第3話 竜の血とガス利権
転生から一ヶ月半。
ガス流通の末端業者。それが、私の最初のターゲットだった。
王都の東区に、小さな配送業者がいる。
「ミハイロ配送」。老人と息子の二人で営む、零細企業だ。
コステンコ商会からガスを仕入れ、商店や一般家庭に配送している。
利益は薄い。だが、確実な需要がある。
「お嬢さん、うちに何の用だ?」
老人のミハイロは、警戒心をあらわにしていた。
白髪に日焼けした肌。長年の肉体労働で節くれだった手。
没落貴族の娘が、何をしに来たのか。
「お仕事を手伝わせてください」
「……は?」
「配送の手配、帳簿の管理、顧客との交渉。何でもやります」
老人は、しばらく私を見つめている。
それから、ゆっくりと口を開いた。
「金持ちの道楽か?」
「いいえ。本気よ」
私は、レンタル事業の帳簿を見せた。
一ヶ月で三百ディナールの利益。零細業者としては、悪くない数字だ。
「私には商売の才能がある。それを、ガス業界で試したいの」
「……」
老人は、帳簿を眺めていた。
老人は帳簿から顔を上げ、ふっと息をついた。
「いいだろう。だが、俺は給料を払えんぞ」
「構わないわ。勉強させてもらうだけで十分」
◇
それから二週間。
私は、ミハイロ配送で働きながら、ガス業界の実態を学んだ。
分かったことがある。
コステンコ商会は、帝国からの仕入れ価格を不当に吊り上げている。
末端業者への卸値が高すぎる。だから、消費者価格も高くなる。
寄生虫のような連中だ。
前世にもいた。仕事はしないくせに、マージンだけは一人前に取る上司。
こういう奴らを介さないだけで、世界はもっと効率的になる。
さらに、支払いの遅延が常態化している。
帝国側は何度も催促しているが、コステンコ商会はのらりくらりと躱している。
「帝国の担当者、相当怒ってるらしいな」
ミハイロの息子、ペトロが教えてくれた。
二十代半ばの青年。父親譲りの日焼けした肌だが、目元には人懐っこい笑みがある。
父親と違って、私に好意的だ。
「帝国側は、別の取引相手を探してるって噂だぜ」
「……本当?」
「ああ。でも、誰もやりたがらない。コステンコ商会を敵に回すことになるからな」
なるほど。
これが、私が狙うべきポイントだ。
◇
転生から二ヶ月。
私は、帝国の担当者に接触することを決めた。
問題は、どうやって会うか。
コステンコ商会を通さずに、直接帝国側と話す方法が必要だ。
そこで思い出したのが、レンタル事業だ。
私は、帝国商人から映像水晶を仕入れている。
その商人に、ガス担当者を紹介してもらえないだろうか。
◇
「ガス? お嬢さん、そりゃ無理だ」
国境の商人、イワンは首を振った。
「俺は娯楽品専門だ。ガスは国家事業だぜ。担当が違う」
「でも、帝国の商人同士で繋がりがあるでしょう?」
「まあ……あるにはあるが」
私は、テーブルの上に金貨を置いた。
五十ディナール。私の利益の一部だ。
「紹介だけでいい。後は私が何とかするわ」
イワンは、しばらく金貨を見つめていた。
イワンは金貨を指で弾き、観念したように息をついた。
「……分かった。一人だけ、知り合いがいる。ウライア方面の輸出を一手に仕切ってる商人だ」
「名前は?」
「セルゲイ・コズロフ。帝都で商会を構えてる」
◇
一週間後。
私は、国境近くの町でセルゲイと会った。
四十代の恰幅のいい男。鋭い目つき。
一目で分かる。この男は、ただの商人ではない。
「ヴォロディナ嬢、だったか。イワンから話は聞いている」
「わざわざ来ていただいて、ありがとうございます」
「礼には及ばん。で、用件は?」
私は、単刀直入に言った。
「ウライア王国へのガス供給。その窓口を、私に一本化してください」
セルゲイの眉が、ぴくりと動いた。
「……何を言っている?」
「コステンコ商会との取引を打ち切り、私と直接取引する。そういう話です」
沈黙が落ちた。
セルゲイは、しばらく私を見つめていた。
その目は、まるで獲物を値踏みする狼のようだ。
「お嬢さん。自分が何を言っているか、分かっているか?」
「分かっています」
「コステンコ商会は、ウライアの評議会と繋がっている。お前を潰すくらい、朝飯前だぞ」
「知っています」
「それでも?」
「それでも、です」
私は、テーブルの上に書類を広げた。
「これは、コステンコ商会の支払い履歴です。過去一年間で、三回の支払い遅延。帝国への未払い総額は、二万ディナールを超えています」
セルゲイの目が、わずかに変わった。
「……どこで手に入れた」
「それは言えません。ただ、この情報が正確であることは保証します」
「……」
「帝国にとって、コステンコ商会は不良債権の山です。回収の見込みは薄い」
私は、身を乗り出した。
「私なら、現金で払います。前払いも可能です。帝国にとって、悪い話ではないはず」
セルゲイは、しばらく沈黙していた。
顎を撫でながら、低い声で言った。
「……条件を聞こう」
「ウライア王国への窓口を、私に一本化する。そのかわり、安定した取引量と、前払いを保証します」
「取引量は?」
「最初は月に百単位。半年で五百単位まで増やします」
「前払いの額は?」
「月の取引量の二割。つまり、最初は二十単位分です」
セルゲイは、顎を撫でた。
「……面白い提案だ。だが、すぐには答えられん」
「分かっています」
「持ち帰って、上に相談する。一週間後に返事をしよう」
私は、頷いた。
「お待ちしています」
立ち去る前、セルゲイがふと足を止めた。
「お嬢さん。お前みたいな商人は久しぶりだ」
振り返らずに、そう言った。
◇
一週間後。
セルゲイから、書簡が届いた。
『提案を受け入れる。ただし、条件がある』
条件は三つ。
一、最初の三ヶ月は試験期間とする。支払いが滞れば、即座に契約解除。
二、パイプラインの維持管理は、ヴォロディナ側が負担する。
三、コステンコ商会との問題は、ヴォロディナ側で解決すること。
厳しい条件だ。
特に二番目。パイプラインの維持には、莫大な費用がかかる。
だが————
「受け入れるわ」
私は、返事を書いた。
こうして私は、ウライア王国における「竜の血」の唯一の正規代理店となった。
ただ、一つだけ問題があった。
供給用のパイプラインが老朽化しているのだ。
セルゲイの書簡には、追伸があった。
『パイプラインの補修を急ぐこと。特に山間部は凍結しやすい。この冬を越えるなら、最低でも二千ディナールの投資が必要だ』
二千ディナール。
今の私の全財産に近い額だ。
「業者に頼めばそのくらいかかるわね」
私は、書簡を閉じた。
「でも、私が直接メンテナンスすればタダよ」
私は、窓の外を見た。
パイプラインの老朽化。それはリスクでもあるが————
同時に、チャンスでもある。
この供給網を、私にしか維持できないものにする。
そうすれば、誰も私を簡単には切り捨てられない。
だが、これからが本番だ。
コステンコ商会が、黙っているはずがない。
私の目に、覚悟の光が宿った。
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没落令嬢のしれっと王国買収 ろいしん @leucine
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