第7話 鉄の香り
加速する水汐は瞬間的に間合いを詰めて、再び上段の一打を披露する。
刃は潰して『精製』したので切れることはないが、代わりに硬質な一撃が肉を潰した。
もう一人が地面に叩き落されたところで、雄叫びを上げて二人の男が突っ込んでくる。
遅くて隙だらけで、水汐としては退屈極まりない攻撃だった。
刀が霧散する。再び、鉄の香りが広がった。
水汐は左手方向に跳びこんだ。左手が使えない——というか使いたくない——ので、右手のスペースを確保する為だ。
追いかける男が七首を落としてくる。水汐は上体を左に振るって避けながら、同時に右手を動かした。
振るわれる右手には鎌が逆手で握られている。
敵の内肘に刃を叩き込む。
峰を相手の上腕に、柄の部分を前腕にめり込むように捻り上げると、たちまち腕が固定され、男がタップして前屈みになった。水汐は男の動きをコントロールしてもう一人の進行経路の障害物にしたとこで、右膝にプロテクターを『精製』した。
右膝蹴りが男の鼻を潰し、前歯をおしゃかにする。
歯茎から盛大に血を流し、男が突っ伏したところでもう一人に跳びかかった。
手の中で鎌が回転して順手に持ち替えられる。
男が「ひっ」と気後れした時点で勝負は決していた。別にサディストではないので、気は乗らなかったがきっちりと連撃を叩きこんでおき、立ち上がれないようにはしておく。
あと一人——
完全にビビっている男に水汐が走ろうとした時だった。耳の奥が人の気配を捉え、足元を薄く染める人影が不意打ちの気配を水汐に教えた。
その場から一気に跳んだ水汐の脇腹をステッキの石突きが掠める。
伊達男の放った一打だった。水汐は距離を取り、思わず舌打ちする。
やはり強い。
「只者じゃないとは思ってましたが、一体何者ですか?」
水汐は刀を『精製』し直し、片手で構える。伊達男はグリップの近くを右手で掴み、真半身の体制で石突を水汐に向けた。
「こちらはお前の正体を察せたよ。その能力と戦い方でな。あのフェイがこんな子どもだとは思わなかった」
「フェイ? 雉沼さん、何すかそれ」
近くに寄ってきたヤマが訊いてくる。伊達男こと雉沼は油断なく水汐を見据えつつ、乾いた唇を動かす。
「ある暗殺者の通称だ。体内の水分、血液を操作できる特異能力者らしい。それにより身体能力の向上と回復を行えると聞いたことがある。だが、何よりの特徴は気化・排出した霧から即席の武器を作り出すというものだ」
ヤマが目を見開く。
「そんなこと出来るンすか?」
「俺も聞いた話だから理屈は違うだろうし、説明はし切れないが、重要なことは実際にそういったことが出来るということだ」
雉沼はステッキを少し高く持ち上げる。
「武器を作る際に鉄の香りを漂わせることからつけられた仇名が鉄の元素記号であるFe(フェイ)という名称だ」
一旦言葉を止めると鼻で息を吸い、口で細く吐き出した。
「気をつけろ。奴の扱う武具は多種に渡る。古流柔術の動きで刀に鎌、槍まで使うとのことだ」
古流柔術は極めや投げだけではなく、武器の扱い方にまで波及していることがある。投げる動きで振り下ろし、担ぐ動作で振り上げたりする。
柔術事態が元々戦場で武器を失った際、甲冑を着た相手を制する為に発展した技術ということもあり、古流柔術には武具対策とその扱いを習得する流派もあった。
フェイが習得した古流柔術もまた、武具の扱いを前提にしたものだった。
水汐——フェイは薄く笑う。
「言葉が足りないですね。ロウ・ディフェンダーお抱えの暗殺者、という説明が抜けていますよ」
雉沼の眉間に険が宿る。フェイは一歩下がった。
「私のことを多少でも知っている、ってことはやっぱりロウ・ディフェンダーの所属ですね。消毒部隊ですか? それとも秘剣?」
「知る必要があるのか?」
躙り寄る雉沼に、フェイはもう一歩下がった。
「じゃあ一つだけ答えてください。今、忘却薬は幾つ持ってますか?」
目を細める雉沼。フェイは彼の反応に満足したと頷く。
「保険の為にここにいる全員分は用意されてるみたいですね。取り敢えずよかったです」
更に一歩下がったフェイが刀を地面に向けた。彼女は切っ先を回して落ちていたスカーフを器用に巻き取ると、刀を持ち上げスカーフを宙に舞わした。
地面に刀を突き刺し、右手でスカーフを掴んだ刹那、雉沼が己を矢にして飛び込んだ。
繰り出される突き技。
眉間に迫る石突をフェイは上体を右に捻って潜り抜け、同時に左手を服から離した。服が開く前に右手で掴み直す中、左手を大きく振るう。
左手が持つ鈍い反射光が宙に軌跡を書き殴った。
ロングフックで鎌のように湾曲したナイフ、カランビットナイフをぶつけに行く。
狙いは手元。指を砕こうと奔った一打は、しかし空を切るに留まった。
素早く、雉沼が手を引いたからだ。
直後に左から聞こえる火花の散る音。咄嗟に身をのけぞらせれば鼻先を掠めて電流の流れる警棒が通過した。
ヤマの一撃だった。突きの延長として棒を使う空手の技術を使ったのだ。
続けざまに放つ下段回し蹴りがフェイの足元を刈ろうと影を薙ぐ。
命中を確信した一発だったが、軌道上からフェイの足はするりと消え去り、驚愕しながら目で追えば、さながら中空を舞うイルカのように彼女がバック宙を披露していた。
フェイのつま先が天井を掠め、伸びる黒の毛先が広がった。
着地と共にもう一度舞い、彼女は間合いを大きく広げる。常人離れした身のこなしにヤマはすっかり気後れするが、雉沼の叱責に背筋を伸ばした。
「吞まれるな。避けたということは、攻撃そのものは効果があるということだ。奴のペースに巻き込まれるな」
フェイは浅く息を吐き、膝を柔らかく曲げつつ左手を顎の近くに寄せ、逆手に持つカランビットナイフの切っ先を雉沼へと向ける。
と、カランビットナイフが唐突にボロボロと崩れた。まるで消し炭の細工だったかのように塵となる。
即席だとやっぱり保たないな。
フェイは敵を観察する。雉沼とヤマ、それに腰を抜かしていた男もよろめきながら立ち上がっていた。
雉沼が活躍したせいで残っていた戦力が機能してきていた。数の利が活きてくる状況に移行しつつある。
雉沼を狙っても秒殺は難しく、もたついているところにヤクザの電気警棒の一撃でも食らえば気絶はしなくても動きは止まり、雉沼に倒される。
しかし周りの雑魚を倒そうとしたら、今度は雉沼が不意を突いてくる。
彼の突き技は鋭い。集中すれば対処は出来るが、一手遅れる状況で捌けるかどうかは試したくなかった。
片手間でどうにか敵う戦況ではない。
フェイは、溜息を吐いた。
彼女は片手でスカーフを襟に巻くと、手早く結んだ。服の開きがこれで多少抑えられる。
「……正直かなり恥ずかしいけど……仕方ないですね。全力でお相手しましょう」
左側を前に真半身になり、鎌を『精製』する。刀と同様全てが黒く、刀身と柄の
境目が見えないので、さながらカマキリの鎌のように見える。
右手は身体の陰に隠した。
なるほど、と雉沼は舌を巻く。片方の手から何が飛び出すのか分かったものじゃない。かといって前にある鎌を無視するわけにもいかない。
間合いの取り方に悩む構えだった。そしてその構えから垣間見える経験深さに戸惑いを覚える。
本当に子どもか?
いや、と彼は内心で己に喝を入れる。
俺まで気後れしてどうする。考えるべきは次の一手だ。
雉沼は戦況を進める為の一手を口にする。
「おい、認証をクリアして拳銃を取り出せ。ヤマはサポートしろ」
はっとした男が柱の近くにあったアタッシュケースに走った。指紋や網膜を読み取るリーダーが備えられている代物だ。
まずい——
フェイが男を止めようと動いた瞬間、雉沼の突きが迫る。手首の捻りで鎌を使い、右に逸らした直後、右手に隠していた鎌が跳ね上げた。
獅子が首に牙を立てて動きを止めるように、二つの鎌で上下から挟みこんでステッキの速度を抑える。
戻りを止められた!
驚嘆する雉沼にフェイは左の鎌を滑らせた。
左への腰の捻りに肩、肘、手首が連動する。重さと速度を兼ね揃え、鎌は高速で雉沼に迫った。
当たる。そう思ったフェイの眼前で雉沼は右手首を上に反らしてグリップを静かに押し上げた。
石突が下に向かい、ステッキが斜にそびえ立つ。
軌道に重なり鎌が止められた刹那、雉沼はステッキの中程を左手で掴むと、グリップを素早く下へと引き落とした。
鎌がグリップに引っ掛かり、巻き込まれる。
雉沼は身体を後方に引き、鎌がフェイの手元から抜けてしまう。フェイが驚いている間に雉沼はステッキを縦に回してグリップの方を彼女に向けた。
左手を押し出す。
緩めた右手の上をステッキが滑り、グリップがフェイへと進行した。
速くはないが、無駄がないせいで反応が遅れた。
ギリギリで右の鎌で受け、距離を取ろうと下がってしまう。
瞬間、ステッキは再度回転した。
グリップが右手へと戻り、顎の下へと引き寄せられる。
フェンシングと銃剣道をミックスした動きだとフェイは悟った。懐に入られたら銃剣道の動きで追い立て、敵が距離を取ろうとした所でフェンシングの突き技で攻める戦法——
雉沼の高速の突き技が、フェイに向かって放れた。
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