第2話 曇りの日の拾いもの

第2話 曇りの日の拾いもの

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第1章 28年前の曇り

第1節 天気の悪い“普通”

 曇り、というのは不思議だ。

 晴れなら眩しい。雨なら音がある。星空なら物語になる。

 なのに曇りは、なんにもない顔で、いちばん重要なことを運んでくる。

 二十八年前。

 その日も、何故か曇っていた。

第2節 店やっさんの朝

 毎日地球新聞配達店の店やっさんは、まだ若かった。

 若かったが、顔つきだけは今と同じだった。昭和みたいな眉間に、令和みたいな優しさ。

 店先のシャッターを上げ、いつものように前を掃く。

 そのとき、段ボールが目に入った。

 置き方が、丁寧だった。

 捨てるというより、置く。預ける、に近い。

第3節 泣き声と、金色

 段ボールの中に、赤ん坊がいた。

 泣き声は小さく、肺の奥で必死に震えていた。

 そして、赤ん坊の上に――布が覆い被さっていた。

 金色の布。

 いや、布じゃない。畳まれた「服」だ。やけに重く、妙に上等で、妙に……恥ずかしそうな形。

 店やっさんは、赤ん坊を抱き上げた。

 赤ん坊は泣き止まない。だが、すぐに“息”だけは落ち着いた。

「……おい。お前、ここに来たか」

第4節 名札のない着替え

 段ボールには着替えもあった。

 哺乳瓶も、おむつも、最低限。

 だが、名前はない。紙切れ一枚ない。

 あるのは、金色の服だけだ。

 まるで――これが名前だ、と言わんばかりに。

 店やっさんは唇を噛み、曇り空を見上げた。

「……お前、曇りが好きになるぞ。多分」

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第2章 18歳の曇り

第1節 倉庫の奥

 星野透が十八歳になった頃、店の倉庫には“触れてはいけない箱”があった。

 店やっさんは箱を捨てなかった。

 透にも捨てさせなかった。

 透は、子どもの頃からずっと気になっていた。

 金色の服。自分の上に覆い被さっていた、あの布の感触。

 曇りの日は、なぜか思い出す。

第2節 意を決した日

 その日も曇りだった。

 透は、倉庫の鍵を開けた。

 箱を開け、服を取り出し、広げた瞬間、透は固まった。

「……タイツじゃん」

 金色。ぴったり。全身。逃げ場がない。

 しかも“ヒーロー風”の形をしている。

 正直、笑うしかない。

 透は眼鏡を外した。

 世界がぼやけた。自分が普通になった気がした。

「……よし。曇りだし」

第3節 金ぴか、爆誕

 着た。

 着てしまった。

 鏡がないのに分かる。これはとんでもなく恥ずかしい。

 金色だし、ぴったりタイツだし、人生で一番“外に出たくない格好”だ。

「……これ、何の罰ゲームだよ」

 透は息を吸って、吐いた。

 その瞬間――パンツのあたりが、むずむずした。

「……は?」

第4節 集金の人が来る

 ちょうどそのとき、店先から声がした。

「すみませーん、今月分の集金でーす」

 新聞の購読料(新聞代)は、だいたい月4,000円台が多い。銘柄や地域、夕刊の有無で前後する。

 店やっさんがいれば払える。だが、その日は出掛けていた。

 透は焦った。

 払わないと店やっさんが困る。

 困る顔が、簡単に想像できた。

 そして、パンツのむずむずが、確信に変わる。

(……今、出てる)

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第3章 金が湧く“癖”

第1節 ぴったりの金額

 透は向こうを向いて、ごそごそした。

 隠すな。覆うな。上から来るな。

 意味も分からないのに、身体が勝手に知っている。

 掌に、硬い重み。

 数えてみると、ぴったりだった。

「……なんで“ぴったり”なんだよ」

 透は封筒に入れ、店先に出た。

 金ぴかのまま出るのは死ぬほど恥ずかしい。

 だが、店やっさんが困るほうが嫌だった。

第2節 支払ってしまう

「今月分です」

 集金の人は一瞬固まり、次に営業スマイルを貼り直した。

「あ、ありがとうございます……えっと……どちらさま……?」

 透は迷って、名乗った。

 名乗るけど呼ばせない人生は、この時から始まっていた。

「……金持ちマンだ」

「ありがとうございます、金持ちマンさん!」

「その名で呼ぶな」

 集金の人は、早足で帰った。

 曇りなのに、背中が妙に眩しかった。

第3節 試す、試す、試す

 それから透は試した。

• 自分の昼飯のために出せるか → 出ない

• 新しい眼鏡のために出せるか → 出ない

• 店やっさんのためなら? → 出る

• 子どものためなら? → 出る

• “困ってるフリ”をしたら? → 出ない

• 自分がカッコつけたい時は? → 出ない

• 相手のためのデート代っぽい状況は? → パンツがむずむずする(嫌だ)

 ルールが、意地悪なくらい明確になっていく。

第4節 慣れたら終わる

 そして、もう一つ分かった。

 透が慣れかけた瞬間、だいたい失敗する。

 羞恥を感じた瞬間に、清算される。消える。無になる。

 世界が、透に言っているみたいだった。

――慣れるな。

――これは、お前の力じゃない。

 曇り空が、答えないまま見ている。

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第4章 星野透の誓い

第1節 店やっさんにバレる

 夜、店やっさんが戻ってきて、帳簿を見て言った。

「おい、今月分、払ってあるぞ」

「あ、うん」

「……誰が払った」

「……金持ちマン」

「は?」

「その名前で呼ぶな」

 店やっさんは深くため息をついて、透の頭を軽く小突いた。

「令和だぞ」

「それ、万能すぎない?」

「万能だ。恥ずかしがれ。慣れるな」

第2節 金で救えない金がある

 透は分かっていた。

 札が出れば救える、ばかりじゃない。

 借金は増える。利息で膨らむ。

 誠実な人ほど、黙って損をする。

 払っても払っても終わらない“仕組み”がある。

 透は金ぴかの布を見下ろした。

「……これ、金が出るだけじゃダメだな」

第3節 勉強する理由

 透は決めた。

 金を出す人じゃなく、金の仕組みを止める人になる。

 金融弁護士。

 不当な金利、水増し、詐欺、そういう“増え方”を、理詰めで剥がす。

 金ぴかは、最後の手段。

 普段は、眼鏡のまま、紙と計算で戦う。

第4節 曇りは続く

 曇り空の下、透は眼鏡をかけ直した。

 世界が輪郭を持つ。

 普通の自分に戻る。

 それでも――困ってる誰かの気配は、いつもどこかにある。

「……曇りは、嫌いじゃない」

 透は呟いて、ノートを開いた。

 最初のページに書いたのは、たった一行。

「身銭は切らない。助けるなら、仕組みごと」

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