くことに気付いた青年が、己の真上にかかる影に気付いて怖々顔を上げる。


「ひっ……! やめ……」


 皆まで言わせず、ユーシィは青年の脳天から顎にかけてを真っ直ぐに貫いた。

 串刺しの状態でも暫くのあいだは口が動いていたが、それもやがて止まり、青年は目を見開いたまま事切れた。


「人形はいや、死ぬのもいやだなんて、我儘ね。大袈裟な武器を持って襲いかかっておきながら、自分が死ぬことは考えていなかったのかしら」


 槍が頭を支えているせいで、土下座の格好で顔だけ上げた状態のままでいる青年を蹴り飛ばすと、ユーシィはルナーリアの傍らに膝をついた。まるでそこは自分だけの居場所だと主張するかのような彼の仕草に、ルナーリアは満足げに微笑む。


「いい子ね。それでこそ私の道具だわ」


 恍惚の眼差しで見上げるユーシィに笑いかけると、ルナーリアはふと遠くに視線をやり、口元に笑みを浮かべながら物陰を指さした。


「そこのあなた、見物はもういいでしょう? 出ていらっしゃい」


 ユーシィはルナーリアの言葉と共に立ち上がると、傍らでルナーリアを守るようにして白く細い指が指し示した先を見据えた。

 暫くして、瓦礫の影から黒髪の少年が硝子人形のような少女を伴って姿を現した。手を引かれるままついてくる少女を見、ルナーリアは笑みを深める。


「あなたもアニマテルムを持っているのね」

「俺も?……ってことは、おまえといるソイツもそうなのか」

「ええ、そうよ。私の可愛いユーシィは近代異物の一つなの」


 ルナーリアがそう言うと、少年は僅かに瞠目した。


「おまえは……名前を知ってるのか?」

「名を所持するのは所有者として当然だわ」


 当然と言い切ったルナーリアを、少年は悔しそうに睨む。

 そして、傍らの少女をチラリと一瞥すると、目を伏せて「俺は……コイツの名前を知らない」と零した。


「名前だけじゃない……俺が引き取ってから殆ど喋らなくて、いまじゃ全く喋らなくなったんだ」

「ふふ、そう……元の持ち主は違ったのね」

「持ち主とか言うな!!」


 破裂したように、少年が叫ぶ。


「コイツは物なんかじゃない! なんで皆してコイツを物扱いするんだよ!!」

「物だからよ」


 少年の真っ直ぐで愚直な眼差しと叫びにも、ルナーリアは全く意に介した風もなくただ一言、さらりと答えた。そのあまりにも当然と言わんばかりの物言いに、少年は勢いを削がれたように押し黙る。


「アニマテルムは自我を持った道具。それ以上でも以下でもないわ」

「ふざけるなよ! なんでそんなひどいことが言えるんだ!?」


 顔を真っ赤にして叫ぶ少年を冷たい目で見据えながら、ルナーリアは呆れたように溜息を吐いた。


「ひどいのはどちらかしら。だってあなた、それの名前も知らないじゃない。しかも見たところ、使い方もわかっていなさそうだわ」

「そんなことない! そこまで言うなら見せてやるよ!!」


 少女の手を取り背後に跳ぶと、少年は少女の手を強く握り締めて叫んだ。


「アイツに見せつけてやる! いつものように武器になってくれ!」

「…………」


 少女は一瞬哀しげな目をルナーリアに向けると西洋剣に姿を変えた。然程大きくもない剣を両手で重たそうに構える少年を見て、ルナーリアは可笑しそうに笑う。


「やっぱり、使いこなせていないのね。アニマテルムの重さは信頼の深さによる……持ち主を信じていればいるほど、羽のように軽くなるものなの」

「うっ……嘘だ! 適当なこと言って惑わそうったってそうはいくか!」


 未熟な構えで剣を振りかぶる少年の不格好な突撃をかわすと、ルナーリアは背後に立つユーシィの頬に手を添えて仰のいた。

 ユーシィはそれに応えるように俯き、ルナーリアの手のひらに口づけをする。


「現実を知らない、知ろうともしない愚かな子供に教えてあげましょう」

「ええ、ルナーリア。あれではあまりにも、あまりにも憐れだ。ルナーリアの慈悲を与えて差し上げてください」


 憐れみの言葉と共にユーシィも武器の形となった。人型のときと変わらぬ長身に、自動車も両断しそうなほどに大きな半月型の刃、複雑に組まれた銃パーツの所々には青緑の宝石が輝き、ルナーリアの指が柄を撫でる度妖しく煌めく。


「そんなバカみたいにデカい斧、小さい女が振り回せるはずが……まさか、おまえの異能は筋力強化なのか……?」


 あくまでもアニマテルムの特質ではないと思い込もうとする少年を、ルナーリアは軽蔑混じりの笑みで見据えた。


「あなたの戯れ言は退屈だわ」


 そう言うと、斧を一閃。少年の数センチ前を振り抜いた。


「うわああっ!?」


 よく見れば当たるはずもない距離だというのに、少年は大袈裟に叫びながら両手を振り上げ、剣を放り出して飛び退いた。

 放り投げられた剣は回転しながら地面を数メートル滑ると、瓦礫の傍で少女の姿に戻った。全身を地面に打ち付け、少女が小さく呻く。

 駆け寄ろうと少年が動くより先にルナーリアが地を蹴って跳び、倒れ伏した状態で咳き込んでいる少女の傍らに立つ。そして、立てかけた斧の、刃と柄のあいだにある銃機構部分に優雅に腰掛けながら爪先で少女の顎を掬い上げた。


「お前、私の物になりなさい」

「な!? ふざけるな! ソイツは親友が遺した大事な相棒だぞ!」


 叫びながら駆け寄り、ルナーリアめがけて拳を振り上げる。少年の拳が届く寸前、光が弾けてユーシィが人型に戻り、ルナーリアを両腕に抱えたままで少年を長い足で蹴り飛ばした。その一連の有様には視線すらやらず、ルナーリアは涼しい顔で少女を見下ろしている。

 少女はゆっくり体を起こすと、蹴り飛ばされた少年には目もくれずにルナーリアを見上げて頷いた。


「ふふ、素直ないい子ね。特別に口づけの許可を与えてあげるわ」


 ルナーリアが足を差し出すと、少女は迷いなくルナーリアの爪先に口づけを送って忠誠を表わした。


「な、んで……っ! なんでだよ! あのときアイツの代わりに、俺が世界を見せてやるって言ったじゃねーか!」


 蹴られた腹を押さえながら立ち上がり、必死に訴える少年を、少女はひどく冷めた目で見つめている。少女の冷え切った表情に気付いていないのか、少年はふらふらと近付きながらなおも訴える。


「おまえは物なんかじゃない! 一人の女の子として、ちゃんとしあわせになるべきだって言っただろ!? だから俺は」

「頼んでない」


 氷で出来た刃のような冷たく鋭い声で、少年の必死の訴えを少女が遮った。少年はそのあまりにも冷たい声に気圧され、息を飲んで押し黙り、信じられないという顔で少女を呆然と見つめる。


「もううんざり。あなたの独善的で傲慢な考えに振り回されるのは」


 嫌悪と侮蔑に歪んだ顔で少年を睨み、少女は呪詛の如き想いを吐露していく。その声はひたすら平坦で温度がなく、硝子人形めいた少女の容姿と相俟って人間らしさが微塵も感じられないものだった。


「あなたといると、わたしは偽の姿しか取れない。彼の……ユーシィのように美しい理の姿でいることすら出来ない。そして、真の姿をあなたは何度も貶した。あなたが生きている限り、正しくわたしでいられない。気が狂いそうだった」

「そんな……っそんなの嘘だ……なあ、嘘だよな……? そうだ、おまえはソイツに操られてるだけだ……そうだよな……?」


 震えながら伸ばされた少年の手を、少女は嫌悪に満ちた顔で振り払った。


「お人形ごっこはもうお終い」


 振り払われた反動と絶望で、少年はその場に膝をついた。

 打ちひしがれる少年には目もくれずにルナーリアを見つめ、少女はうっとりとした表情で口を開く。


「ルナーリア、あなたならわたしを正しく使える。わたしなら、あなたをこの上なく美しく魅せてあげられる。あなたにとって、わたしは二番目でいい」

「いい子ね。なら、あなたの真名をわたしに寄越しなさい」

「勿論、そのつもり。でも……」


 そう言って、少女はチラリと少年を一瞥する。


「その前に、彼を殺していい?」

「……!?」


 想像すらしていなかった言葉に弾かれたように顔を上げる少年の目に映ったのは、まるでゴミを見るような目で自分を見下ろす少女の姿だった。


「勿論よ。アニマテルムの真名を知る主人は、この世で一人だけだもの。そうね……死ぬ前に、真実を教えてあげましょう。憐れで愚かで独善的な子供に、ね」


 ルナーリアが少女の頬に手を伸ばすと、少女は先ほど少年の手を振り払ったときに見せた表情とは真逆のうっとりとした表情で受け入れ、手のひらに口づけをした。

 瞬間、少女の体が見る間に光の粒子に包まれ、ルナーリアの体を包んでいく。


「これは、理の姿ね。わたしのために選んだ形……もう一つの魂の有り様だわ」


 裾にフリルがあるだけで、それ以外の飾り気が殆どなかった純白のドレスと、甲に花飾りがついていただけの白い靴に、アクアマリンに似た澄んだ色の宝石をたっぷり用いた装飾が付加された。他にもシャンデリアの如き豪奢な白金の首飾りに、幅広のブレスレットと、揃いのアンクレット。そして、長い銀髪には無数の宝石が螺旋状に巻き付いている。それら全てに雫型をした薄水色の宝石が揺れていて、ルナーリアが動く度に鈴のような軽やかな音を奏でる。


「此処でさえ真の姿を取らなかったということは、死にゆくものとはいえ、あなたに見せたくないと思っているのね。貶したと言っていたから当然かしら」


 可笑しそうに笑い、ルナーリアは首元の飾りを指先で撫でた。

 澄んだ水の色が燦めき、光を纏って再び人型に戻る。少女はルナーリアにお辞儀をすると少し離れたところへ歩いて行って細長いなにかを拾い、戻ってきた。


「こんな人間に、ルナーリアの大事なユーシィを使ってほしくない。わたしもこんなものの血で汚れたくない。だから、これでいい」


 少女が差し出したのは、先の戦いで青年を貫き殺した槍だった。穂先と周辺の柄が血で汚れており、時間の経過でいくらか乾いて黒ずんでいる箇所が見られる。


「仕留めてあげましょうか?」


 ルナーリアの申し出に、少女は首を振った。


「あなたの物になる証として、わたしが殺す」


 少女は少年と共にいたときのような無表情で槍を振り上げ、少年の頭上で構えた。


「う、嘘だ……! お前はそんなこと出来るようなヤツじゃないだろ……? なあ、正気に戻ってくれよ……俺たち、ずっと二人で楽しく旅してきたじゃないか……」

「それはあなただけ」


 震えながらの訴えにも、少女は僅かも心を動かさない。肩を蹴り、仰向けになった体を踏みつけて押さえ、胸をめがけて振り下ろす。


「わたしの名はULY-0Aユリィレイア、ルナーリアを引き立てる装身具。そして――――」

「がっ!!?」


 貫通した槍が地面にまで突き刺さり、少年をアスファルトに磔にした。心臓でなく肺を貫いたようで、ヒューヒューと空気が漏れる音を立てながら苦しげに呼吸をしている。


「……な……んで……っ」


 両手で槍の柄を掴みながら踠く最中、少年の脳裏には少女と出会ってからの日々が走馬灯のように巡っていた。


 ――――グレイヴエリアの、ギルドナイトの墓に座り込んでいる少女がいた。俺の親友の墓だった。細い体を震わせて、アイツの名を呼びながら泣いていた。

 声をかけようとしたら両手でその辺の石を掴んで胸元の宝石を砕こうとしたから、止めて墓から引き離した。泣きながら『彼の元へ行かせて』だなんて言ってたけど、死んだって何もいいことなんてないって、そう教えてやりたかった。


『おまえ、アイツが持ってた短剣だろ? 武器になれる種族がいるって聞いたことはあったけど、ほんとにいたんだな! アイツは短剣なんかで戦ってたけどさ、やっぱ男はデカい武器を使ってこそだろ! おまえってこんな感じの剣にもなれんのか?』

『………………なれるけど、すきじゃない。わたしは』

『なれるんだな!? じゃあ試しにちょっと変身してみてくれよ! こういう武器に憧れるけど、高いんだよなー!』


 アイツに見せたのは、有名なギルドナイトのブロマイドだった。

 ギルドで名を上げると髪型や装備、着てる服にまで価値が出る世界だ。だから俺もあの有名な戦士みたいな武器で格好良く戦いたかった。

 あの子は、画像通りに変身してくれた。まるで、無二の相棒と戦うギルドナイトになった気分だった。


『あなたは、どうしてアニマテルムを理解しようとしない……?』

『……へ? 理解もなにも、別に俺たちと変わりないだろ? 武器になれるってのはちょっと特殊かもだけどさ、それ以外は普通の女の子なんだから』


 あるとき、あの子にそんなことを言われた。

 言ってる意味がわからなくて、俺は思ったことをそのまま伝えたんだ。だって剣になってないときは普通の可愛い女の子だし、俺たちとなにも違わない。


『違う。わたしは人間じゃない』

『そんなこと言うなよ! おまえも女の子としてちゃんとしあわせになるべきだ!』


 そう、心からの言葉を伝えたのに。

 あれからあの子は俺に喋りかけなくなった。それでも旅をしていれば気分も晴れるだろうと思って、色んなところに連れて行ってやった。

 いつかは、死んだアイツのことも忘れて、俺に笑いかけてくれるようになる。そう信じて――――



「――――わたしは、儀式用短剣。戦うための武器じゃない」


 陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクさせて、見開いた目から涙を流して、見開いた目で少女を見つめながら、少年は時間にして二分半ほど苦しみ抜いた果てに息絶えた。


「……ふふ。いま、あなたを通してその子の思考が流れてきたのだけれど、あなたを元の持ち主の元から引き離した瞬間から、独り善がりな思い込みに塗れていたのね」


 振り返った少女は哀しげに眉を下げ、ルナーリアに向き直って頷いた。

 少年が楽しかった旅だと称していた思い出は全て、少女にとっては彼が独善で暴走した日々の光景でしかなかった。人間と同等に『扱ってやる』ことが少女にとっての喜びだと信じて疑わず、少女自身の言葉に耳を貸さなかった結果がこの末路なのだ。


「前の持ち主を愚弄し、わたしを見下していたことにも気付いていなかった。自分の考えが正義で、人間扱いされることが誉れだとでも思っていたらしい。前の持ち主はわたしで戦ったりしなかったのに、親友と言いながらそんなことすら知らなかった」

「あまりに愚かね。人間を物扱いすることは確かに失礼だけれど、それと同じように物を人間扱いすることも失礼だと、最期まで理解出来なかったのね」


 ユーシィの手を取り、ルナーリアは長い指の付け根にキスをする。

 少女はそんな二人を眩しそうに見つめ、淑やかな仕草で頭を下げた。


「これからのわたしは、ルナーリアと共にある。あなたの物として、正しく使われる光栄を与えてくれたこと、わたしはこの身と魂全てで以て応えよう」


 ルナーリアが差し伸べた手を取り、少女は恭しく手の甲に口づけをした。



 ――――純白のフィッシュテールドレスを翻して、身の丈に余る武器を手に戦場を駆ける少女がいる。


 そんな噂はいつしか、僅かにその形を変えていた。

 純白のドレスに澄んだ水を固めて作ったような宝石を身に纏い、鈴にも似た清廉な音を奏でて戦う少女がいる。そして少女の傍らには、執事のように付き従う青年と、泉の精霊のような姿をした幼い少女がしあわせそうに付き従っている、と。


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