【ホラー】カチカチ山考、若しくは兎の大手柄【原作準拠】
山本倫木
テーマ【未知】
『カチカチ山』という民話がある。随分と古い話であるようで、物の本によれば室町の末期には既に現代と同じ形で成立していたという。また、江戸時代には『兎の大手柄』とも呼ばれたとの話も聞く。およそ、以下のような物語である。
〇
昔、或る処に悪逆非道の
狸は毎日のように畑を荒らし、老夫婦の耕す僅かな収穫さえ無に帰さしめた。当然、
しかし、この温情に対し、狸は驚くべき報い方をする。台所にあった杵を以って媼を撲殺した。恩を仇で返す恐るべき蛮行である。狸の悪行はこれに留まらない。狸は媼の亡骸を解体して婆汁を拵える。そして自らは媼に化け、帰宅した翁に婆汁を振舞うという暴挙に出た。食い慣れぬ味に翁が妙な顔をした瞬間、狸は正体を現した。
「婆汁食べた! 婆汁食べた! 流しの下の骨を見ろ!」
狸は翁を嘲って遁走する。御伽噺界広しと言えども他に類を見ない、極めて猟奇的な凶行である。翁の驚愕、悲壮、憤怒は如何ばかりであったか。筆者の筆力では、とても表現しきれるものではない。
翁には
「助かる命なら助けるもんじゃ」
媼はそう言って兎を抱きかかえると、自宅でひと月もの間、兎を看病した。結果、兎は生気を取り戻し、故に、兎にとって老夫婦は命の恩人である。
兎が常のごとく翁の家に手土産を携えてやって来たのは、狸による凶行の翌日であった。兎は媼の姿が見えぬこと、翁が非常な嘆きの境地にあることに気が付き、何があったのかと尋ねる。当初、翁は悄然として首を振るばかりであった。しかし、どうにもただ事ではない。兎は幾度も重ねて翁に尋ね、ようよう事件の概要を聞き出すことに成功する。聞き出して、絶句した。信じがたい。生き物の為す事とは到底思えぬ。だが、調べるまでもなく物証は明らかである。
兎は翁と共に媼を懇ろに弔った。墓碑に向かって合掌しながら、兎は心中決意する。必ずや媼の仇を討つ。狸の為したことは鬼畜の所業である。到底、狸をこの世に生かしては置かれぬ。さもなくば、己がこの世に生きる甲斐がない。
兎は策を練った。己は非力な兎である。仇を討つには、相手の隙を伺わねばならぬ。だが、相手の狸は、人を人とも思わぬ酷薄な禽獣である。必ずや利己的で疑い深いに違いなく、容易に騙されるとは思えぬ。兎は胸中に策謀を巡らしながら日々を送る。妙案はなかなか浮かばない。
仇を討つとは決めたが、生きるには雑事をこなさねばならぬ。然して、ある日、兎は薪を拾いに出かける。山に向かう途上、兎に声をかける者があった。
「兎さん、精が出るね」
狸である。己を目の前にしても飄々としている。奴は己と老夫婦との間柄を知らぬとみえる。
「やあ、狸さん。今から薪拾いに行くんだ。良ければ一緒にどうだい」
平静を装いつつ、兎はさり気なく狸を同行に誘った。まだ、仇を討つ策は定まっては居らぬ。だが、当人に近づけば、もしや案も浮かぶやもしれぬ。咄嗟にそう考えたのである。狸はかすかに思案し、ちらりと兎の腰に目を向けた。
「おいら、腹が減っているんだ。その腰にぶら下げているのは、握り飯だろう。くれるんなら、手伝おうじゃないか」
兎は快諾した。願ったり、叶ったり。握り飯を渡し、兎は狸を連れて山へと向かう。
道中歩きながら、狸は旨い旨いと飯を頬張る。子供のように無邪気な仕草である。純朴に味覚を楽しむ様子は、冷酷無比の悪漢とは思われぬ程である。狸は握り飯を食い終えると、兎にこの握り飯は炊き加減が良いな、などと呑気に語りかけた。その語調もまた、童のようにあどけない。兎は適当に相槌を打ちながら、考えた。
妙である。狸にしてみれば、握り飯を貰った以上、これ以上兎から得るものは無いはずである。薪拾いという仕事をせぬ先に飯を渡したのは、咄嗟の事ゆえの己の浅はかであった。だが、狸は逃げることなど思いもつかない、という顔で飯を食らい終えても己に同行する。狸は利己的で疑い深いに違いない、と思ったのは、もしや考え過ぎであったのか。何にせよ、これは仇を討つ絶好の機。
山には、薪になりそうな枯れ枝が沢山落ちていた。
「さっき、握り飯をもらったからな」
狸はそう言うと、多量の薪を拾い集め、一つにまとめて背負った。骨惜しみをする素振りもない、実直な働きである。背負った薪が、背中の上でぐらりと揺れる。その様子を見て、兎は策を思いつく。
「狸さん、ありがとう。でも、そのままだと薪が崩れるね。縛ってあげよう」
言って、兎は狸の体に縄をかけ、荷を狸に括り付ける。狸はちょいと飛び跳ね、なるほどこれなら運びやすいな、とにこりと頷く。縄は強く縛った。故に、狸が暴れても一寸ほどけない。
「この先に、もっと沢山落ちている場所があるんだ。すまないが、今日はもう少し持ち帰りたいんだ。付き合ってくれないか」
兎の提案に、狸は嫌な顔一つしなかった。狸は兎の案内のまま、先に立って歩き始める。兎は眼前に揺れる薪の山を見ながら、懐から火打石を取り出した。薪はよく乾き、また、細かい枯葉も含んでいる。これは良く燃えるであろう。背に括り付けた薪を燃やし、狸を火攻めで成敗する。これが策であった。兎は火打石を叩き合わせる。
カチ カチ
意外と大きな音が響く。しくじった。兎は、慌てて石を懐に仕舞う。兎は、小枝の端に火を点ける算段だった。しかし、これだけ音がしてしまえば、火が点くより先に気づかれる。考えてみれば当然のことだが、失念していた。所詮は火急の策、穴があったか。
「兎さん、なんだか、カチカチと音がするね」
だが、案に反して狸は長閑で間の抜けた感想を言うのみ。まさか、と思いつつ、兎は平生の如く応じる。
「あれはカチカチ鳥の鳴き声だよ。ここはカチカチ山だからね」
あからさまな嘘である。しかし、狸は、そうなんだ、兎さんは物知りだね。と感心するばかり。振り返りもせずに歩き続ける。
この策は当たる。兎は直感した。期待が胸で騒ぐ。兎は再び、火打石を手にした。極度の興奮に、石を持つ手が震える。打ち合わせるとカチカチと音が鳴ったが、もう、狸は気にする様子もない。
やがて、火が点いた。折から風が吹いている。季節柄、乾いた風である。小さかった火が、風に煽られて徐々に大きくなる。
ボウ ボウ
「兎さん、なんだかボウボウと音がするね」
まだ、熱が伝わっていないのだろう。狸は相変わらずの呑気な声であった。馬鹿め、まだ気づかないのか。燃え広がっていく炎を瞼に焼き付けながら、兎はそう考えた。
「あれはボウボウ鳥の鳴き声だよ。ここはボウボウ山だからね」
口から出まかせである。薪の燃える音は、鳥の声には似ても似つかぬ。だが、狸は、そうなんだ、兎さんは物知りだね。と再び感心した声。振り返りもせずに歩き続ける。
炎が広がるにつれ、兎は己の心の奥底から未知の感情が湧きあがりつつあるのを発見した。それは、復讐の悦楽であった。動物を生きたまま焼き殺す。これは外道の為す業である。だが、今、己が為しているこれは、無力な者が強大な敵を打ち倒すための知恵なのだ。堂々と振るうべき、正当の暴力なのだ。初めて知る己の一面に、兎はごくりと唾を呑む。
パチ パチ
薪が爆ぜて、音を立てる。既に、策は決した。あとは結果を待つばかりである。
「兎さん、なんだかパチパチと音がするね」
「あれはパチパチ鳥の鳴き声だよ。ここはパチパチ山だからね」
兎の返事は上の空であった。兎の眼前で燃える炎は、最早、至近で見る者の肌を炙るほどである。狸は歩みを変えない。だが、それももう長くは続かぬであろう。兎はこれから起こるであろう出来事への期待に、胸を躍らせる。それは、嗜虐の喜びであった。しかも、相手は無辜の民草ではない。文句無しの悪党であり、生きながら焼かれるべきほどの大罪を犯した者なのだ。兎の心は、正義の焔に燃え盛っていた。
「兎さん、なんだか背中が熱いよ」
ついに狸がそう言った時、返事はなかった。不思議に思った狸が振り返る。そこには誰もいなかった。ただ、冷たく乾いた風が吹き抜けるばかりである。兎は既に姿をくらまし、藪の中に身を潜めていた。
「兎さん? どこだい? おいらの背中、どうなってるの?」
狸の声に、焦りがにじむ。姿を隠していても声は聞こえる。兎は独り、身を隠したままほくそ笑んだ。やがて、狸は己の身に何が起こっているのか、漸うにして気づく。恐ろしい悲鳴を上げ、荷を降ろそうと足掻いた。しかし、背に負った薪は容易に下ろせぬように、きつく兎が縛り上げている。頃合いとみて、兎はその場を逃げ出した。焼かれる狸の絶叫は、遠くまで響き渡っていた。
その後も、兎は狸を執拗に追い詰める。
カチカチ山事件の後、狸は命からがら自分の巣へと逃げ込んだ。そこを、兎は素知らぬ顔で見舞う。兎を目にした狸は、当然、己をこんな目に合わせた癖に何をしに来た、と怒る。が、
「それは違う兎の事だろう。僕は知らないよ」
兎がそう嘯くと、再びころりと騙される。兎は治療と称し、狸の火傷に唐辛子を塗り込む。狸が痛みで絶叫するや、兎は笑いながら遁走する。狸は三日三晩、激痛で夜も寝られぬ有様となった。
その後も、兎は日を変えて何度も狸の下を訪れた。なぜ己をこんな目に合わせるのだ。狸がそう言っても、
「それは違う兎の事だろう。僕は知らないよ」
これで狸は騙されてしまう。そして兎は狸を散々に嬲りたおし、最後には泥船に乗せて海へ連れ出して始末をつける。泥船は波にもまれて溶解する。兎は、別の木造の船から海で溺れる狸を見届け、物語を終える。
〇
ここまでが、巷間に伝わるカチカチ山の筋である。多少、筆者による脚色はあるが、婆汁のくだりや、兎が狸を繰り返し追い詰めるくだり、そっくりそのまま原典に記述がある。「それは違う兎の事だろう」の繰り返しも、古い型の原典の描写を借りている。
ところで、溺れゆく狸と兎は、最期にどのような対話を交わしたであろうか。民話は、その辺りの事情は黙して語らない。故に、筆者は想像する。それは、もしや次のような対話になったのではないか。
〇
「兎さん、助けて」
泥船は瓦解し、海原へ沈んでゆく。狸は波に吞まれつつ、それでも必死に兎の船を目指して泳ぎ寄る。
「性悪狸め。媼の仇、覚えたか」
もはや、狸の命は風前の灯。名乗りを上げるは、今しかない。兎は船上から狸を見下し、大きく見栄を切った。
「媼の、仇って、なんだよお」
波間から顔を出しつつ、狸が叫ぶ。波を被る度、潮が口に飛び込む。故に言葉は途切れ途切れである。狸は兎の乗る船に向かって手を伸ばすが、兎は手にした櫂でその手を痛烈に打ち据える。
「とぼけるな。翁から全てを聞いている。媼を殺害した挙句、それを翁に食わせた所業、忘れたとは言わさぬぞ」
伸ばした手を打ち払われ、狸は思わず手を引く。弾みで水に沈み、兎は狸の姿を見失った。これが狸の最期か。いや、狸が生き汚いのは先刻承知。兎は櫂を手にしたまま、海上をねめつける。もしまた彼が波間に顔を出せば、再びぽかりとやっつける腹積もりである。果たして、狸は姿を現した。が、それは兎の手の届かない、離れた海面であった。
兎は船を狸に向けて漕ぎ寄せる。狸は何やら叫んでいる。聞いてなどやるものか。頃合い良しとみて、兎は大きく櫂を振りかぶる。狸は、恐ろしい顔をしていた。鬼気迫る表情である。それは、詫びるでも、怒るでもない。ただ、話を聞いてくれと必死に懇願する顔であった。しかし、兎はそれを解さない。動物には、微妙な表情の違いは理解できないのである。それどころか、他種の動物の個体識別すら怪しいところがある。
「それは、違う狸の、事だろう。おいらは、知らないよお」
叫ぶ狸の頭めがけて、太く硬い樫の櫂が勢いよく降り注いだ。
〇
御伽噺は様々な教訓を含むという。無暗と残酷なこの話にも、きっと、何らかの教訓が含まれるものと、筆者は信ずる処である。
【了】
【ホラー】カチカチ山考、若しくは兎の大手柄【原作準拠】 山本倫木 @rindai2222
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます