キカイコウ!

ペンネ

第0講 キカイコウ

 桜の花びら。間延びしたような暖かさ。期待と不安が同居するような浮ついた気分……。

 すでに幾度となく体験してきたそんな感覚ではあるものの、春野ハルノシオリは今まで以上に緊張していた。

(ど、どうしよう…。私、成人しちゃったよ……)

 ごくり、と喉が鳴った。

 栞は昨年の冬に18歳を迎えたばかり。


 そして、年を越して春。

 めでたく、栞は大学生になった。この日、大学の入学式が開かれ、栞も参加していた。


(だ、大学……)

 栞はいつになく緊張していた。それは、今まで着たことがないスーツを着ているということもある。

 しかし、「それだけ」ではない。

「………」

 と、栞は辺りを見渡した。周りには、栞と同じようにスーツ姿の人たちが席に着いている。同じくらいの年齢に見える人ばかりである。

 黒山の人だかり、とはうまく言ったもの。髪を染めている人は見当たらない。

 すると、栞は肩を強張らせながら思わず下を向いた。

 そして、


(…私の周り、男子しかいないんですけどー!?)


 思わず心の中で叫んでいた。

 栞の姿はさながら「借りてきた猫」のような様相を呈していた。


 工学部機械工学科。定員は50名。入学者は56名、そのうち女子学生はわずか13名。

 そして、栞はこの日、「工学部女子」の仲間入りを果たした。


***


 入学式から数日。

 大学の大教室では連日のように新入生ガイダンスが開かれ、履修登録冊子やシラバス、その他諸々の書類やらチラシやらを配布され、イマイチ想像ができない大学生活やら大学の学習やらへの心構えを聞かされた。


(つっかれたぁー……)


 重々しい溜息とともに、栞の肩にはズッシリとした疲労感と履修登録関係の書類の質量×重力加速度が加わった。

(え…? ホントに私以外に12人も女子いるの? ぜんっぜん見つからなかったんだけど!?)

 大教室の席に座ると、周りには男子学生ばかり。栞は思わず身構えてしまい、常に体を強張らせていた。

(自律神経が…自律神経が持たないよぉ……)

 再び深い溜息を吐くと、近くのベンチに腰かけた。そのままだらりと上体を背もたれに預けた。と、その反動で肩にかけていたトートバッグが滑り落ちた。中の履修登録関係の冊子やチラシ類が地面にドサドサと音を立てながら崩れて行く。

「あ…おっとっと……」

 慌てた様子で栞は地面に積み重なった書類や冊子を拾い集めて自らの横に置くと、トートバッグの中に仕舞った。

 一息つくと、栞は深い溜息を漏らしていた。


「…予想はしてたけど、まさかここまで女子少ないとは……。恐るべし工学部だよ…」


 背中を丸める栞の姿は、一回りも二回りも小さくなっているように見える。

(友達できるかな…? もしかして私、一人でやってかないとダメ系かな?)

 そんな考えがよぎった。が、栞はその場で勢いよく立ち上がった。そして、


「ううん! 私、頑張るよ! たとえ男子比率が高くても、女子の友達ができなくても、私は逞しく4年間やってくよ! そう決めたもん!!」


 両手の拳を強く握りしめ、胸元に掲げた状態で天を仰ぎながら高らかに言い放った。

 眼鏡の奥の瞳には、決意。グッと吊り上げたのは、両眉。その背筋は心なしか少し伸びていた。

 ふと辺りから何やら電気信号のようなものを受け取り、栞は我に返った。すると、栞は辺りを行き交う学生たちの視線の的になっていた。

(う…ヤバっ! 変人だと思われたじゃん…!)

 スッと表情を戻した。そして、遅れて両腕を下した。引きつったような笑みを浮かべると、

「あ、あはは…。ご、ごきげんよぅ~……」

 小さく右手を振ってみた。

 このとき、栞は「冷ややかな視線」というものを人生で初めて経験した。そして、栞に集まっていた視線は漣が引くようにして消えて行った。

 ドカッとベンチに倒れるように腰を落としていた。そのまま上体を背もたれに預けて頭をだらりとのけ反らせた。

 視界には、雲一つない夕方の空。太陽が沈みかけているのか、少し暖色かかった色味。

 そして、栞は長くて深い溜息をこぼした。そこから流れ出てきた負の感情は、その場に滞留することなく天を目指して立ちのぼっていた――ように栞には見えた。


***


「ん…? 今日は新歓か…」

 新入生ガイダンスの際に配られたチラシを覗き込みながら栞は呟いた。

 栞が立つ大学の中庭では、ブースがいくつも設けられ、学生たちがごった返していた。

 野球同好会、フットサル同好会、鉱物研究会、C言語研究会………。そこにはさまざまな幟や立て看板が立ち並んでいた。

(どれもしっくりこないなぁー…)

 特に宛もなくトボトボと歩いた。中庭を歩いている間、誰にも声をかけられなかった。

(まぁ…ありがたいけど、なんだかそれはそれで……)

 栞は口を噤んで無言のまま構内に入った。構内でも、空き教室を使って新歓ブースがちらほら開かれていた。

 扉の前や廊下には、個性的なチラシやサークル紹介の紙が貼られている。それらを見るとはなしに視線を送る。

(………およ?)

 廊下を歩いていた栞は足を止めた。そして、ある部屋の扉にゆっくりと近づく。

 眼鏡のレンズ越しにぼんやりと見えていた文字列は、近づくにつれてその鮮明さを増していく。

 やがて、栞は足を完全に止めた。栞がじっと見つめる紙には、こんな文字が躍っていた。


”新入生歓迎!履修相談会やってるよ~!!”


 その大きな文字の左上には吹き出しで「工学部女子来たれ!」と付記されていた。

(まさかの名指し…。え、でも履修相談か……)

 と、その場で栞は顎に指をあてて熟考。

(ヤバい団体だったらどうしよう…)

 と、栞の視界には、一番最初に映った文言の下にさらに大きな文字列が飛び込んできた。そこには、


”機械工学同好会”


 の文字。

「き、機械工学…ッ」

 栞は肩をビクリと震わせた。自分が所属する学科と同じ文字列。単純ではあるが、そこに少し親近感を覚えた。

(ち、ちょっと覗くくらいなら大丈夫…かな……?)

 栞は右手の拳を固めた。そのまま胸の高さまで持ってくると、意を決して扉を叩こうとした。

 そのとき――


「はいは~い!」


 部屋の中から声が聞こえた刹那、扉が部屋の中に開け放たれた。部屋の中からは、一人の女性が姿を現した。

 茶髪のボブカットに円い瞳。パステルアイボリーのインナーに黒のチェック柄のフレアキャミワンピース、ブラウンのショートブーツ。

 声音の明るさと背中から立ち上る春の陽気のような雰囲気。

「……ッ!?」

 栞は思わず目を見開いて硬直した。そんな栞の姿に女性は右手の指を揃えてスッと立てた。

「ごめん、ビックリさせちゃった? もしかして新入生の子?」

「え…? あ、は、はい…」

 実に硬直的に栞は返した。言葉というよりも一音一音をたどたどしく発音したような響きが部屋の中にまで広がった。

 と、女性は無邪気な様子で笑顔を浮かべた。

「機械工学同好会へようこそ! 履修相談会やるんだけど、まだウチの”チューター”が来てなくてさ、よかったら中で待っとく?」

「え…? あ…はい……」

「OK、じゃあどうぞー」

 栞は女性に誘われるまま部屋に入った。

 部屋の中には、机と椅子がセットで4列4行の正方行列のように並んでいた。そして、部屋の扉から見て右にはホワイトボードが設置されていた。

 机と椅子の奥の空間には、いくつもの棚が用意されており、その前方には作業台と工具が置かれていた。

(機械工学…だからか。一応、それっぽいヤツがあるから、そこまで怪しくないかも…?)

 そんなことを栞が考えていると、

「あ、そう言えば所属は?」

 先ほどの女性が訊いてきた。

「は、はい…。機械工学科です」

 言うや否や、女性は「うおッ!?」と上ずったような声を上げて栞の方を見た。その瞳の奥は輝いているように栞には見えた。

「え!? 機械工? あたしもだよ!」

「え、そ、そうなんですか…?」

「そうそう! 機械工の2年、高崎タカサキ千夏チナツね」

「あ…えと…機械工学科1年の春野栞です」

 と、軽く会釈した。

「栞ちゃんか…。OK、なんでも聞いてくれていいよ~。ってか、あたしも訊きたいことあるからさ!」

「え、は、はい…。あの、聞きたいことって…?」

 栞が問いかけると、高崎千夏はニッと屈託のない笑みを浮かべた。

 そして、



「ねぇ! 教えて! あなたの”推し機械メカ”!!」



 その言葉を聞いて、栞は目を丸くした。

「………へ? は……」

 

 

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