放送#12:ペットショップ—値札は入口、責任は出口—
静けさを買いに来た。
三好 恒一、四十六歳。整えるのは部屋じゃない。耳と呼吸だ。
モールの通路は、年末セールの音で満ちていた。BGM、呼び込み、靴音、カートの車輪。どれも単体ならただの生活音なのに、合算されると息が浅くなる。
三好は、ペットショップの前で足が止まった。ガラス越しの明かり。ケージの中で丸くなる小さな背中。水槽の泡。ポンプの低い音。看板は賑やかなのに、音だけが静かだった。
(ここ、静けさが置いてある。)
自分でも変な言い方だと思う。それでも吸い寄せられる。ドアが開いて、空気がひとつ変わる。毛と水と、ほんの少し消毒の匂い。
入口近くの犬猫コーナー。親子がガラスの前にしゃがんでいた。子どもが、息を潜めるみたいな声で言う。
「ねえ……この子、かわいい。うちに来れる?」
来た。頭の中でジングル。
――第一部。
(子どもの「かわいい」は、刃がないぶん強い)
親はすぐに笑って「いいよ」とは言わなかった。子どもの頭を撫でて、ゆっくり首を振る。
「うちはね、今は無理。飼うのって、かわいいだけじゃできないから」
「でも、かわいいよ……」
「かわいいよね。だからこそ。ちゃんとお世話できるってなってから、だよ」
(よかった、ちゃんと”出口”のほうを見てる)
店員が近づいて、距離を詰めすぎない声で言った。
「見学だけでも大丈夫ですよ。ゆっくり見ていってくださいね」
子どもがもう一度、ガラスの向こうの小さな顔を見る。親は焦らせないように視線を合わせて頷いた。子どもが最後に、確認みたいに聞く。
「……また会いに来てもいい?」
「うん。会いに来よう」
(”今日は見るだけ”って言えるの、強いな)
三好の胸の奥が、ほんの少し緩む。
三好は犬猫コーナーを離れ、小動物コーナーへ移った。ハムスターが回し車を回す。軽い爪音が、規則正しく続く。
(軽い音。……だけど、軽い命じゃない)
ウサギが耳を折りたたみ、丸くなっている。白い毛がライトで少し浮く。若いカップルが立ち止まった。女の子が男の袖をつまむ。声は小さい。けれど、熱がある。
「ねぇ……見て。この子」
男は「うん」とだけ言って、ガラスの中を見た。見ているだけ。そこは、まだ信用できる。
「……かわいい。ね。飼いたい」
言い方が、お願いに近い。”欲しい”、じゃなくて、”飼いたい”。男が小さく笑って、すぐに真面目な顔に戻った。
「今?急じゃない?」
「急じゃない。前から、飼いたいと思ってた」
「……本当に?」
「ほんとに。今ならさ、年末で家にずっといるし。最初の一週間ぐらい、ちゃんと見れる」
――第二部。
(”最初の一週間”って言葉、出口の先がぼやけるやつだ)
男の視線は下に落とした。ケージの下の札。月齢。性格。注意事項。そして、その下の数字。
「……思ったよりするよな。……それにこれ、命だよ。だからこそ、勢いで決めたくない」
「勢いじゃないって言ってるじゃん」
「そうは言っても、ここに来て『飼いたい』って言われると、勢いにも見えるんだよね」
女の子は怒りそうになって、怒らなかった。ねだる声をひとつ落とす。
「じゃあ、お願い。今日決めるんじゃなくていいから」
「分かった。一回、ちゃんと話を聞いてみようよ。飼うのはそれからでもいいだろ」
「うん、分かった」
男が少しだけ息を吐く。
「あと置き場所も、決めてないよな」
「それは考えてある。リビングの端」
「あそこ暑くない?それにうちの規約。ペットOKだっけ」
「たぶん大丈夫だけど、帰ったら確認するよ」
「あと、病院も近くにあったっけ」
「あったと思うよ。看板見た気するし。だからね、お願い。まずは話だけでも」
男がようやく店員のほうを見た。視線だけで「すみません」を置く。
――その瞬間、三好の視界にも、ケージ札が滑り込んできた。月齢。性格。注意事項。小さな文字の束。そのいちばん下に、値札。
(値札は入口だ。出口には責任が立っている)
胸の奥で、細いアラームが鳴る。音じゃない。息の詰まりのほうだ。ちょうどそのとき、入り口のドアが開いた。外から人が入ってきて、冷たい外気が一本、店内に流れ込む。三好の肺が、それに反射した。
(いまなら、息を換えられる)
三好は人を避けるふりで半歩ずれ、そのまま入口側へ寄った。ドアの脇。境界線の縁。次の一歩が、そのまま外になった。押し出されたんじゃない。呼吸のほうへ寄っただけだ。
三好は一度、深く吸う。
(命の売り場は、静かでも息が詰まる。静けさって、優しいだけじゃない)
息を整えたら、戻れる。戻るかどうかを自分で選べる。それだけで主導権が戻る。三好はもう一度、店の中に戻った。
戻ったタイミングで、ちょうど店員がカップルに向き合っていた。押し返さない。追い立てない。売り場の速度を、いったん落とす姿勢だ。
「この子を迎えるかどうか、の前に。いくつか”生活の確認”だけ、いいですか」
――第三部
店員の声は通る。でも刺さらない。温度が一定だ。”正しさ”じゃなく、手順の声をしている。
「平日、お留守番は……だいたい何時間くらいになりますか」
女の子が答えようとして、言葉を探す。男が、先に小さく口を開く。
「……十二時間、くらいです」
店員は頷く。否定しない。ただ受け取って、次へ進める。
「ありがとうございます。住まいの規約で、小動物の飼育に制限はありませんか」
「たぶん……でも、確認します」
「お願いします。あと、最初の数日は環境が変わって、食欲が落ちたり、トイレが安定しなかったりします。」
(”かわいい”の横に、ちゃんと”揺れる”が置かれた)
店員はケージのほうへ視線を向ける。命のほうを一度見てから、また二人に戻る。
「体調を崩したときに、相談できる病院は近くにありますか」
「……探します」
「月の餌代と、いざという時の医療費。目安は把握されていますか」
男の顔が、買い物の顔から生活の顔へ寄る。女の子の熱も、少しだけ落ち着く。落ち着くというよりも、地面に足がつく。
(これが”迎える”ってことだよな。値札じゃ足りない)
店員は一拍置いて、付け足した。押すためじゃない。確認のためだ。
「最後に一点だけ。寿命は年単位です。数年後の生活も想像できますか。旅行や急な用事の時、預け先はありますか」
カップルの表情が変わる。怖がる顔じゃない。考える顔だ。店員はケージ札を指先でそっと押さえた。叩かない。落ち着かせる合図みたいに。そして、低く言った。
「値札は入口です。責任は出口にあります」
その一言が、三好の胸に落ちた。押してこないのに重い。重いのに、苦しくない。
(この人の声は押さない。ほどく)
女の子が、ためらうように聞く。
「……今日、決めなくても大丈夫ですか」
店員はすぐに頷いた。
「大丈夫です。準備して、また来てください。焦って迎えると、飼い主もペットも苦しくなります。準備が整ったら、この子も安心しますから」
言い終えたあと、店員の肩が一瞬だけ落ちて、すぐにまた丁寧な顔に戻った。安心。――その単語は、客のためじゃなく、命のほうへ向いていた。
三好は、それ以上は受信しなかった。今日の”静かな救い”は拾った時点で十分だった。
――妄想モードが勝手に立ち上がる。
A:女の子は家に帰って、規約を開く。病院も調べる。餌代も書く。準備の項目が増えるほど、熱は少しずつ”本気”に変わっていく。次に来るとき、彼女の「飼いたい」じゃなく「迎えたい」と言う。
B:男は、あの店員の言葉を何度も反芻する。値札は入口。責任は出口。――その一分だけで、勢いの買い物と、生活の決断の境目が見える。帰り道、二人で「まずは一週間、家の配置を変えてみよう」と言って笑う。笑いがでるうちは、まだ安全だ。
C:店員は毎日、同じ質問を同じ温度で繰り返している。押すためじゃない。引き返せる出口を、先に作るためだ。売れた数じゃなく、無理に迎えられなかった命のほうが、店を静かに守っている。
どれもありそうで、どれも違いそうで、だから面白い。
だから、ここで止める。
三好はスマホのメモを開き、三行だけ打った。
・静けさ=命の思い出す時間
・値札=入口、責任=出口
・確認の質問=押す駄目じゃなく、引き返せるため
(ラジオ放送、以上。)
【小説】三好の心のツッコミ専属ラジオ Aki Dortu @aki_1020_fjm
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