水の都の火吹き竜

 そうして朝が来て、また日が暮れたころ。

 水の都でいちばん高いお城のそばの森に、煌々と赤く輝く火吹き竜が現れた。

「ひっ!! り、竜だ! 竜が来たぞ!!」

「陛下に報告せよ!!」

 お城じゅうで衛兵さんたちが慌ただしく走り回り、警報の鐘がけたたましく鳴らされ、お堀の桟橋がばたばたと相次いで閉じられた。まるでどこかの国が攻め入ってきたかのような大騒動だった。

 空にぼんやりと浮かび上がる火吹き竜の足元で、私は徹夜の眠気も吹き飛びすっかり震えてしまった。

「あわわ、大変な騒ぎになっちゃった……」

「大丈夫だよアメリィ。怖いならほら、魔法で隠してあげる」

 メレは水晶の杖を私の額の前で一振りした。すると薄靄みたいなベールが私の全身をふわりと覆う。

 何をしたの、と聞く前に、お城のバルコニーに人影が現れた。

「あ……王様だ!」

 傾いた王冠を頭に乗せた王様は、建国祭の時に使うような豪奢な杖を持って竜を睨んでいる。臣下のおじさんは、王様のすぐ後ろで泣きそうな声を出した。

「陛下! どうか……どうか言い伝え通り、陛下のお力で火吹き竜を追い払ってくださいませんか!」

 臣下の後押しもあり、ややあって、王様は何かをぶつぶつと唱えて派手に杖を振った。けれど色とりどりの杖飾りからおもちゃの水鉄砲みたいな水がぷしゅ、と出ただけで、残念ながら火吹き竜には届かなかった。

「ぐっ……」

 王様は唇を噛んでいる。どうしたんだろう。建国祭のときみたいに、お堀の水を操って竜をやっつけると思ったのに。

「やっぱりそうか……アメリィ、僕らも行くよ」

「え? え?」

 言うが早いか、メレは小さな杖を振るう。すると私とメレの身体はふわりと浮かび、王様のいるバルコニーへ吸い込まれていった。



 見晴らしのいいバルコニーの柵を越え、私たちは王様の前に降り立った。

「やあこんばんは。王様の杖、玉ねぎみたいだね」

「メ、メレ! なんてこと言うの!?」

 あまりに突拍子もない不敬さに、私はひやひやしてメレと王様とを見た。「玉ねぎみたい」とメレが言った、先が尖ったドーム型の杖飾りはもう玉ねぎにしか見えなくなってしまった。金ぴかでとっても高そうなのに。

 けれど王様は私のことが見えていないようで、突如目の前に現れたメレのことだけを睨んでいる。さっきメレがかけてくれた魔法のおかげかもしれない。

「何もない所から現れおったな……!? 貴様か、あの竜を城にけしかけた不届き者は!」

 王様は立派な髭を振り乱して叫んだ。王様からすると、私たちが後ろに火吹き竜を従えて見えるのかもしれない。

「王様には、あれが本物の竜に見える?」

 良かったね、アメリィ。とメレが小さく呟いたけれど、私はどきどきしすぎてそれどころじゃなかった。

 あの空に浮かぶ火吹き竜を作ったのは、私だ。

 昨晩メレにお願いされ、木の枝を削って骨組みにし、紙を貼ったはりぼての竜。家ほどの大きさだけど、実は私でも持ち上げられるほど軽い。ちょうど顔とお腹あたりに設置したランタンに火を点けると、温かい空気の力でふわりと浮き上がるのだ。

 ほぼ丸一日かけてできた私の超大作は、今や王国の空を舞う火吹き竜として人々を脅かしている。紙と木でできているからもちろん火を吹くことはないのだけど、想像以上に皆びっくりしているみたいだ。どうしよう。

 メレは王様の前でも臆することなく、いつもの調子で口を開いた。

「王様は知らないかもしれないけれど、この地方に棲んでいた竜はみな絶滅したんだ。僕が旅してきた世界のどこでもそう。大昔と違って、いま生き残っている竜は大人しい種類ばかりで、深い森の奥や海の底にしかいないんだ。安心して、こんな人の多い街には来ないよ」

「あれは幻ということか……!? おのれ姑息な魔法使いめ」

 姑息、と称されてもなお、メレは顔色ひとつ変えなかった。すべて手筈通りに事は進んだ。そう、使

「……しかしもはや、竜が生き残っているかそうでないのかは大きな問題ではないのじゃ、汚らわしき獣の子よ」

 王様は蔑むように髭の奥で笑う。

 メレは意に介さず、滔々と語った。

「昔々、この国に火吹き竜が現れたとき、王様のご先祖様が水魔法を使って追い払ったんだってね。人々に感謝され、ご先祖様はこの国の初代王様になった。けど魔法の力を恐れたのは、当時の王様自身だった。こんな力が誰にでも使えたら、すぐに自分の立場が脅かされてしまうかもしれない。だから――魔法を自分だけのものにしたんだね。この土地の魔力を制限することによって」

 魔力を、制限? そんなことが――

 理解するより前に、メレは水晶の杖を振るう。突如巻き起こったつむじ風に、部屋中の家具は転がりカーテンは暴れた。目を細めていると、緊迫した空気にもかかわらず、メレは大欠伸をした。

「おかげで、この国に来てから眠たくてしょうがないよ。この国の空気は魔力が薄すぎるんだ。確かにこれだけ魔力がなかったら、妖精や僕らみたいな獣人はともかく、人間に魔法は使えないだろうね」

 部屋の奥で重厚なカーテンが捲れ――その奥で巨大な石が台座に祀られているのが見えた。バルコニーの外に浮かんでいるはりぼての竜といい勝負のその石は、怪しげな赤い光を放っている。

 石の前に立ちはだかり、王様はメレを睨みつけた。

「そうじゃ。誰もが魔法を使えれば、わしを脅かす者が出るやもしれぬ。今の貴様のようにな。忌まわしき魔法使いよ……わしを倒し、この国を滅ぼすつもりか!」

「ううん。僕は王様に興味はないんだ」

 メレがもう一度杖を振るうと、一陣の風が私たちと王様をすり抜け――カーテンに隠されていた石が、粉々に割れ砕け散った。

「さあおかえり、封じられし魔力」

 そうメレが手を広げるのと同時に眩い光が部屋中を照らし、熱い力の奔流となってバルコニーの外側へ溢れ出していく。

 それは生まれて初めて春風が吹き抜けるような心地よさだった。これが、魔力のある世界の空気なのか。

 誰もが光に目が眩んだバルコニーに、メレの声だけが静かに響く。

「魔法使いに溢れてなくても、人間の創造の力は止まらないよ。魔法がなくても技術は進歩する。魔法も技術も人を傷付けることができるかもしれない。けれど反対に、誰かに夢を見せることだってできるんだ。要は使い方次第じゃないかなぁ」

 次に目を開いた時には、王様のお部屋には私とメレしか残ってはいなかった。



 一夜にして、国がひっくり返るような大騒動になった。

 魔力が溢れたおかげでかまどの火が噴き上がり、水路の水は暴れ、風見鶏が言葉を話し、つむじ風が吹き荒れるようになってしまった。

 魔力の扱い方なんて分からずに頭を抱えた私たちのもとへ、お城の牢屋に閉じ込められていた魔法使いたちが現れた。彼らはめちゃくちゃになった街を元通り穏やかにしてくれた。

、この国に魔法が戻ったのです。これからは皆で魔法を使い、助け合って暮らしましょう。私たちが魔法の使い方を教えます」

 大人たちは諸手を挙げて喜んだ。

 どうも、皆あの竜がはりぼてだと気が付かなかったらしい。竜はメレのつむじ風の魔法でどこか遠くへ飛んで行ってしまったのだけど、この国に魔力を取り戻し飛び去ったように見えたのかもしれない。私が作った火吹き竜がこの国の救世主のように崇められているのは、何だか変な気分だ。

 魔法使いたちのおかげで大人も子どもも魔法を学ぶようになり、今では国のどこでも杖を振る姿が見られるようになった。

 閉鎖的だった国は、一転して外の世界に開かれ街中賑やかになった。王様が独り占めしていたのはこの土地の魔力だけじゃなく、密かに他国と貿易をして稼いだ利益もあったのだと大人たちは言っていた。商会は潤うようになり、私の稼ぎも三食白パンを食べられるまでになった。

 王様は本当は魔法が得意じゃなかったらしい。火吹き竜と対峙した時に国中の皆が見ていたから、誰もが証人だ。後になって、建国祭で王様が披露しているように見せかけていた魔法は、他国の魔法使いによるものだということも分かった。

 無理にでも得意じゃない魔法を披露していたのは、王様がまだ王様でいたかったからかもしれない。

 立場がなくなった王様は、少ない従者を連れて国を出て行った。メレは「魔法のいらないどこかの街で、心安らかに行きていけるといいねぇ」とのんびり呟いていた。

 虫が良いかもしれないけれど、私もそうだったらいいなと思う。



 慌ただしい顛末を見届け、二ヶ月ほどこの国に滞在したメレはようやく出発することになった。

 開け放たれた国の門へ見送りについて行くと、急に寂しさが込み上げてくる。

「これでお別れなんて……ねえメレ、また来てくれる?」

「そうだねぇ。気が向いたらまた、来ることもあるかもねぇ」

「長生きなんだから……今度は私が生きている間に来てちょうだい。約束よ」

 私はポケットから手製の鉄蜻蛉を取り出して、メレの手のひらに押し付けた。いつの日か噴水広場で私たちを出会わせてくれた、渾身の力作だ。

 メレは大事そうにそれを受け取って、私を見た。

「アメリィ。君も魔法使いになれるよ」

 その横長の瞳孔に、月夜にした約束が蘇る。メレは私を魔法使いにしてくれるという約束を、充分すぎるほど叶えてくれた。

 けれど。

「魔法なしで竜だって作れちゃったんだから、私は魔法使いにならなくたっていい。そのうち、自分の発明品で飛んでみせるわ」

 胸を張ってそう答えた私に、メレは満足そうに微笑んだ。


 私の知らない魔法を見せてくれてありがとう、メレ。

 今度は私が、夢みたいな世界を自分で可能にしてみせる。


 ふわふわの白い癖毛を揺らして去っていく背中が見えなくなるまで、私はいつまでも手を振り続けた。

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仔羊メレと水の都の火吹き竜 月見 夕 @tsukimi0518

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