第2話 銀色が隣に座る日

 朝の教室は、いつもと同じ匂いがした。

 消しゴムの粉と、紙の乾いた匂い。開け放した窓から入る冷たい空気。


 それなのに、どこか落ち着かない。


 誰かが前を向いて、誰かがひそひそ声を潜める。机を引く音が、必要以上に耳につく。視線が、自然と黒板のほうへ集まっている。


 黒板の隅には、担任の字で短く書かれていた。


「転校生」


 朝倉は椅子に腰掛け、鞄を足元へ押し込む。

 転校生が来る、という話は昨日のうちに聞いていた。名前も顔も分からない。だから本来は、気にする必要なんてない。


 後ろから、椅子を引く音がした。


「朝倉、おはよ」


 坂本弘太。

 声が近くて、朝から元気なやつだ。髪は短く整っているが、制服はどこか雑。けれど、人の空気を読むのが早く、場が重くなりそうになると自然に声を出す。クラスの中で、いつの間にかそういう役割を担っている。


「今日さ、転校生だろ。どんなやつだと思う?」


「知らね」


「冷てぇな。想像しとくだけでも楽しいだろ」


 朝倉は小さく息を吐いた。

 そのタイミングで、チャイムが鳴る。


 担任が入ってきて、教室の空気が一度締まった。


「連絡事項の前に、一人紹介する」


 担任がそう言って、扉のほうへ視線を向ける。


 次の瞬間、教室が静かになった。


 扉が開く。


 入ってきたのは、一人の少女だった。


 銀色のボブ。

 朝の光を受けて白に近く見えるのに、白ではない。色そのものが浮いているようで、輪郭だけが先に目に入る。


 制服はきちんと着ている。

 ただ、着慣れていないのが分かる。動きが少しだけ慎重で、袖やスカートの位置を無意識に気にしている。


 教室中の視線が、一点に集まる。


「……銀髪?」


「え、まじで?」


 小さな声が、遅れて広がった。


 朝倉は、息を吸うのを忘れた。


 昨夜。

 コンビニの冷蔵ケースの前。

 レジ横に立っていた、場違いなほど静かな影。

 バニラのアイスを両手で受け取ったときの、少し戸惑った指先。


 同じだ、と考えるより先に、身体が反応していた。


 担任が黒板に名前を書く。


 星宮しずく


「今日からこのクラスになる。星宮しずくさんだ。よろしくな」


「……星宮しずくです。よろしくお願いします」


 短い挨拶。

 それだけで、教室が少しざわついた。


「席は……朝倉の隣が空いているな。そこに座ってくれ」


 一瞬で、視線が集まる。


「え、朝倉?」


「隣じゃん」


 後ろで坂本が、小さく笑ったのが分かった。


 しずくが歩いてくる。

 足音が、ほとんどしない。周囲のざわめきに溶けるような歩き方だった。


 隣の席に座る。

 椅子を引く音が小さく、やけに耳に残る。


 銀色の髪が、視界の端に入る。


 朝倉が声をかけようとした、その前に。


「……朝倉だ」


 一瞬、思考が止まった。


 は……?


 昨日、自己紹介はした。

 名前を呼ばれること自体は、おかしくない。


 ――でも、今か?

 しかも、みんなの前で?


 朝倉は、その違和感を飲み込んで答えた。


「……おはよう、星宮さん」


 距離を戻すような言い方。


 しずくはその呼び方を聞いて、ほんの少しだけ目を瞬かせた。


「……おはよう」


 後ろから坂本が身を乗り出す。


「なあ、今のどういう関係?」


「昨日、コンビニで会った」


「それだけ?」


「アイス、一緒に食べた」


「なんだそれ」


「俺もよくわからん」


 坂本は笑ったが、朝倉の顔を一度だけ確かめるように見た。


 授業が始まる。


 しずくはノートを取る。

 速さが一定で、迷いがない。


 途中、気づく。


 しずくが、時々こちらを見ている。


 板書を書き終えたあと。

 周囲がざわついたとき。

 ほんの一瞬だけ、位置を確かめるように。


 休み時間になると、質問が集まる。


「星宮さん、どこから来たの?」


 しずくは考えてから答え、言葉に詰まると朝倉のほうを見る。


「遠いところから来たって」


「なんで朝倉が知ってんの?」


「前に聞いた」


 それ以上は言えなかった。


 昼休み。


「なあ朝倉、購買行くけどどうする?」


 坂本に言われ、朝倉は立ち上がる。


「行くか」


 その横で。


「……私も行く」


 しずくが、同じタイミングで立ち上がった。


 一瞬、空気が止まり、すぐに坂本が笑う。


「そりゃそうだよな。初日だし」


 廊下、購買。

 人の流れに戸惑いながらも、しずくは気づけば朝倉の隣を歩いていた。


「星宮さん、それ朝倉と同じやつじゃん」


「……だめ?」


「いや、いいけど」


「知ってる人、俺しかいないしな」


 それで話は終わった。


 放課後。


 チャイムが鳴り、教室が一気にほどける。


 朝倉は鞄を持って教室を出た。

 坂本たちと廊下で別れ、そのまま昇降口を抜ける。


 外に出ると、空気が少し冷たい。


 いつも通りの帰り道。

 足音は、自分の分だけのはずだった。


 ——なのに。


 少し後ろから、気配がする。


 振り返ると。


 少し離れたところに、しずくが立っていた。


 目が合う。


「……帰る」


 当たり前みたいな顔で、そう言う。


 朝倉は、一瞬言葉を失った。


「……一緒」


 一歩、こちらに近づく。


 朝倉は、思わず声を出していた。


「えっ?」

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2025年12月24日 19:00
2025年12月25日 19:00
2025年12月26日 19:00

銀髪の宇宙人転校生が、隣の席で懐いている すりたち @siu_desu3

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