第5話 『在庫切れの二人に、予約注文を』
「……参ったな。
俺はヘッドセットを外し、放送室のドアを開けた。
薄暗い廊下。その突き当たりに有栖川セナは立っていた。
乱れた髪、紅潮した頬。肩で息をしている。いつもの鉄壁の笑みは消え失せ、そこにはただ一人の怒れる少女がいた。
彼女は俺を見るなり大股で歩み寄り――躊躇なく俺の胸ぐらを掴んで壁に押し付けた。
ドンッ、と鈍い音が廊下に響く。
至近距離。彼女の瞳には俺という人間だけが映っている。
「……捕まえた」
「ああ。優秀な探偵だ」
「ごまかさないで!」
セナは俺を睨みつける。だがその瞳は潤んでいるように見えた。
「私を騙そうとした罪は重いわよ、ゴーストさん。……あの言葉も、あの同調も、全部あなたの書いたお伽話だったわけ?」
俺は視線を逸らした。
「商売用の
「嘘つき」
セナの手が俺の首元で震えている。
「空っぽな人間からは、あんなに悲しい音はしないわ。……『周りが勝手に凍えてるだけ』。あの言葉だけは、御子柴じゃない。あなたの叫び声だった」
喉が詰まる。
彼女は俺の孤独を見抜き、肯定しようとしている。
「……買い被りだ」
「いいえ。私が決める」
セナは俺から手を離し、乱れた呼吸を整えた。そして不敵な笑みを浮かべた。かつての「氷の女王」の冷たさではなく、もっと人間的な悪戯っぽい笑みを。
「ねえ、九条くん。私を買収してみない?」
突拍子もない提案に、俺は眉をひそめた。
「……は?」
「あなたのその
それは愛の告白ではなかった。
互いに愛を信じられない
だが、今の俺たちにはそれくらいが丁度いい。
「……高くつくぞ。俺の
「構わないわ。私の全財産をかけても、あなたのその捻じ曲がった根性を叩き直してあげる」
セナはポケットからさっき奪ったイヤホンを取り出した。
それを俺の耳に戻し、自分の耳を――俺の唇に触れるほどの距離まで近づけた。
「さあ、始めましょう。契約の第一歩よ」
「何をすればいい」
「わかるでしょ?――もう一度、あの台詞を言いなさい」
彼女は耳元で囁いた。
「今度は、機械越しじゃなく。あなたの生の声で」
俺は息を吸い込んだ。
マイクも、電波も、0.5秒の遅延もない。
ただの空気の振動として俺の言葉を紡ぐ。
「……君が氷の女王なんじゃない。俺たちが、勝手に凍えていただけだ」
「――知ってる」
セナは満足げに微笑み、俺の手を握った。
その手は冷たかったが、確かに脈打っていた。
*
俺たちは会場には戻らず非常階段から外に出た。
空からは灰色の雪が舞い落ちている。
並んで歩く距離は恋人と呼ぶにはまだ遠い。手も繋いでいない。
けれど、視線の温度だけは同じだった。
会話はない。必要なかった。
0.5秒の遅延に怯えることも、偽りの脚本を用意することもない。ただ、雪を踏みしめる互いの不揃いな足音が、心地よいリズムで夜の街に響いている。
そのノイズこそが、俺たちが手に入れた『リアル』だった。
帰り道のコンビニの前を通る。
フライドチキンの棚は売り切れ。クリスマスケーキも半額。愛だの恋だのはとっくに品切れだ。
俺たちの心という棚も、まだ空っぽのままだろう。
だが、隣を歩く彼女を見れば不思議と寒くはない。
(……
俺は雪空に向かって白いため息を吐き出した。
(――
了
愛の在庫、代筆しました。 ~恋だ愛だは品切れ中につき、完全遠隔操作《フルリモート》で愛を囁く~ すまげんちゃんねる @gen-nai
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