2-1 新天地を目指す俺の話
異世界に、勇者召喚に巻き込まれて3年。
魔王討伐の旅に出ず、一心不乱に王国の姫君の呪いを解除することに人生をかけていた俺だが、ついに借金の方に魔族領への調査任務に赴くことになった。魔族領という場所は、言ってしまえば王国が敵対している魔族の領地で敵国である。
魔王と魔族の関係を説明すると日が暮れるので割愛するが、まぁとにかく、王国の支配が及ばない危険な土地である。
島流しというか、片道切符の冒険というか、魔族領へ赴くことになった俺だが、内心ウキウキとしている部分もあった。
吉高くん(今回の冒険に至る諸悪の根源)がまとめてくれた俺の借金だけれども、実はかなりの金額に上っていた。姫の呪いを解くために様々な情報収集やお使いクエストや危険なダンジョンの踏破を繰り返した訳だけれども。その報酬以上に準備に金がかかった格好だった。盲目って怖いな、と思わされながら、よくもまぁこんな借金が出来たものだと変な感心もある。
年収以上の借金って破綻するらしいし、勇者(冒険者)という肩書以外にろくに担保になるようなものもないというのに。
不思議とこの3年間が遠い霞がかった様な古い記憶のようにも思え、何だか不意に涙も零れそうになる。
さて、今度の冒険では吉高くんが新たな現地ガイドを付けてくれる、という事で相当にウキウキしている。
彼女とともに新たな人生をやり直すんだという期待感に一杯になりながら、この国境の町にまでやってきていた。
この町から先、街道はなく獣道じみた道しかない。道の先には川があり当然橋は無く、その先は別の国だ。
国境のこの町まで来れば少しは情報が手に入るかと思ったけれども、国境警備兵や流れの冒険者達からもロクな情報は得られなかった。まぁ確かに、今日日わざわざ魔族領に行こうなんて連中はいないか。
他国にまで赴き、魔王をぶち殺そうなんて連中は勇者しかいないのだから。
そうして待ち合わせ場所である宿屋で、毎日酒を煽りながら、ガイドが来るのを待っていた。こういう時、携帯電話がなく遠方と連絡が取れない異世界は不便だなと思う。特に待ち合わせは1ヶ月も待つことになる、なんてのはザラにある世界だ。人も簡単に死ぬし、剣と魔法で武装する世界だし、異世界ってのは恐ろしい所だ。
「もし、アキラ・ナガツカ様という方を知りませんか?」
低い女性の声だった。
歴戦の勇士みたいな、自分の腕に自信がある力強くも落ち着いた声。こんな辺境に珍しいな、と思いながら、こんな辺境だからか、と思い直す。
こちらでは、西洋式の名乗り方がスタンダードだったなと思い返しもしながら。
「アキラ・ナガツカは俺のことですが」
「え? 貴方が?」
女性は少し驚いた声を上げた。
困惑して、ちょっと侮蔑も混じった様な視線だった。彼女の表情の変化に、それもそうかと思い至る。
辺境のこの町に辿り着き、やることが何もなくなった途端に、体から全ての力が抜けていた。酒を飲んでいないと、あの3年間の事をどうしても堪らなく思い返してしまうから、酒を呷って忘れることにして、この旅の経費は全部吉高くんの商会で落ちるらしいからと、酒浸りの日々を送っていたのだった。
まぁこんな廃人間際の人間が、姫君を助け出した英雄アキラ・ナガツカには見えない訳だ。
「……悪いけど、人を待っているんです。サインならヨシタカ商会のお土産売り場に売っているらしいので……」
「? 何か勘違いしておられませんか?」
もう一度、宿の酒場で項垂れながら、俺のことを見下ろしている女性の目を見やる。
「私が、貴方のお供を命じられた、ケイト・アレンハデル・クリアウォーターです。よろしくお願いします、主さま」
「えぇー、聞いてないよぉ」
チェンジで。断固としてチェンジで。
え、というか吉高くん。とびっきりの美女を用意したって言ってたよね? 詐欺じゃん。いや、綺麗な人だと思うよ。確かに美女だとは思うよ。でもさ、普通は人族だって思うじゃん。彼女思いっきり2m50cmはあるよね? 超筋骨隆々だよね? 頭から角が二本生えているし、赤い肌に白い髪色って思いっきりオーガ種だよね、彼女。そりゃこれから旅立つ魔族領に詳しい人がガイドになる訳だけれど、これから赴く土地はオーガが住まう土地じゃないじゃん。人間が潜入ってだけでもなかなか危険だと言うのにさ、オーガと人種の組み合わせって奇妙奇天烈な組み合わせすぎるじゃん。まず、美女のガイド云々の前段階から問題だよね?
「お気に召しませんでしたか?」
「いや、そうじゃないんだけど……」
「それではこちらを。ヨシタカ様からです」
「吉高くんから?」
彼女から便箋を受け取る。びりびりと破いて、中の手紙を読む。
前略
ケイト・アレンハデル・クリアウォーターさんを長塚くんの護衛兼ガイドとして任命しました。
こちらの作法上、奴隷という形になりますが、彼女とも3年契約の雇用契約なので、くれぐれも彼女の命は大切にお願いします。
当然危険なお仕事だし、不慮の事故等で命の危険があることは彼女も承知の上です。ですが、彼女はオーガの世界ではやんごとない身の上の方ですので、彼女になにかあったらオーガの軍隊がきっと貴方を殺しに来ると思います。
その辺りを踏まえた上で、魔族領での調査を頑張ってください。
くれぐれも、死ねば助かるのに、なんて何処かの勝負師みたいなことは思わないように。
追伸
こちらの手紙は、奴隷契約の発動装置も兼ねています。
手紙を燃やしても意味はありません。それでは絶世の美女と共に、素晴らしい異世界生活を!
「あの野郎! またハメやがったな!」
「主さま?」
「あ、ごめん。大きな声を出して……って痛っ」
手紙を読み終えた後、途端に俺の左手の甲に痛みが走る。それはどうやら目の前の彼女も同じようだった。
焼印が押されるような熱さと痛み。その痛みが走った後は、不思議と痛みは消えていて、左手に刻印が刻まれている。
丸い円に様々な文様が刻まれた魔法紋。いわゆる奴隷紋と呼ばれる、不可逆の主従の証。
「これが、奴隷紋か」
「これが、夢にまで見たエンゲージサークルなのですね」
「ん? えんげーじさーくる?」
苦い顔をしている俺とは違い、うっとりとした目で左手の甲を眺めている彼女。
俺の怪訝な目に気づくと、うっとりした目のまま続けた。
「私たちオーガは、いつだって身命を賭すべき主君を探し求めています。このエンゲージサークルはその証。末永くよろしくお願いしますね、主さま」
「いや、3年契約ですけどね」
これはあれかな吉高くん。不良債権同士をぶつけて何か上手いこと行けばいいかなー、という損切りか何かかい? 何かのツテでオーガの姫君の身柄を抑えたけれど、持てましたよね? これはどう肯定的に見ても、俺に擦り付けたよね?
この異世界は、数多の勇者が召喚された世界で、数多の勇者によって魔改造された異世界でもある。
不可逆の主従を定める奴隷契約ですら、雇用契約として活用されている、この世界。吉高くんのチートは凄まじいけれども、あくまで魔改造された魔法という概念を利用しているに過ぎない。
それにしても、エンゲージサークル、か。本当に希望に満ちた顔をしている。
ケイト・アレンハデル・クリアウォーターさんから見れば、憧れだった優良企業に就職した、という感じなのだろうか。
夢が夢だと気づくまで、自分のあこがれがブラック企業だと気づいて、純粋な新卒が皆すべからく闇落ちしていくんだよなぁ。
「まぁ、なんにせよ。よろしくね清水さん」
「シミズ?」
「あぁ、俺の故郷では、クリアウォーターはシミズ、と呼ぶんだ。まぁ仇名ということで」
「そうなのですね。シミズ、勇者様の世界でのわたしの名前」
うっとりとしている清水さんに悪いから、クリアウォーターより清水の方が呼びやすいから、という事情は黙っておくことにした。
あっちも、こっちも。ろくな世の中ではないのだけれどもね。
ともかくも、俺の借金返済のための、魔族領調査の旅にオーガの清水さんが加わることになった。
あるいは、何かしらの事情で国許を離れなければいけないオーガの姫君の逃避行に、体よく宛てがわれることになった。
まぁでも難しいことを考えると頭が痛くなるから、傷心旅行に、同行者が出来た、ということにしよう。
そのチートは何のために 二桃壱六文線 @nakasugi
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