リモート会議してたらダンジョン管理者になって、改善してたら魔王に定義されました

遠藤 世羅須

第1話 定義して下さい(スライム湧き編)

朝6時半。

佐倉直人(32)は、目覚ましより先に“家”に起こされるタイプだった。


「パパー! みて! きょうの うんこ、ながい!」


脳がまだ半分寝ている。

直人の思考は勝手に会議資料みたいになる。

(議題:うんこが長い)

(定義:長いとは何cm以上を指すのか)


……やめろ、脳。起きろ。

段々と目覚ましモードになり、目を開けるとそこにひながいた。


幼稚園児の娘・ひなの報告は、だいたい重要度判定が難しい。

「……すごいね。健康だね」

直人は適切な表情を探し、見つからなかったので“うなずき”で代替した。


朝の家は、戦場ではなく、突発イベントの連続だ。

「パパー! きょう、ようちえんで“まおうごっこ”する!」

娘のひなのが、歯ブラシをくわえたまま宣言する。

「魔王はだいたい悪役だけど、人気もあるね」

直人は適当にうなずき、靴下の左右を揃えた。


キッチンでは妻の美咲がフライパンを振っている。

「直人、牛乳。あと今日はゴミの日!」

「了解。……ゴミは“可燃”の定義で合ってる?」

「またその言い方!」

美咲が笑いながらツッコミを入れて、ひなのが真似する。

「ていぎしてくださーい!」

キッチンから妻の美咲が声を飛ばす。

「直人、今日の夕飯どうする?」

「夕飯の要件を定義して下さい」

「今すぐやめろ、その言い方!」

家笑い声。平和だった。

直人は基本いい人で、家族のために動ける。

たぶん。


ひなのの靴下が左右バラバラでも、直す。

美咲が「それ、今じゃなくていいでしょ」と言う棚の整頓も、直してしまう。

そしてたいてい、直したあとに言う。

「……これで再発防止できる」

「家を仕事にするな!」


リビングの一角。直人の“在宅勤務基地”は、他人が見たらやや引くくらい整っている。

デュアルモニター、昇降デスク、ケーブルは結束バンドで90度に折れている。

壁の棚には、未開封のゲーム限定版。

開封する時間はない。眺めて満足するタイプのオタクだった。


8時45分。

娘を送り出し、妻が出勤し、家が一気に静かになると、直人は呼吸のリズムを仕事仕様に切り替える。

仕事スイッチが入ると、温度が落ちる。

8時55分。

在宅勤務基地に座り、デュアルモニターが点く。

Slackの通知が、静かに襲ってくる。

「佐倉さん、問い合わせが増えてます」


直人は手を止めない。

――ピロン。

Slack通知。

「直人さん、例の件、再発してます…」

「すみません、仕様ですか?」

直人は“いい人”のままキーボードを叩く。

「はい、見ます」

ここまでは柔らかい。

だが、案件の全体像が見えた瞬間、瞳の湿度が落ちる。

“仕事スイッチ”が入るのは、本人にも止められない。


「まず、問題を定義して下さい」

チャットに投げる文章は、冷たいほど正確だ。

「再現手順、環境、発生頻度。あと“困っている”の内容を定量化お願いします」

Zoomの定例が始まる。

画面に並ぶ同僚の顔、皆だるそうだが、直人は穏やかに言う。

「では始めます。今日の目的は“炎上を鎮める”ではなく、

 炎上しない仕組みを作ることです」

誰かが小声で「出た、仕組みおじさん」と言った気がしたが、直人は気にしない。

気づいていないふりが一番効率的だ。


会議は順調。

直人は静かに、しかし容赦なく“改善”を積み上げる。

そして最後に、例の一言で締める。

「それ、仕様です。ただし仕様は変えられます。――変えます」

画面の端にログが出る。

Spawn Rate:上昇中

原因:管理者ログインに伴う負荷試験

対応期限:今(※)

「今って期限が雑すぎるだろ」

直人は思わず口に出し、すぐに口を押さえた。


その瞬間だった。

右側のモニターが、あり得ない色で瞬いた。

見たことのないウィンドウが、勝手に最前面に出る。

DUNGEON ADMIN CONSOLE

その下に、気軽すぎる日本語が表示される。

「ようこそ管理者さま。

本日からあなたが、ダンジョンの運営責任者です」

直人は一度、ゆっくりまばたきした。

落ち着け。まず定義だ。

「……ダンジョンの定義して下さい」

すると画面が暗転し、現実のZoomの音が、遠くなる。

代わりに、鈴のような声が耳元で笑った。

「ふふ。いいですね、その癖。――直人さま」


モニターの中から、銀髪の美人が振り向く。

秘書のように優雅で、目つきだけがやたらと挑発的だった。

直人は、息を飲んだ。

(……うそだろ)

銀髪の光り方。睫毛の角度。口元の小さなほくろ。

そして何より、胸元で控えめに揺れる、あの“青い結晶のペンダント”。

直人の脳内で、封印していたオタク領域が非常ベルを鳴らす。

(ミリア……? え、ミリア?)

(『魔城運営ミリア様』の? あのSSRの?)

(俺、LV80だったよな。 え? 画面から? 出てきた?)


口が勝手に開く。

「……ミ、ミリ……ミリア?」

美人は、当然のように微笑んだ。

「はい。ミリアです」

直人の心臓が、ゲームのガチャ演出みたいにドクドク鳴った。

「いやいやいや、待ってください。ミリアって、あの……推し……」

言いかけて、直人は自分の口を手で塞いだ。

(言うな。推しとか言うな。32歳だぞ。既婚だぞ。娘いるぞ。何言ってる)


しかし、ミリアは一歩も引かない。むしろ“わかってる顔”で首を傾げた。

「直人さま。推しに会えて、嬉しいですか?」

「……っ」

「ふふ。顔、真っ赤ですよ」

直人は椅子ごと後ずさり、背後の棚に肘をぶつけた。

コトン、と小さな音。未開封の限定版フィギュアが危うく倒れかけ、

直人が反射で支える。

(落としたら死ぬ)

(俺が)

「待て待て待て……え、何? 俺、夢? 過労? いや睡眠は取ってる。たぶん」

「現実です。直人さま」

「いや、現実にミリアはいないから!」

ミリアは涼しい顔で言う。

「います。今、ここに」

「だからそれが問題なんだよ!」


直人は、いったん深呼吸しようとして失敗した。

推しが目の前にいると、人は呼吸が下手になる。学びだ。

ミリアは、優雅に手を叩く。

パチン――と、軽い音。

すると画面の端に、勝手にUIが出た。

《直人さまの動揺度:92%》

《承認欲求:起動準備完了》

「やめろォ!」

直人は思わず叫び、すぐに我に返って口を押さえる。


――Zoom。

そうだ、Zoomの定例中だ。

「佐倉さん? いま画面固まりました?」

Zoomから同僚の声が聞こえる。

直人は社会人として最適解を選ぶ。

「すみません、軽微な通知が出ました。すぐ戻します」

軽微ではない。だが“軽微”と言い切るのが社会人だ。

右耳のイヤホンから「佐倉さん? どうしました?」と同僚の声が遅れて届く。

直人は即座に社会人の仮面を被る。速い。ここだけはプロだ。

「すみません。子どもが……いえ、猫が……」

(うちは猫いない)

「……画面に、変な通知が出て。すぐ戻します」

ミリアが、にっこり笑う。

「家族思いですね。素敵。――でも今は、仕事ですよ」

「仕事って、何の」


ミリアはさらっと言った。

「ダンジョン運営です。まずは“内部対応”から」

「内部?」

「はい。直人さまがログインしたせいで、システムが目覚めました」

監視映像が切り替わる。

石造りの廊下――その端で、半透明のゼリー状の何かがぴちぴち跳ねていた。

「……スライム?」

「スライムです。最下層の雑魚。かわいいでしょう?」

「かわいい……というか、なんで“増えてる”んだ?」

廊下の端に、同じスライムがもう一匹、ぴち。

さらにもう一匹、ぴち。

数が、ゆっくり増える。

ミリアが、優雅に煽る。

「直人さま。初日から“湧き潰し”できないんですか?」

「煽るな。まず原因だ。勝手に湧くのはバグか仕様か、定義して」

「仕様です♡」

「最悪の仕様だな!」


画面の端に、勝手にログが表示される。

《Spawn Rate:上昇中》

《原因:管理者ログインに伴う負荷試験》

直人の口調が、すっと乾く。

「……負荷試験か。つまり、俺がログインすると処理が走る。

止めるには“閾値”を決める必要がある」

「閾値?」

「スライムが何体までなら許容? “かわいい”の上限、定義して下さい」

ミリアが一瞬だけ黙って、にやっと笑う。

「……言いますね。推しの前で」

「推しとか言うな!」

「でも、かっこいいです。S評価、あげたい」

その一言で、直人の胸の奥の“承認欲求”が、嫌な音を立てて点火する。

「……よし。やるか」

直人はキーボードを叩いた。

ダンジョンに向けて、“業務改善”を実行する。


――そうだ。Zoom。

右耳のイヤホンから「佐倉さん、聞こえてます?」が近づいてくる。

直人は咳払いして、現実側に戻る。

「大丈夫です。続けます」

声だけは落ち着いている。顔は落ち着いていない。

ミリアは、楽しそうに指を鳴らした。

パチン。


直人はキーボードに手を置く。

目が乾く。声が低くなる。仕事スイッチだ。

「湧き条件は“管理者ログイン”。つまり俺がいる間、試験が走る」

「はい」

「じゃあ試験の目的は何?」

「ダンジョンの耐久性確認です」

「耐久性の指標を定義して」

「……かわいさ?」

「違う」

ミリアがクスクス笑う。

その笑い方が、推しキャラすぎて腹が立つ。

直人は淡々と手を動かす。

「スライムが湧き続けると、何が困る?」

「廊下がぬるぬるします」

「転倒リスク。モンスターも侵入者も滑る」

「侵入者?」

「いずれ来る。今は“内部事故”として扱う。……よし、対応方針」


直人は、画面に“チケット”を切った。

なぜか管理コンソールに、見慣れたUIがある。Jiraに似ている。

ISSUE-001:スライム過剰湧きによる廊下滑走事故

影響範囲:最下層

優先度:High

対応:湧きポイント制御/回収導線設計/再発防止

ミリアが目を細める。

「その手つき……好きです」

「好きとか言うな。作業に集中できなくなる」

Zoom側で、別の同僚が言う。

「佐倉さん、いま“好きとか言うな”って……」

直人はノータイムで返す。

「すみません、誤字が多くて。文章に言いました」

(文章じゃない。推しだ)


直人はスライム映像を拡大する。

湧きポイントは、廊下の隅のひび割れ――そこから“ぴち”と生まれている。

「湧きポイントは固定。よし、封鎖できる」

「封鎖しちゃうんですか? かわいいのに」

「かわいいは目的じゃない。安全が目的」

「安全の定義して下さい」

「……転倒ゼロ、清掃工数最小、スライムの死亡率は低め」

ミリアが嬉しそうに拍手した。

「優しい! さすが直人さま!」

その瞬間、直人の背筋に電気が走る。

(ほら来た。褒められた)

(やめろ、俺、止まれなくなる)

直人は自分で自分を制御しようとするが、すでに遅い。

指が勝手に“改善”を始める。

「湧きを止めるだけじゃダメだ。湧くなら活用する」

「活用?」

「スライムは粘液。清掃に使える。ダンジョンの廊下は汚れる」

「汚れますね」

「じゃあ、スライムを“清掃部隊”にする」

ミリアが口元を手で隠し、笑う。

笑いながら煽る。

「魔王みたい」

「魔王はやめろ」


直人はコンソールに命令を打つ。

湧き上限(CAP)設定:一定数で停止

湧き間隔(INTERVAL)制御:指数増加を抑止

スライムAI:巡回清掃ルートを学習

回収ポイント:余剰スライムは“回収箱”へ誘導

画面に、スライムが列を作り始めた。

ぴち、ぴち、ぴち。

壁際を一定間隔で進み、廊下をぬるぬるではなく“つやつや”に磨いていく。

ミリアがうっとりした声で言う。

「綺麗……そして、かわいい……」

「よし、転倒リスクは下がった。清掃工数はゼロ。

 スライムも生きてる。三方良し」


その瞬間、派手なファンファーレ。

評価:A

管理者直人さま:ダンジョン改善レベル 1 → 3

報酬:魔王演出(軽)解放

「演出って何だよ」

直人が言い終える前に、部屋の照明が一瞬だけ暗くなる。

どこからともなく低音のSE。

椅子の背もたれが勝手に“玉座っぽい形”にせり上がる。

直人は真顔で叫んだ。

「やめろ! 家に玉座は要らない!」


Zoom側で、全員が固まっている気配がする。

画面越しに、同僚たちの目が、明らかに“家に玉座?”になっていた。

直人はミュートを押し忘れていた。

(最悪)

「佐倉さん……家に玉座って、どういう……」

リーダーが恐る恐る聞く。

直人は、社会人として最適解を選ぶ。

つまり、正面突破。

「すみません。椅子のヘッドレストの話です」

「ヘッドレストが玉座?」

「……そういう商品、あります」

(ない)


ミリアが、ミュートの概念を知らない顔で囁く。

「直人さま、現実でも支配してるんですね」

「支配してない! ただ改善してるだけ!」

直人はようやくZoomをミュートした。

そして深呼吸。

(落ち着け)

(いまは会議とスライム、両方のSLAを守れ)


Zoomの画面では、同僚が議題を進めている。

直人はチャットで淡々と補足だけ投げる。

直人:仕様変更の影響範囲は本日中に整理します

直人:再発防止策は明日までに案を出します

直人:目的の定義が曖昧なので、要件整理お願いします


一方、ダンジョン側ではスライムが整列し、清掃を終え、

余剰が回収箱に吸い込まれていく。

“回収箱”のラベルが勝手に可愛くなっていた。

すらいむポイポイ箱♡

「誰がラベル付けた」

ミリアが微笑む。犯人の顔だ。

「可愛い方が、みんな従うんです」

「職場でもそれやってくれ」

ミリアはさらに追い打ちをかける。

「直人さま。いまの改善、侵入者が来たらどうなります?」

「……滑らない。清潔。視界良好。安全」

「侵入者に優しいですね」

「事故”があると無駄が増える」

「なるほど。じゃあ、侵入者が“絶望”するポイントは?」

「……」

ミリアがにっこり。

「直人さま、ほら。承認欲求が顔を出してます」

「出してない」

「出してます。S評価、もっと欲しいですよね?」

「……欲しくない」

「じゃあAにします?」

「……っ」


直人の声が乾く。

「次の課題を定義して」

ミリアが楽しそうに宣言した。

「次は“巡回部隊”です。ゴブリンたちがサボってます」

直人はミリアを見ないようにして、Zoomをアンミュートする。

会議は終盤。リーダーが言う。

「じゃあ最後、佐倉さんから一言」

直人は、完璧な社会人の声で言った。

「はい。次回までに各自アクションお願いします。

定義が曖昧な部分は持ち帰って整理します」

一拍置いて、付け足す。

「……以上です」

ミュートを押した瞬間、ミリアが拍手した。

「現実でも魔王みたい」

「だからやめろ!」


画面の端に、新しい通知が出る。

ISSUE-002:ゴブリン巡回怠慢(定例未実施)

ISSUE-003:宝箱在庫管理(棚卸し未完了)

ISSUE-004:侵入者検知センサー(未導入)

直人は額を押さえた。

(俺は……在宅勤務のサラリーマンだぞ)

(なんでダンジョンの運用まで……)

ミリアが、推しキャラの完璧な笑顔で囁く。

「直人さま。お仕事の時間です」

「……仕事、増やすな」

「増やしてません。見える化しただけです♡」

直人の胸の奥で、また小さな火が灯る。

S評価の快感。褒められる中毒。

そして何より――推しに見られているという、最悪に強い圧。

直人は椅子に深く座り直した。

玉座っぽい背もたれが、妙にフィットするのが腹立たしい。

「……まず、ゴブリンを定義して下さい」

ミリアが、嬉しそうに笑った。

「はい。直人さま」


(第2話に続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リモート会議してたらダンジョン管理者になって、改善してたら魔王に定義されました 遠藤 世羅須 @Echoes711030

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画