スーパー金持ちマン
@virago7
第1話 金ぴかと曇り空
第1話 金ぴかと曇り空
第1章 曇りは味方
第1節 眼鏡の配達員
曇り空は、星野透にとって味方だった。
太陽が出ていない。つまり、余計な反射がない。つまり――目立たない。
「透、新聞束、落とすなよ」
毎日地球新聞配達店の店先で、店やっさんが声を飛ばす。
透は眼鏡の奥で目を細めた。いや、細めても何も変わらない。マジ近眼なのだ。
「大丈夫。落としたら、俺が拾う」
「それ“落とす前提”だろ」
店やっさんは昭和みたいな顔で、令和みたいに優しい。
拾われたのは――透のほうだったのに。
第2節 曇りの日のほっとするやつ
配達は単純だ。決まった道、決まった家、決まった時間。
それが透の生活費だ。身銭は身銭。自分の人生は、自分で稼ぐ。
助けたい気持ちはある。だが、透には自分ルールがある。
――身銭は切らない。
助けるなら、あっちの金。
スーパー金持ちマンの金だけでやる。
そうじゃないと、透の中の欲や言い訳が混ざる気がした。
第3節 公園のいつもの景色
配達ルートの途中に、公園がある。
滑り台。ベンチ。小さな砂場。
今日も、子どもたちが走り回っていた。
その端で、一人だけ座っている子がいた。
手は膝の上。視線は、走る子どもたちの手元へ。
色とりどりの風船が子どもたちの手の先で浮いていた。
第4節 値札の数字
公園の角に、小さなタバコ屋兼売店がある。
風船が、そこに浮かんでいた。
札が揺れている。
『風船 300円』
300円。
子どもにとって、世界が決まる額だ。
第2章 買えない風船
第1節 小銭の重さ
透は足を止めた。
目の前で、座っていた子が小銭を握り直すのが見えた。
握っているのは、十円玉と五十円玉が数枚。
足りないのは、見なくても分かった。
透は見ないふりをしようとして――やめた。
店やっさんなら、絶対に止まる。
第2節 目が合う
子どもが顔を上げた。
透の眼鏡の奥を、まっすぐ見た。
「……風船、ほしいの?」
「べつに」
子どもは言った。でも目は嘘をつけない。
透は、嘘を責めない。嘘が必要な日があるのを知っている。
「そっか」
透は一歩だけ進み――止まった。
財布に指が伸びそうになって、引っ込めた。
第3節 身銭は切らない
透のポケットには、ちゃんと現金がある。
今日の昼飯だって買える。
でも、それを出したら終わる。
身銭は切らない。
助けるなら、スーパー金持ちマンの金だけ。
透は曇り空を見上げた。
そして、覚悟を決めた。
第4節 金ぴかは目立つ
公園の公衆トイレの裏手。視線の少ない場所。
透は一度、眼鏡を外した。
世界がぼやけて、透自身が普通になった気がした。
「……よし」
バッグから“それ”を取り出す。
畳まれた布。重い色。金色。
着ると、世界が変わる。
透が変わるんじゃない。世界が勝手に、透を別のものとして見る。
金ぴかになった瞬間、透は小さく呻いた。
「……やだなぁ」
第3章 正義の収納
第1節 上から来るな
金ぴかのまま公園へ戻る。
曇りだから反射は控えめ――のはずが、雲の隙間から日が差した。
ギラッ。
「うわっ……」
透は反射的に腹のあたりを押さえそうになって、寸前で止めた。
――違う。隠したらだめだ。
パンツの上に何か履いてると、取り出せない。ダメです。
上から覆われるのもダメ。雨合羽も毛布もアウト。
理屈は分からない。ただ、隠した瞬間に終わる。
透は一歩引いて、深呼吸した。
第2節 向こう向いてゴソゴソ
子どもが近づいてきた。
近い。近いと、恥ずかしい。恥ずかしいと清算される。
清算されると、何も出ない。
「……見ないで」
「え?」
「向こう向いて」
子どもが首を傾げる。
「なんで?」
「いいから」
子どもが半歩だけ横を向く。
透は腹の底から祈った。
(今だけは、出ろ……!)
ごそごそ。
コスチュームパンツ右上内側の小銭袋が、チャリンと鳴った。
透は心の中で叫んだ。
(おい、今はそれで合ってる! ぴったり来い!)
第3節 300円は“君が買う”
掌の中に、重みが揃う。
百円玉と十円玉の組み合わせ――小さな世界の通貨。
透はそれを、薄い紙でくるんで子どもの手に“そっと乗せた”。
直接押しつけると、妙に恥ずかしい。恥ずかしいと清算される。やめろ。
「……君のと合わせて三百円。これで、風船」
「え、いいの?」
「いい。……でも」
透は子どもの目を見ずに言った。
「俺が買うんじゃない。君が買え」
「なんで?」
「……そうしたいから」
子どもが手を握りしめる。
「あ、貴方は?」
透は名乗る。名乗るけど呼ばせない。矛盾が透の呼吸だ。
「金持ちマンだ」
「ありがとうスーパー金持ちマン!」
「その名で呼ぶな」
「?」
第4節 自分の声で「ください」
子どもは走った。
売店の米子ばあさんの前で、胸を張った。
「ふうせん、ください!」
米子ばあさんが目を丸くして、風船を差し出す。
子どもは小銭を数えて、ひとつずつ置いた。
――たったそれだけで、子どもの背中は少し強く見えた。
透は曇り空を見上げて、ほんの少しだけ息を吐く。
(……よし。あの子はちゃんと、自分で買った)
その瞬間、胸の奥がチクリとした。
透はそれを“羞恥”と勘違いしそうになって、慌てて視線を逸らした。
(危ない。清算される)
透は去ろうとした。
スーパー金持ちマンのコスチュームを着てるからと言って飛べないので、普通に早歩きで。
第4章 毎日地球新聞配達店
第1節 呼び名が増える
背中で、子どもの声が跳ねた。
「金持ちマンだ!」
「その名前で呼ぶな!」
透は振り返りそうになって、やめた。
振り返ると、日が当たってさらにギラつく。
ギラつくと注目される。注目されると羞恥。羞恥は清算。
透は必死に早歩きした。
その拍子に、パンツの中の硬貨が「チャリン」と跳ねて、太ももの内側に当たった。
「……痛っ」
正義は、重くて痛いのだ。
第2節 店やっさんの目
配達店に戻ると、店やっさんが店先で腕を組んでいた。
金ぴかの透を見て、ため息ひとつ。
「お前なぁ……またやったのか」
「やってない。勝手に起きた」
「令和だぞ」
「それ、意味ある?」
「ある。恥ずかしがれ。慣れるな」
透は言い返せなかった。
店やっさんは、透が慣れないように、いつも釘を刺す。
たぶん、透のために。
第3節 店先の“拾いもの”
店やっさんは新聞束を直しながら、ふいに言った。
「お前、あの日も曇りだったな」
「……」
透の記憶の端に、湿った空気がある。
店先。段ボール。泣き声。
そして、誰かが覆い被せた布の感触。
透は笑って誤魔化した。
「俺、曇り好きなんだよ」
「知ってる」
店やっさんはそれ以上言わない。
言わないのが、店やっさんの優しさだ。
第4節 曇り空の続き
透は眼鏡をかけ直した。
世界が輪郭を取り戻す。
普通の自分に戻る。
でも、普通のままじゃ救えないものがある。
それを透は知ってしまった。
店の外に出ると、曇り空がまだ残っていた。
透は小さく息を吐く。
「今日くらいは、静かに終わってくれよ……」
曇り空は答えない。
ただ、どこかで誰かが困っている気配だけがする。
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