第3話 雨合羽は敵
第3話 雨合羽は敵
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第1章 雨は、上から来る
第1節 曇りは味方、雨は敵
曇り空は味方だ。
星野透はそう信じて生きている。
だが雨は、違う。
雨は“上から来る”だけじゃない。
心まで濡らしてくる。
「透、今日は雨だ。カッパ着ろ」
店やっさんが言って、レジ横の古い雨合羽を放り投げた。
「……これ、昭和だよ」
「令和だぞ」
「それ言えば何でも許されると思ってるだろ」
透は受け取った雨合羽を見つめた。
ボタンが多い。匂いが、少しだけ“店やっさんの青春”をしている。
(やめろ。変な想像するな。羞恥は清算だ)
第2節 配達は生活費
透は生活費を自分で稼いでいる。
配達が、透の地面だ。地味で、確かで、逃げない道だ。
その地面が、今日は濡れている。
眼鏡に雨粒が当たって視界が滲む。
透は拭こうとして、拭く紙が濡れていて余計に滲んだ。
「……世界、全部ぼやけてる」
眼鏡を外したらもっと終わる。
だから透は、滲んだまま進む。
第3節 雨合羽の最悪な仕事
雨合羽は、ありがたい。
紙は濡れない。体も冷えにくい。
だが透にとって、雨合羽は“敵”でもある。
透の能力には、ルールがある。
パンツの上に何かが来ていると、取り出せない。ダメです。
雨合羽は、上から来る。
しかも全身。
つまり――何もできない。
(今日は静かに終わってくれ。頼む)
曇りでも雨でも、こういう願いはだいたい叶わない。
第4節 困ってる気配は雨粒より早い
透は“気配”を拾った。
困っている気配。
空気が詰まっている感じ。
バス停だ。
屋根の下に、母親と小さな子ども。
赤い傘はあるが、骨が折れている。
母親のスマホ画面には「運休」の文字。
子どもは震えている。
母親は笑っている――笑い方が、苦しい。
透は立ち止まった。
(……来た)
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第2章 雨のバス停
第1節 「すみません」が濡れている
透は声をかけた。
「大丈夫ですか」
「大丈夫です。すみません、すぐタクシー呼びますから」
母親はそう言いながら、アプリの画面を何度も更新している。
“見つかりません”。雨の日はタクシーも混む。
子どもが咳をした。
透の胸の奥が、少しだけ痛んだ。
第2節 身銭は切らない
透の財布は、確かにポケットにある。
だが、出さない。
身銭は切らない。
助けるのは、スーパー金持ちマンの金だけ。
そうじゃないと、透の中に欲や言い訳が混ざる気がする。
(……なら、着るしかない)
透は数歩離れた。
しかし雨。隠れる場所がない。
しかも雨合羽がある。
(上から来てる。ダメです)
透は歯を食いしばった。
店やっさんの声が脳内で響く。
「恥ずかしがれ。慣れるな」
第3節 公衆トイレ裏、再び
透は走った。飛べないので走るしかない。
雨で足元が滑る。
走ると眼鏡がずれる。
ずれると世界が死ぬ。
公園の公衆トイレが見えた。
透は裏へ回った。
「……よし」
雨合羽を脱ぐ。
脱いだ瞬間、冷気が皮膚に刺さる。
次に金ぴかスーツを引っ張り出す。
金色。ぴったり。全身。
雨の中でもやっぱり恥ずかしい。
「……俺、何してんだ」
着た瞬間、雲の隙間から光が差した。
ギラッ。
「最悪!」
第4節 名乗るけど呼ばせない
金ぴかになった透がバス停に戻ると、母親の目が丸くなった。
子どもは一瞬で泣き止んだ。泣き止み方が怖い。
「……あの、貴方は」
透は名乗る。名乗るけど呼ばせない。
「金持ちマンだ」
「ありがとう金持ちマン!」
「その名で呼ぶな」
(今、笑われたら終わる。羞恥で清算だ)
透は視線を下に落とした。
雨粒が金色の体を叩いて、やたら目立つ音を立てている。
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第3章 渡せたら、消えない
第1節 最大の敵:親切
母親が咄嗟に言った。
「風邪ひきます! これ、どうぞ!」
折れた傘を差し出してくる。
傘はありがたい。だが透は凍りついた。
傘の布が、透の腰に触れそうになった。
“覆う”。上から来る。ダメです。
「だ、だめ!」
「えっ」
透は慌てて一歩引いた。
そのせいで水たまりに足を突っ込んだ。
ズルッ。
体勢を立て直した瞬間――
チャリン。
右上内側の小銭袋が、嫌な音を立てた。
第2節 清算されるのは「渡す前」だけ
透は深呼吸して、バス停の柱の陰に回り込んだ。
人の視線から半分だけ隠れる。
(ここで出せ。最小限。必要性だけ)
むずむず。
ごそごそ。
透は封筒を出した。
だが“置く”だけだと危ない。
子どもの一言で恥ずかしくなったら――その瞬間に清算されるかもしれない。
そこで透は、ルールをもう一つ思い出す。
渡せたら、消えない。清算は渡す前だけ。
(なら、先に確定させる)
第3節 確定の一秒
透は母親に一歩近づき、封筒の端だけをつまんだまま言った。
「……今。これ、受け取って」
「え? そんな……」
「いいから。今!」
母親は反射的に封筒を掴んだ。
――その瞬間、確定した。
透の胸が、少しだけ軽くなる。
“渡せた”。もう消えない。
「……タクシー。子ども優先」
「……ありがとうございます」
母親の声が震えていた。
透はそれを見て、危うく熱くなりそうになって慌てて視線を逸らした。
(感動するな。感動は羞恥の親戚だ)
第4節 恥ずかしさは、透だけを焼く
そのとき、子どもが無邪気に言った。
「ねえ! お金、どこから出したの!」
透の脳が真っ白になった。
(やめろおおおお!)
羞恥が喉まで上がった。
清算の気配がした――が、もう大丈夫。
封筒は、母親の手の中だ。
消えない。
透は、顔から火が出そうになりながら叫んだ。
「見ちゃだめ!」
言ってしまった。
それがさらに恥ずかしい。
だが、封筒は消えない。
消えるのは、透の平常心だけだ。
母親は封筒を抱きしめるようにして、深く頭を下げた。
「……本当に、助かりました」
透は耐えきれず、早歩き――いや、走り去ろうとした。
飛べないので。
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第4章 走ると、ばら撒く
第1節 逃げ足だけはヒーロー
(ここで目立ったら終わる!)
透は全力でバス停から離れた。
雨は容赦なく顔を叩く。
金ぴかは派手に光る。
そして、全力疾走は――透にとって禁忌でもある。
走ると、パンツの中が暴れる。
チャリンチャリンチャリン!
「やめろ! 今じゃない!」
第2節 正義の小銭は凶器
小銭が散った。
濡れた地面で跳ねた。
跳ねた小銭で、透自身が滑った。
ズルッ!
「うわっ!」
金ぴかが転んだ。
派手に転んだ。
雨の日に金ぴかが転ぶと、妙に世界が静かになる。
通行人の視線が刺さる。
(見ないで。見ないで。見ないで)
羞恥が来る。
だがここで清算されるのは“これから出る予定の金”だけだ。
さっき渡した封筒は、もう消えない。
透は膝を押さえながら立ち上がった。
「……痛っ。正義が重い……」
第3節 店やっさんの「令和だぞ」
その背後で、聞き慣れた声。
「お前なにやってんだ」
「店やっさん!?」
雨合羽を着た店やっさんが、そこにいた。
「配達先のばあちゃんが“金ぴかが走ってった”って言うからな」
「最悪の目撃情報!」
店やっさんはバス停の母子を見て、状況を一瞬で理解した顔になった。
「……令和だぞ」
「今それ言う!?」
「言う。まず傘だ。あと通報。あと、子どもに説明するな」
透は息を吐いた。
なんだかんだで、店やっさんはいつも最適解にいる。
第4節 曇りのほうが、まだマシだ
店やっさんが母子を屋根のある場所へ誘導するのが見えた。
透は金ぴかのまま、雨粒を浴び続けている。
空は分厚い灰色。
曇りとは違う、押しつぶすような色。
「曇りって、やっぱ良かったな」
「知ってる」
店やっさんは余計なことを言わない。
透も余計なことを言わない。
ただ一つだけ、透は心に決めた。
雨の日は敵だ。
そして敵が来る日は、たぶん――誰かが困っている。
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