第4話 後藤竜

 朝の商店街。通学中の京志が、薄曇りの空の下、ふと人だかりに気づく。ざわつく小声。


「……マジでやってるわ、あいつ……」 

「相手、ヤクザちゃうん……?」


 人垣の隙間から見えたのは――短ランにボンタン、ドス黒いオールバック。首から下げたヘッドホン。ゴツいブーツで、倒れてる男の肩を踏みつける少年の姿。肌から文様を覗かせる男が呻いている“その少年”は表情一つ変えず、男の髪を掴んで顔を上げさせた。


「行儀悪いやつは躾けなあかんねやろおっさん? せやったら“挨拶しろ言う前にお前が挨拶せんかい”」


鼻から血を流し、ドスの聞いた声でヤクザ者の男が凄む。


「ガキがぁ……ただですめへんぞ?」


少年は首をかしげて、ほんの少し笑う。


「ガキぃ? “後藤竜”。覚えとけや」


 次の瞬間、背負い投げ。コンクリに叩きつけられヤクザ者の身体がバウンドする。

静まり返る商店街。……その中で、京志は立ち尽くしていた。張り詰める空気の中、呼吸さえ忘れる――その少年と、目が合った。

少年は口元だけで笑って、指を立てて自分のこめかみをトントン、と叩く。


「……うちの制服。お前……ええ目ぇしてるやんけ」


 竜はそれだけ言い、首から下げたヘッドホンの音量を上げて去っていった。竜が通り過ぎたあとも、誰一人動かない。京志の背筋には、冷たい汗が伝っていた


 一時間目の授業中、校舎裏のベンチ。春也は体育ジャージのまま缶コーヒー片手に座っていた。京志が無言で隣に腰かけると、春也はちらっとだけ目をやる。


「……今日来とるみたいや”竜”」


 缶を口元に運びながら、何かを察したように春也がぼそっと言った。京志は少し間を置いてから答える。


「朝、商店街で見た。……ヤクザみたいなやつ相手しとった」


 春也は小さく笑った。


「相手が誰やろうが、竜には関係あらへん。ただ、自分に歯向かうかどうかだけや」

京志が横目で春也を見る。


「あいつ、何者なんや」


 春也の目つきはいつものクールさとは違って、少しだけ遠くを見ているようだった。


「昔はもう少しまともやってんけどな。闇天狗の集会に出るようになってからはもう無茶苦茶や。兄貴の後藤猛――闇天狗の幹部や。竜はその影をずっと追っとる」


 そう言うと春也はしばらく黙り、煙草の箱を、吸うわけでもなく、ただ指先で弾いた。


「あいつの目にお前が止まったなら、もう逃げられへんかもな」


 春也の言葉に、京志は一瞬だけ目を伏せて、でもすぐに顔を上げた。


「……来るなら、来たらええ。俺は逃げん」


 春也がニッと笑った。


「ほんまおもろいわ、お前」


 春也は立ち上がって、京志の肩を軽く叩いた。


「でもな、相手は“ガチ”やで。覚悟だけはしとけや」


 そう言って、怪我した足を引きずってグラウンドに向かって歩いていった。ベンチに一人残された京志の目は、すでに遠くを見ていた。

 

――廊下の奥、教室の扉が軋むように開いた。


「最悪や」 

「マジで……来たんか」

 

 生徒たちが一斉に声を潜めた。ドン、と重い靴音。短ランにボンタン、オールバック。

 後藤竜――“狂犬”が、半年ぶりに教室に姿を現した。竜のヘッドホンから流れる音が、教室にいる者の鼓動を早くする。そんな中、一人が一種の防衛反応からか声をかけた。


「おぉ……竜。久しぶりやん。どこおったん? 闇天狗の見習いかなんかいってたん?」


 竜の足がピタッと止まる。教室の温度が下がった気がした。ゆっくりと振り返った竜の目は、笑っているようで何も笑ってなかった。


「誰が、喋ってええって言うた?」

 

 バキィッ――! 次の瞬間、竜の鉄拳が机ごと少年の顔面を沈めた。机の脚が折れ、ガタンと崩れる。少年は声も出ず、鼻から血を流してぐったり倒れた。


「 “調子乗ってる”って意味、分かるか……お前」

 

 竜はシャツを掴み、床に頭を叩きつけた。生徒たちは息を呑み、動けなかった。竜は鼻で笑い、隅の席に座った。 それが、後藤竜という人間だった。


 昼休み前、普段なら騒々しい廊下も、今日は静か。その中を歩いてくる異様な風貌――オールバックに短ラン、ボンタンの裾をズルズルとひきずりながら、片手に持った煙草の箱を弄ぶ。竜が歩いてくるだけで周囲の空気が変わる。竜を見た途端、ヤンキー連中の顔が強張る。


「おお……竜、またサボっとったんけ? どこで遊んどっ――」

竜の拳が唸った。相手は壁に叩きつけられ、顔面から血が吹き出す。


「他に言うことあるやろ」


 周りが慌てて止めに入るも、廊下に置かれた荷物置きの机ごと、床にねじ伏せた。


「お前、今月分のカンパどないなっとんねん。集めて持ってこい言うたよなぁ」

そう言って、ぐったりしているヤンキーの頬を、掌で打ちつける。


「おい。おい……!」


 白目を向いて転がる身体に、反応はない。


「あれ? ……死んだんか?」 


 ――叫び声。逃げる足音。そこに偶然通りかかったのが――京志と春也。


「……竜」

 

 春也が低く呟いた。京志は、前に立つ春也の肩が、ほんのわずかに緊張しているのを感じた。竜は血の臭いの中、廊下で静かに立ちつくしていた。ふと、京志と目が合う。竜の視線は鋭い。


「お前、朝の――」


 その一言で、京志の周りから一気に人がいなくなる。


「転校生か……? なんやその目。俺の知り合いに、そんな顔で見てくる奴おらんわ」


 一歩、竜が踏み出す。空気がピリつく中、春也が前に出る。


「やめとけ、竜……」 


春也の視線は、血を流しながらうずくまっているヤンキーに向けられていた。


「荒れとんな、こいつらなんかしたんか?」


竜は鼻を鳴らすようにして答えた。


「仲間でもないやつが、馴れ馴れしくしてくるからよぉ、ムカつくやんけ」


 更に苛立ったように京志を指さす。


「ところでこいつ俺に挨拶せーへんぞ?」


 その声には明らかに棘があった。周囲の空気はさらに張り詰める。


「無茶言うなや竜。……なんもしらんのや」

 

 竜は、驚いたように春也を見て――ふっと口角を上げた。


「……なんや、お前がそいつ庇うんか」


 竜は、春也の顔を数秒見つめた。何かを測るように、じっと。だが、それ以上は言わず口元だけで笑った。


「…まあ、今日はええわ」


 そのまま、竜は背を向けて歩き去っていく。振り返りもせず、ただ一言だけを残して。


「けどな……今度ムカついたら、お前が止めても無理やで」


 その言葉に、誰も何も返せなかった。


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2025年12月18日 20:00 毎日 19:22

血環 ー大阪ブラッズー 京田 学 @kyoji0814

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