第2話 異世界で新事業
借金取りが来た翌朝。私は凍えながら計算を始めた。
三ヶ月で六千ディナール。
普通に考えれば、不可能だ。没落男爵家の令嬢に、そんな大金を稼ぐ手段などない。
だが、私には前世の知識がある。
まず、元手が必要だった。
借金取りが帰ったその日のうちに、屋敷を隅々まで調べ、母の形見の宝石を見つけた。申し訳ないが、これを売らせてもらった。
得られたのは、わずか五十ディナール。話にならない金額だが、ゼロよりはマシだ。
次に、商売のネタを探した。
この世界には「魔道具」というものがある。魔力を込めて動かす便利な道具だ。
だが、ここウライア王国では高級品扱いで、庶民には手が届かない。
一方、隣国のラディア帝国では、安価な娯楽用の魔道具が大量に生産されているらしい。
————これだ。
私は国境の商人に接触し、帝国製の「映像水晶」を仕入れた。
前世でいうところの、ビデオプレイヤーのようなものだ。中に記録された映像を再生できる。
これを売るのではなく、「貸す」ことにした。
レンタル事業だ。
◇
最初の一週間は、地獄だった。
客が来ない。
没落貴族の娘が、得体の知れない魔道具を貸し出している。誰も信用しない。
私は、屋敷の一室を店舗に改装し、毎日店頭に立った。
寒い。死ぬほど寒い。暖房を使う余裕などない。
凍える指で、通行人に声をかけ続けた。
「一日十銅貨で、帝国の映像が見られます」
無視。嘲笑。
ある日は酔っ払いに絡まれた。「没落貴族が商売ごっこか」と笑われたが、愛想笑いで受け流した。
商人に誇りなどない。必要なのは結果だけだ。
三日目。ようやく最初の客が来た。
酒場の主人だった。
「映像水晶ってのは、お隣の帝国じゃ娯楽に使われてるんだろう? 試しに一台貸してくれ」
その夜、酒場で映像水晶が上映された。
帝国の歌姫の公演映像。客たちは目を見開いた。
こんなものは見たことがない。
翌日から、予約が殺到した。
◇
商売を始めて二週間経った。
手元に、五十ディナールの利益があった。
元手を回収した。ここからが本番だ。
私は利益をすべて再投資した。映像水晶を追加で仕入れ、レンタル先を増やす。
酒場だけでなく、宿屋、喫茶店、貴族の屋敷にも営業をかけた。
ポイントは「売らない」ことだ。
売ってしまえば一度きりの収入だが、レンタルなら継続的に金が入る。
しかも、収録している映像を定期的に入れ替えれば、客は飽きない。
これは前世の知識。法務部で散々見たリース契約と同じ発想だ。
売らない。貸す。所有権は手放さない。
まさか異世界で役に立つとは思わなかった。
◇
商売を始めて一ヶ月経った。
私の手元には、三百ディナールがあった。
「……悪くないわね」
暖炉に薪をくべながら、私は帳簿を眺める。
ようやく、まともな暖房が使えるようになった。
執務室————といっても、屋敷の一室を片付けただけだ。
壁紙は剥がれかけ、床板は軋む。窓枠は歪んで隙間風が入る。
それでも、古びた樫の机と革張りの椅子だけは、かつての栄華を偲ばせる。
暖炉の火が、埃っぽい空気をほんのりと温めていた。
コーヒーを淹れた。安物だが、温かい。
湯気と一緒に、ほろ苦い香りが立ち上る。
——前世では、この香りを楽しむ余裕すらなかった。
こんな些細なことが、こんなに幸せだとは。
だが、まだ足りない。
三百ディナールでは、六千ディナールの二十分の一だ。このペースでは間に合わない。
もっと大きな商売が必要だった。
レンタル事業は軌道に乗った。でも、これ以上の拡大は難しい。
映像水晶の仕入れには限界がある。帝国商人との取引量を増やすには、もっと大きな信用が必要だ。
そこで、別の商売を考える。
「この国で、一番儲かるものは何かしら」
答えは明らかだった。
竜の血。
この世界における熱源ガスのことだ。暖房、調理、工房の火力————あらゆる生活インフラに使われている。
隣国のラディア帝国で産出され、パイプラインを通じてこのウライア王国に供給されている。
ただ、このガスには問題があり、値段がとにかく高い。庶民が冬を越すために、大金を払わされている。
誰かが暴利を貪っているのは明らかだ。
「……」
私は、窓の外を眺めた。
雪が降っている。屋敷の外は、凍えるような寒さだろう。
この国の人々は、暖房のために大金を払っている。
もし私がその流通を握れたら?
「……独占」
口にしてみると、途方もない話に聞こえた。
ガス事業は国家インフラだ。評議会が厳正に管理している————と言われているが、この法外な価格水準。どうせ、誰かの利権になっているのだろう。
没落男爵家の娘が、参入できるような世界ではない。
「まずは、情報収集ね」
私は、レンタル事業で培った人脈を使うことにした。
酒場の主人、宿屋の女将、商人たち。彼らは王都の裏事情に詳しい。
何日かかけて、聞き込みを続けた。
◇
ガス流通の実態は、こうだった。
帝国からのガスは、パイプラインを通じてこのウライア王国に入る。
国境で受け取るのは、「コステンコ商会」という大手の中間業者。
そこから王都の各業者に卸され、最終的に一般家庭や商店に届く。
問題は、この「コステンコ商会」だ。
彼らは帝国との窓口を独占している。だが、経営はずさんで、支払いの遅延が常態化している。
帝国側は不満を抱えているが、他に取引相手がいないから我慢している。
「……なるほど」
つまり、帝国にとって「確実に払ってくれる相手」がいれば、乗り換える可能性がある。
だが、いきなり帝国と交渉はできない。
まずは、この業界に入る必要がある。
コステンコ商会は大手だが、末端の配送業者は小規模な商人たちだ。
彼らの中に、仕事を引き受けてくれる者がいるかもしれない。
「……よし」
私は、コートを羽織った。
まずは、末端から食い込む。
そして、帝国との接点を探る。
窓の外では相変わらず雪が舞い続けていた。
だが、私の心には、火が灯っている。
竜の血を、握る。
この国の暖房を、私のものにする。
————商人らしく、取引で。
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