第4話・丁寧すぎる円環

実習室の空気には、慣れが混じり始めていた。


 一年生の実習も、もう新鮮味はない。

 パペロを広げ、インクを準備し、円環を描く。

 その一連の流れは、すでに身体が覚えている。


 「今日も基礎だぞー」


 教官のその一言に、

 何人かが小さくため息をついた。


 課題はいつも通り。

 生活級の構文、単純な光生成。

 失敗しても霧散するだけの、安全な実習だ。

 レイン・クローディアは、

 パペロの端を指で押さえ、深く息を吸った。


 (急ぐ必要はない)


 円環は、閉じていればいい。

 線幅も、角度も、多少の誤差は許容される。


 ――理屈では、そうだ。


 それでもレインは、

 ペン先の動きを自然と遅くしていた。


 円を描く。

 一気に引かず、少しずつ。

 線と線が重なりすぎないよう、

 最後の接点で、ほんのわずかに角度を調整する。


 「……相変わらずだな」


 隣の席から、声が飛んできた。


 「レインさ、円きれいすぎじゃない?」

 「そう?」


 レインは顔を上げ、自分の描いたものを見下ろした。


 「普通だと思うけど」

 「いや、普通じゃない」


 別の学生が笑う。


 「教本の図より丁寧だぞ、それ」

 「急いで描いても、結果は変わらないのに」


 言われてみれば、そうかもしれない。

 起動印をなぞれば、術は発動する。

 円環が閉じていれば、それで十分だ。


 それでも雑に描く気にはなれなかった。


 内部記号を配置し、

 起動印を確認する。


 ――閉じている。

 どこから見ても。


 「起動」


 教官の合図で、

 学生たちは一斉に動く。


 レインは起動印に指を添え、

 魔力を流し、なぞった。


 パペロの上に、淡い光が灯る。

 成功だ。


 周囲でも同じ光が生まれ、

 実習室は静かな明るさに包まれる。


 「ほら、ちゃんと出てるじゃん」


 隣の学生が言う。


 「時間かける意味、ある?」

 「……さあ」


 レインは曖昧に答えた。


 理由は、はっきりしない。

 失敗したわけでもないし、

 成功率が上がるわけでもない。


 ただ、きちんと閉じていないと、落ち着かない。


 それだけだ。


 光が消え、実習は問題なく終了した。

 教官は特に何も言わずに次の課題の説明に移る。


 レインは畳んだパペロを鞄にしまいながら、

 自分の描いた円環を、もう一度だけ思い出した。


 閉じている。

 きれいに。


 それでいい。

 それ以上の意味は、たぶん、ない。


 少なくとも――

 今は。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る