第4話 金ぴか、謝罪を買う

第4話 金ぴか、謝罪を買う

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第1章 曇りは味方

第1節 定型

 曇り空は、星野透にとって味方だ。

 光が弱い。反射が少ない。視線も少ない。世界が少しだけ静かになる。

 透は配達バッグのベルトを整えた。右肩。左の指。輪ゴムは二回。束の角を揃える。

 決まった手順は、透の頭の中も揃えてくれる。

(次、二丁目三番地。犬の家。角を曲がる。挨拶。置く)

 透の言葉はいつも短い。

 冷たいのではない。短いほうが間違えないからだ。

第2節 店やっさんの小言

「透。今日は変なことすんなよ」

 店やっさんは新聞束を縛りながら言った。五十歳。顔は昭和、目は令和。

「俺だって毎日変なことしたいわけじゃない」

「それ、変なことが“起きる側”の台詞だろ」

 店やっさんは透の眼鏡を見た。

 その奥の目が、いま落ち着いてるか、無理してるかを見ている。

「困ってるの見つけたら――」

「逃げろ」

 透が先に言う。定型句だ。

「そう。逃げろ。お前は飛べねぇんだから」

「……うん」

 透は頷いた。

 飛べない。だから走る。

 走ると、金が鳴る。

 鳴ると、だいたい詰む。

第3節 曇りの安心

 透は配達ルートに出た。

 曇りで良かった、と心のどこかで思う。

 人生の節目はだいたい曇りだ、と透はあとで知ることになる。

第4節 角を曲がると、世界が変わる

 次の角を曲がった瞬間、世界の音が変わった。

 高学年の男子が二人。

 低学年の男の子が一人。

 高学年が、低学年のリュックを持ち上げて、届かない高さで揺らしていた。

「返してよー」

「ほら、走れ。取ってみ?」

 透の足が止まった。

 手順が崩れる。頭が一瞬止まる。

 でも、目の前の子の呼吸のほうが先に入ってくる。

(……やる)

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第2章 まず、押さえる

第1節 普段着の透は弱い

 透は普段着のまま近づいた。眼鏡の奥で目を細める。

「それ、返しなよ」

 二人が振り返って笑った。

「誰だよおっさん」

「おっさんじゃない。二十八だ」

 言い返しが短い。

 短いけど、透はこれ以上上手に言えない。

第2節 転んだ

 低学年の男の子がリュックに手を伸ばした。

 高学年はわざと揺らした。

「ほらほら」

「やめて!」

 足がもつれた。

 転ぶ、と透が思った瞬間には、もう膝から転んでいた。

 膝が地面に当たる音。

 泣き声が遅れて来る。

 痛みと悔しさが混ざった、子供の泣き方。

第3節 真っ白の販促タオル

 透は、まずしゃがむ。

 覗き込まず、目線の高さにしゃがみ目を合わせる。

「だいじょうぶ。いま見るね。こわくない」

「……いたい…グスン……」

「うん、痛いね。泣いていいよ。ここ、押さえるだけでいい」

 透は配達バッグの脇に手を突っ込んだ。

 出てきたのは――真っ白な販促用タオル。

 『毎日地球新聞』と青い字で入っている。未使用。たぶん。

「これ当てる。ぎゅって押さえる」

「……これ、だれの?……」

「きれい。未使用。……たぶん」

 自分で言って少し恥ずかしくなる。

 でも今は恥ずかしがってる場合じゃない。

 男の子が膝にタオルを当て、ぎゅっと押さえた。

 透は短く確認する。

「頭ぶつけた?」

 首を振る。

「手、動く? 足、動く?」

 小さく頷く。

「立てそう?」

「……たてる……」

 透は息をふぅと吐いた。

(よし。大きい怪我じゃない)

第4節 血で青くなって「やべっ、逃げろ」

 真っ白なタオルの端に、赤い滲みが広がった。

「……血だ……」

 高学年の片方の顔が青くなる。

 もう片方も目が不安気に泳ぐ。

 透は高学年を見上げて、低い声で言った。

「見ろ。これが“やり過ぎた”だ」

 二人は一拍固まり、次の瞬間――子どもの反射で叫んだ。

「やべっ……」

「逃げろ!」

 高学年の一人はリュックを持ったまま走り出した。

 もう一人も遅れて走る。

 透は低学年の男の子にだけ言う。短く、はっきり。

「ここ。待ってて。タオル、ぎゅって。戻る」

 そして周囲を見回し、ベンチの女性に頭を下げた。

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第3章 捕まえたら、泣いた

第1節 綺麗な女性

 透が声をかけた相手は、細身のとても綺麗な女性だった。

 白いコート。背筋。声が静かに通るタイプ。

「すみません。この子、少し怪我してます。ちょっとだけ見ててください」

 女性は少し驚いた顔をして、それから優しい笑顔で頷いた。

「大丈夫ですよ。お兄さん、行って」

「……ありがとうございます」

 透は視線を合わせない。苦手なのだ。

 余計な情報が入ると、頭が固まる。

(捕まえる。戻す。謝らせる)

 透は走った。飛べないので走るしかない。

第2節 すぐ追いつく

 高学年は遠くに行けなかった。

 逃げ方が雑だ。罪悪感で足が絡まっている。

「止まれ」

 透が言うと、二人が振り返った。

 透は距離を詰め、腕を掴んだ。

「うわっ……!」

「戻る」

 掴まれた瞬間、強気が崩れた。

 高学年は、怖くて大泣きした。

「ご、ごめんなさい……!」

「ごめんなさい!」

「泣くな。泣いていいけど、でも逃げるな」

 透の言葉は短い。

 でも声は荒くない。荒くすると、相手は罰を受けた気になって、また逃げる。

第3節 諭す

 透は二人を見て言った。

「血、見たな」

 二人は涙で頷く。

「怖いのは、あっちだ」

「……ごめんなさい……」

「謝る相手、違う」

 透は一呼吸置いて、言い方を変える。

「いまからできること。絆創膏を買う。自分で走って戻る。反省の行動」

「お金持ってない……」

「ある」

 その「ある」が一番怪しいのに、透は真顔だった。

第4節 向こう向いてゴソゴソ

 透は公衆トイレの裏へ二歩だけ移動した。

 そして普段着を脱いで、金ぴかを引っ張り出す。

 全身ゴールド。ぴったりタイツ。最悪に恥ずかしい。

(慣れるな。慣れたら終わりだ)

 パンツが、むずむずした。

チャリン……チャリンチャリン。

「うるさい……!」

 透は一握りだけ掴み出し、新聞紙の切れ端に包んだ。

 羞恥で清算されないよう、息を止める。

 そして戻って、高学年の手に押し付けた。目を合わせない。

「これで買え。走れ。戻ってきたら、貼る」

「……はいっ!」

 高学年の一人が全力で走り出した。

 もう一人は泣きながら立っている。

「お前は、戻って謝る言葉を考えろ」

「……はい……」

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第4章 絆創膏のあと、太陽が出る

第1節 「ちょっと待って」

 高学年が戻ってきた。絆創膏と水とティッシュ。

 息を切らして袋を差し出す。

「買ってきた……!」

 透が何か言う前に、綺麗な女性が立ち上がった。

「ちょっと待って」

 その一言で、場の空気が整った。

 女性はバッグを開けて――なぜ持ってるのか消毒スプレーを取り出した。

「これ、使って。傷は最初が大事だから」

「え……」

 透が間抜けな声を出す。

 女性はさらっと言う。

「子どもがいる友達が多いの。あと、私、良く転ぶの」

 軽いのに説得力がある。

 透は頭を下げた。

「……ありがとう。」

「うん。それで十分。落ち着いてね」

第2節 貼るのは君

 透は高学年に言った。

「貼るのは、君」

「え」

「謝るってのは口だけじゃない。手を動かして」

 透は低学年の男の子に確認する。

「いい? このお兄ちゃんが貼る。いや?」

 男の子は少し迷って、小さく頷いた。

「……いい……」

 透は高学年に指示する。

「まず、消毒。シュッて一回。近づけすぎない」

「……はい」

シュッ。

「しみる?」

 高学年が顔を覗き込んで聞いた。

 自分が聞く資格があるのか分からない顔。

「……ちょっと……」

 高学年の目が赤くなる。

「……ごめん」

 透が続ける。

「ティッシュで“押さえる”。こすらない。次、絆創膏。真ん中合わせて、左右」

「……はい」

 震える手で、でも逃げずに血の滲む傷を上手に覆う様に貼った。

 絆創膏がついた。

 低学年の男の子が膝を見て、息を吐いた。

「……ついた!」

 女性が小さく頷く。

「うん。えらい」

第3節 太陽、最悪

 透は女性に頭を下げようとして――その瞬間だった。

 雲が割れた。

 太陽が顔を出した。

 光が差す。

 透の金ぴかが、思い出したように光り輝いた。

キラキラキラ。

「……っ」

 視線が集まる。

 子どもが見る。高学年が見る。

 そして綺麗な女性が、困ったように微笑んでちゃんと見ている。

(見ないで……!)

 羞恥が限界まで来た、そのとき。

 透の手のひらが、じわ、と熱くなった。

(なにこれ……太陽のせい? いや、内側……)

 低学年の男の子が小さく言った。

「……まだ、ちょっといたい……」

 透は固まった。

 応急処置はした。痛いのは当然。

 何故か手が熱い。意味がわからない。

 女性が透を見て、静かに頷いた。

 言葉はないのに、背中を押される。

第4節 初発現と、名前の儀式

 透は低学年の言葉で言う。

「……手、ちょっと当てるよ。あついかも。いやなら、やめる」

 男の子は涙目のまま頷いた。

「……やって……」

 透は息を止めた。

 太陽の下で。金ぴかで。見られて。

 それでも、そっと手を当てた。

 熱が移る。

 ――次の瞬間、男の子の顔が変わった。

「……あれ?」

「……いたく、ない?……」

 透は固まった。

(え……?)

 高学年の二人も固まった。

 絆創膏を貼ったほうが小さく呟く。

「……今の?……」

「見てない」

 透は即答した。

「何も見てない。いいね」

 自分でも意味がわからない。

 でも“説明できない奇跡”は広げたくない。

 透は短く言った。

「治ってない。痛みが下がっただけ。たぶん…」

 そして透は高学年を見た。

「……謝って。本人に」

 二人はしゃがんで、低学年の子の目線まで下げた。

「ごめん……痛くした。怖がらせた。もう絶対しないよ」

「約束する……!」

 低学年の男の子は少し黙って、それから鼻声で言った。

「……じゃあさ」

「……うん」

「こんど、いっしょに遊んで。僕と。ちゃんと」

 それは上下を横に戻す条件だった。

 高学年が涙でぐしゃぐしゃのまま頷く。

「遊ぶ! 約束する!」

「約束!」

 場の空気が、ほんの少しだけ戻った。

 そのとき、綺麗な女性が透を優しく見た。

 目だけが少し楽しそうだ。

「……あなた、何者?」

 逃げ場がない聞き方。

 透は喉まで羞恥が上がるのを耐え、真顔で言った。

「……金持ちマンだ」

「ありがとう、金持ちマン」

 女性が綺麗に言う。

 子どもたちもつられて言う。

「ありがとう金持ちマン!」

「すごい!スーパー金持ちマン!」

「金持ちマン、まぶしい!」

 透は耐えた。

 そして――キメた。

「その名前で呼ぶな」

 一秒、空気が止まって。

 次の瞬間、笑いが起きた。

 泣いていた高学年が泣きながら笑って、慌てて口を押さえた。

 低学年の男の子も、まだ涙の残る顔で、ちょっとだけ笑った。

 女性が静かに言った。

「うん。今日で終わりにできるね」

 透の手の熱は、少しずつ引いていった。

 使い切ったみたいに。

 透は曇り空のほうを見上げた。

(太陽、帰れ……)

 太陽は帰らない。

 でも透は、配達の順番に戻れば落ち着けることを知っている。

(次、二丁目三番地。犬の家。角を曲がる)

 透は歩き出した。

 金ぴかを光らせながら。


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