第3話・試験に出ない話

 昼休みの中庭は、学院の中でいちばん落ち着かない場所だ。


 講義棟の静けさも、実習室の緊張感もない。

 代わりにあるのは、石畳に腰を下ろした学生たちの雑音と、

 どこか気の抜けた笑い声だった。


 主人公は、売店で買った薄焼きパンを片手に、

 噴水の縁に腰掛けていた。


 「なあレイン、聞いたか?」


 向かいに座った友人が、唐突に切り出す。


 「次の筆記の範囲増えるかもしれないって」


 「また?」


 主人公は顔をしかめた。


 「この前も同じこと言ってたじゃないか」


 「今度は本当っぽい。

 開祖の言葉、覚えとけって先輩に言われた」


 その言葉に周囲が少し反応した。


 「またその話かよ」


 別の学生が笑いながら口を挟む。


 「円環は、必ず閉じていなければならない、だろ?」


 「そう、それ」


 言葉だけ聞くと、やけに重たい。

 だから、試験前になると必ず話題に上がる。


 「でもさ」


 主人公の友人は、パンをちぎりながら続けた。


 「閉じてなかったら、円環じゃないよな?」

 「だよな」

 「円環の定義って、最初にやったじゃん」


 誰かが指を立てる。


 「連続した曲線で、内外を明確に区切るもの。

 切れてたら、それはただの線だ」

 「はい、終了」


 笑い声が広がる。


 主人公も、思わず笑った。


 確かにその通りだ。

 円環が閉じていない状態なんて、想像しにくい。


 「でもさ、開祖がわざわざ最期に言ったってのがさ」


 今度は、少し声を潜めた学生が言った。


 「なんか意味ありそうじゃない?」


 「それ言い出したら、

 遺言なんて全部意味ありだろ」


 「実際は事故だったんじゃないの?」


 「実験中に倒れたって話だよな」


 話題は、自然と昔話に流れていく。


 「円環が壊れて事故った研究者がいたって噂、知ってる?」


 「ああ、ぺパロが破れたやつ?」


 「そうそう。

 でもさ、結局どうなったんだっけ」

 「何も起きなかった」


 即答だった。


 「魔力が霧散して終わり。

 だからヴォカロスは安全だって」


 その言葉に、誰も反論しない。

 学院で何度も聞かされた話だ。

 失敗しても暴走しない。

 世界は命令文として成立しないものを、ただ実行しない。


 「ほら、だからさ」


 友人は彼の、レイン・クローディアのパペロを軽く指で叩いた。


 「変に考えなくていいんだって。

 ちゃんと閉じてれば問題ない」


 主人公は、自分の鞄から少しだけパペロを引き出した。


 円環は、確かに閉じている。

 線も繋がっているし、歪みもない。


 「……うん」


 そう答えながら、

 胸の奥に、ほんのわずかな引っかかりを覚えた。


 理由は分からない。

 ただ、どこかで「それだけじゃない気がする」と思ってしまう。


 (考えすぎだな)


 そう自分に言い聞かせる。

 研究者の卵とはいえ、

 彼らはまだ学生だ。

 まずは教本を覚え、規定通りに描ければいい。


 遠くで鐘が鳴った。

 次の講義の合図だ。


 学生たちは一斉に立ち上がり、

 それぞれの教室へ向かって歩き出す。


 開祖の言葉は、今日も試験に出ない。


 少なくとも、この学院ではそう扱われている。

 主人公も流れに従い、歩き出した。


 円環は閉じている。

 それで、十分なはずだった。

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