Cパート

 私たちは三浦教授を署に呼んで事情聴取した。


「・・・あなたはある種の薬物を開発したはずです。筋力をアップさせ、すぐに消えるという。それを大山君に渡しましたね?」

「確かに研究はしていますよ。でもそんな薬をいきなり人に? 冗談じゃない!」


 三浦教授は即座に否定した。だが私は引き下がらない。


「本当にそうなんですか? 死んだ大山さんの遺体からそれらしい痕跡が出ているんですよ」

「それは確かなんですか? 痕跡だけで私の開発した薬だと証明できますか? できないでしょう。それに大山さんが私からそれをもらった証拠でもありますか?」


 それを言われればどうにもできない。検出できないのだから証明することは無理だ。私が言い返せないのを見て、三浦教授はニヤリと笑った。


「そうでしょう。証拠はないのですね」

「ええ、でもこれから・・・」

「私は忙しいのです。そんな悠長なことに付き合ってはいられません。もし用がお済みなら帰してください」


 そう言われればそうするしかない。三浦教授は私たちが何もできないと思ったのか、またニヤリと笑って帰っていった。

 薬物からのアプローチは難しい。捜査は暗礁に乗り上げた・・・。


 ◇


 だが私はあきらめていなかった。橋上なら本当のことを話してくれるかもしれない・・・まだ一縷の望みがあった。あれから私はメディカル工科大のグラウンドに毎日通って彼の練習を見ていた。

 彼は日本陸上大会に向けてさらに厳しい練習に明け暮れていた。こんなに懸命にがんばる彼が薬物の力を借りようとしているのを信じたくない・・・私の心は揺れていた。

 だがここは心を鬼にしてでも真実を追求しなければならない。もし大山と同じことが起こってしまったら・・・。私は練習終わりの彼に話しかけた。


「橋上さん・・・」

「刑事さん。何度聞かれても僕の答えは同じです。そんなことはしていません!」

「私はあなたのことが心配なのよ。毎日、私はあなたの練習を見ていたわ。あんなに一生懸命になって・・・。でもあの薬は危険よ。命を奪うかもしれない。そんなことになったら今までの努力はパーになるのよ」


 私はなんとか彼を説得しようとした。だが彼は頑として認めようとしなかった。


「いい加減にしてください! 知らないものは知りません!」

「ではこのままでいいと思っているの?」


 私の問いに彼は答えた。


「僕は見てみたいのです。未知の領域を・・・」

「未知の領域?」

「ええ、記録を作った者だけが見られる世界です。これができるのは世界でも一握りの人間だけ・・・。それなら命を賭けたっていい!」

「それじゃ・・・」

「刑事さん! 僕にかまわないでください! 僕のことは僕が決めます!」


 橋上は走って行ってしまった。やはり彼を説得するのは難しい。


 ◇


 日本陸上大会の日が来てしまった。橋上はもちろんエントリーしている。私はスタンドにいて彼の身に何も起こらないように祈っていた。

 今日の彼も絶好調だった。多くの選手が脱落していく中、次々にバーを飛んでいく。


(やはり薬を使ったのかも・・・)


 私は彼の身が心配だった。いつあの発作が起こるかと思うと・・・。


 いよいよ4人に絞られた。橋上とあと3人は社会人の有力選手だ。いよいよ先日の記録と同じ2メートル26センチとなった。先の3人はなんなく1回でパスしていった。オリンピック候補に選ばれるくらいだからこれぐらいの高さを跳ぶのは当然かもしれない。だが橋上は2回失敗している。もう後がない。


(あの薬を使えばこの高さを跳んで・・・さらに日本記録も狙えるはず・・・。橋上はどうするのか・・・)


 私は固唾を飲んで見守っていた。橋上は真剣な顔をして走り出した。集中しているから観客の声援など耳に入っていないようだ。そしてバーの前で大きく跳躍した。


(今度こそ飛べた!)


 私はそう思った。だがバーは揺れて無情にも落ちてきた。これで彼は脱落となった。優勝はおろか、表彰台にも上がれなかった・・・。


 橋上は終わった後も競技場の隅でじっと他の競技を見ていた。その顔に悲壮感はない。


「橋上さん」


 私は下りていって彼に声をかけた。


「素晴らしい戦いだった。あなたは健闘したわ」

「見てください。みんな自分の力で精一杯、出している。僕もそうだったと思います」

「やはりそうなのね」


 私はほっとしていた。彼は薬を使わなかったのだ。


「ええ。あの薬を使えば優勝でしょう。日本記録だって狙えた。前の大学対抗戦で試してみてはっきりわかった。これで僕も未知の領域に踏み出せると・・・」

「でもしなかった」

「ええ。考えました。薬を使って成し遂げても未知の領域を実感できるのかどうか・・・。それは無理でしょう。そんなものは偽りに過ぎない。自分の力でしてこそ、その世界が見えるはずです」


 彼はポケットから錠剤を取り出した。


「これが薬です。三浦教授から頂いたものです。これで世界を狙えと。でももういいのです。今日の試合で僕はわかった。僕でも自分の力で未知の領域に足を踏み出せるかもしれないと・・・」


 彼は清々しい笑顔でそう言った。これでこの事件は解決できる。アスリートを蝕む薬の開発は中止となるだろう。

 だがドーピングした橋上にも相応のペナルティがあるはずだ。それでもいつの日か彼が世界の強者たちと戦い、未知の領域を実感できるだろう・・・私はそう信じている。競技場にたたずむ彼の姿が頼もしく見えていた。


             


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未知の領域 広之新 @hironosin

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