第3話 地図が更新されない

 ベルが鳴る頻度は日によって違った。ある日は一人も来ず、ある日は三人来た。来る人は皆、少しずつ違っていたが、共通点もあった。誰も長居をしない。誰も店の名前を聞かない。誰も外のことを説明しない。僕も聞かない。そういう決まりごとが自然に成立していた。


 その日、青年が来た。青年は軍服みたいな服を着ていたが、靴は泥だらけだった。椅子に座ると、彼はまず天井を見上げ、それから僕を見た。


「水はある?」

「ある」

「じゃあ、水とコーヒー」


 彼は水を先に飲み、次にコーヒーを飲んだ。その順番に意味があるのかどうかはわからなかった。飲み終えると、彼はポケットから折り畳まれた紙を出した。紙を広げると、地図だった。地図は手書きで、線が乱れていた。


「これ、見て」

 彼は僕に地図を差し出した。

「質問しないんじゃ?」

「質問じゃない。見ろって言ってる」


 僕は地図を見た。地図には町や森や川が描かれていた。描かれ方は雑だった。僕は異世界の地図を見たことがないので、これが正しいのかどうかはわからなかった。だが、気になるところがあった。地図の端が、途中で途切れていた。紙の端はまだ残っているのに、線がそこで終わっている。


「ここが端?」

 僕が指差すと、青年は頷いた。

「そう。端が動いてる」

「動いてる?」

「動いてる。昨日まであった村が、今日はない」


 青年はそう言った。言葉は短かったが、内容は重かった。僕は重さを受け止める場所を探したが、見つからなかった。彼は地図を畳み、テーブルに置いた。


「誰も説明しない」

 彼は言った。

「誰も知らないのか?」

「知ってても言わない。言っても意味がない」


 僕はその言い方がどこか既視感のあるものに思えたが、どこで聞いたのかは思い出せなかった。青年はコーヒーを飲み干し、地図を置いたまま立ち上がった。


「これ、置いていく」

「地図?」

「更新されないから。ここに置いとけば、少しはマシかも」


 彼は出ていった。ベルが鳴った。僕は地図を引き出しに入れようとしたが、入らなかった。引き出しは物で埋まりつつあった。鍵のような金属片、色褪せたリボン、数字の紙片。地図は大きすぎたので、カウンターの下の棚に置いた。


 その夜、僕は窓の外を見た。曖昧な向こうに、かすかな光が見えた気がした。光が実際にあったのか、目の疲れなのかは判断できなかった。判断できないまま、僕は寝た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る