第8話 逆転の黒刀
火に追い立てられるみたいに雉沼の右腕が真っ直ぐ伸びて石突が突き進んだ。前に置く右膝を深く曲げ、今度は眉間ではなく胸の下へと最短距離を駆け抜ける。
疾風がフェイの脇下を突き抜けた。
右足を背中に回して身体を開き、掠めながらも彼女は避けたのだ。
直撃はむしろ雉沼の方だった。
手槍。左手に『精製』していた70cm程の細長い杭のような槍がカウンターの形で雉沼に伸び、彼の右脇にめり込んでいた。
切っ先は潰していたので貫通はしないが、息が詰まるほどの激痛が彼を襲う。
手槍の硬さが解かれ、崩れ始めたので手を離し、鎌で止めを刺そうとして踏み込んだ。
そのタイミングだった。
プラスチックの擦れる音が聞こえ、それが銃把にマガジンが装填される音だと気づく。
次いで聞こえたのはスライドを引く際に鳴る調だ。
雉沼が唸り声を上げて体制を低くしながら突っ込んで来た。組み付かれるのはヤバいと判断したフェイは後方に跳ねる。
破裂音がフェイの左方面から響き、太ももに衝撃が弾ける。着弾したのだ。
痛みに呻きつつフェイは先程披露した身のこなしを発揮した。続いた二発目三発目は彼女の落とす影にのみ触れる。
近くの柱に転がり込んで火線を遮ると、フェイは着弾箇所を確かめる。痛みは未だに燻っていたが、銃創もないし血も出ていない。やはり、ゴム弾を装填しているようだ。
だからといって、脅威には違いない。
旅館で後れをとったのは演技やワザとではない。撃たれた瞬間、フェイは本当に動けなくなっていた。
トランクに入れられる頃には回復していたので、誘拐そのものは敢えてと言える。連れて行かれたのがカスイだったら、追いかけてヤクザ達を病院送りにしていた。
だが、撃たれて倒されたのは真実だった。頭か胸を銃撃されたら非常にまずい。
フェイが敵の位置を気にし、雉沼が荒い呼吸をしながら口角を歪めた。彼女のリアクションから、形成の逆転を確信した。
だがその確信も10秒足らずで潰えてしまう。
キラリと何かが飛来した。羽虫の羽の反射かと思った直後、ガラスの割れる小さな音と共に頭上の電光が完全に消える。
明かりを消すつもりだと、雉沼は悟る。
飛来物はフェイの投げた礫だった。彼女は続けざまに投擲し、吊るされた電球を撃ち落としていった。
外の闇が屋内に浸水していく。残っていた光は一つ一つ闇の波にさらわれ、暗さだけが置き去りにされた。
「牽制でいいから撃ちまくれ!」
判断の遅いヤクザに雉沼が声を張り上げた時だった。
世界から光が消えた。視界の全てが利かなくなった。
つまり銃のメリットが消えたということだった。
視界が確保出来なければ、銃を使う意味がない。まず当たらないし、発砲してもマズルフラッシュで敵に位置を知らせるだけだ。最悪味方を攻撃することになりかねない。
身体の痛みを無視してステッキを持ち上げ、ふと、目が眩んだ。
眩い光が放り投げられ、地面を転がる。それはフェイが気絶したヤクザから盗んだ携帯端末の輝きだと気づくと共に、拳銃を持つ男の息を呑む気配が伝わった。
「ばか、撃つな」
雉沼は咄嗟に言ったが、彼の言葉は銃声に消される。パニックになった男は続いて投げ込まれた光にも銃口を向けた。
銃声にくぐもった声が重なる。ヤマが被弾して倒れたのだ。
「ヤマ? ああ、すまねぇ」
我に帰った男が上に銃口を向けた瞬間、銃身に叩き込まれた刀の一撃が拳銃を破壊する。
チクショウと喚き男は拳を闇雲に振り回し、フェイは手槍で彼の膝上を突いた。ぎゃ、と大きな声を上げて男は尻餅をついたところで光が灯る。雉沼が点灯していなかった明かりを点けたのだ。
見上げた男の前でフェイは右手に刀、左手に手槍を持っていた。背負い投げの動きで刀を振り下ろし、男の意識を呆気なく奪うと、呻いているヤマをチラリと見てから雉沼に向き合う。
「まだやりますか?」
フェイとしては気を使ったつもりだったが、雉沼には違った。
見下されていると、彼は思った。
こんな……子どもの……女に——
「舐めるんじゃねェよ、クソガキ」
ステッキを再び武器として使おうと胸の高さに持ち上げられる。
フェイは表情を変えず左半身を前に出した。手槍の石突を顎下に引き寄せ、穂先を相手に向ける。刀を肩で担ぐと前後にステップする。
フェンシングというよりもキックボクシングのステップだった。
雉沼はフェンシングの構えを取る。小さく弾むフェイに足を細かく動かして間合いを詰めていった。
距離が、縮まる。
二人の得物の先端が、触れ合おうとした。
二人の呼気が同時に響き、二つの刺突が交差した。
得物と得物が擦れ合い、伸びた一打は二人の胸元を掠めて伸びる。
と、フェイが前に出た。武器が擦り上がり、先端と先端が高くなり、さながら鍔迫り合いの様相となる。フェイは更に押し、予想外の強引さに雉沼の足がバタついた。
フェイが左腕を前に突き出し、雉沼が押し退けられた瞬間、フェイの右肩が一気に回る。
跳ね上がる刀が弧を描き、怒涛の勢いで雉沼に注がれた。「ぬお!」と声を張り上げ、彼は寸でのところで飛び退き、刀は豪快に空ぶった。
刀が、地面に打ちつけられる。
瞬間、雉沼は膝を深く曲げる。
それは驀進の前準備だ。
雉沼の蹴り足が爆ぜる。左足が前に滑り、直後に右足が引きつけられ、再び左足が前に出る。
フェンシングの素早いステップから繰り出される、高速の突き技が前のめりになったフェイに奔った。
そこで彼女は刀を手放す。
右腕が突きの軌道と重なる。
固い手応えが雉沼に伝わった。フェイが籠手を精製していたのだと気づいた時には右手にステッキが掴まれ、彼女の左手が高く掲げられる。
左手に手槍は無かった。代わって握られていたのは手斧だ。
落ちる手斧がステッキを一撃で断つ。雉沼は面を食らいフェイは勝ったと思った。
彼女の足首が掴まれたのはそんな時だった。
ぎょっとして見下ろせば、腹ばいのヤマがそこにいた。這ってきた彼が掴んだのだ。
次いで火花の散るような音が聞こえる。咄嗟の機転で電気警棒を拾った雉沼の起死回生の一発が、フェイの胸の中心に炸裂する。
神経が炎になり、全身が焼かれるかのような錯覚。あらゆる感覚が痛みだけになった。
手斧が手から滑り落ち、フェイは息も絶え絶えになりながら距離を取ろうとした。だがヤマを振り払った時には二発目を食らってしまう。
武器を精製する暇を与えまいと猛攻を仕掛けられ、フェイが瞬く間に消耗していった。
筋肉が痙攣する。巨大な耳鳴りが頭を揺らす。
耳鳴りの中で、人の声が聞こえた気がする。記憶から呼びされた声が、フェイの心に響いた。
かつて、彼女の師匠が言った内容だった。
フェイの左手から霧が広がる。それは破水だ。刹那を生きる武器が産まれる予兆だ。
させるかと雉沼が放つのは今日何度目か分からぬ突き技だった。彼の得意技だ。
それが勝負を決した。
左手が躍動する。上昇した腕は警棒に被さると外へと払いのけ、同時に腕の反動を使って腰が捻られ左足が猛烈な勢いで放たれた。
がら空きになった左脇腹にミドルキックが直撃する。あばらの折れる歪な音が鳴り、雉沼は激痛に襲われた。
誘いこまれたと彼は悟る。事実、その通りだった。
精製が間に合わない時はそのアクションを囮に使った方がいいことを、フェイは知っていた。精製の予兆を見せると、それを阻止しようと行動が単調になり、狙いも分かりやすくなるのだ。
師の教え通りに行動した結果だ。戦況は再度、フェイに有利になった。
そしてもう、逆転はない。
フェイは刀を作った。今まで作った物とは決定的に違う代物だった。
黒い切っ先を高くして、両手で柄を握る。
刀が黒い風となり、振り落とされた。
風は警棒を通り抜け、柄を掴む両手が左脇に引き寄せられた。
警棒が半ばで切り落とされる。電撃の灯は吹き消され、先端は影へと沈んだ。
切った——切られた。
雉沼は戦慄し、立ち上がったヤマは恐怖をありありと顔に貼り付ける。
「まだやるか?」
声の中に白刃の鋭さを含ませて、フェイは低い声で訊いた。
二人の男はすぐに降参を示した。これ以上戦うことの代償の大きさを想像し、想像は恐怖を燃やす。全身に回った恐怖は抵抗の意思を燃やし尽くし、灰のような諦めだけが二人に残った。
灰の中に立つ少女の勝利が、ここに確定したのだった。
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積穏町犯罪特区(せきおんちょう・はんざいとっく)』 ~犯罪補助アプリ(免罪符)で無双する悪党どもを、元暗殺者の少女が「肉体言語」で更生(分から)せる~ 蛇箱 @hebibako
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