朝風呂
ヒバ(ヒノキ科の木)の香りが漂う内湯。冷えた空気に温かい湯気が舞う露天風呂。源泉かけ流しのとろみのあるお湯で、日頃の疲れを癒やす。
来た時は何もない、なんて思っていたけれど、とても豊かな青森。
「来て良かった」
心からそう思えた。
気分が良くて時間を忘れてしまいそうだ。でも、少しのぼせそうだったので温泉を出た。
「「あ⋯⋯」」
ちょうどリンゴさんも出てきたようだ。
「いいお湯でしたね」
「うん、とっても♪」
⋯⋯。
当たり前なのかもしれないのだけれど、リンゴさんからとてもいい香りがする。
見てはいけないと思いつつも、自然とリンゴさんの方へと視線が行ってしまうのだ。
まったく男という生き物は情けない。先ほども乙女の像に見惚れていた僕を笑われたところじゃないか。
⋯⋯。
メイクが落ちて、ふんわりセットしていた髪もひとつにまとめられて、キレイな頭のかたちが露わになっている。首から鎖骨、鎖骨から胸元にかけて、視線が吸い込まれて⋯⋯。
「えっち」
ひいっ!?
「ご、ごめんなさい! つつ、つい⋯⋯」
「ふふ、冗談よ。夕食は広間の方かしら?」
「いえ、部屋食でお願いしてあります。僕の部屋で良かったですか? 今なら別々にもできますけど」
「いいわ、フジ君の部屋で。何が出るか楽しみね♪」
「はい!」
部屋に戻ると、机にずらりと並べられた青森の海千山千。
働いて、お金を儲けても、使いどころを知らなかった僕。ここぞとばかりに、自分へご褒美を贈ろうと思ったのだ。それを分かち合ってくれる友だちがいたら最高だと、気づかせてくれたリンゴさんにもお礼をしたかった。
「「乾杯!」」
食前酒には田酒と呼ばれる日本酒を用意してもらった。「田んぼの酒」とも呼ばれる、米の旨味を追求した純米酒だ。
「美味しいです。僕、日本酒なんて飲むの初めてですが、これならいけそうですね」
「うん、私もこんなに美味しいのは初めてかも?」
すぐに酔ってしまいそうなので、さっそく食べ物を。と、リンゴさんを見ると、身を乗り出している。
⋯⋯。
「透き通ったイカ、ぽってりと大きなホタテ、大間のマグロ! そしてこれは⋯⋯鮭?」
「川の大トロ、鰺ヶ沢のイトウだよ。 なま物もいいけど、シャモロックのせんべい汁!」
「この鍋のこと? シャモロックってなに?」
「あ、うん。『シャモ』と『横斑プリマスロック』を交配させた地鶏のことだよ。出汁がとても美味しいらしいから、あとで雑炊にしてもらおうね」
「へええ!? よく知ってるわね?」
ぎくり。
「いえ、せっかくだから美味しいものが食べたくて調べたんですよ」
「フジ君て、もしかして仕事出来るタイプ?」
「いえ、普通のサラリーマンです。少し海外赴任が長くて、日本が恋しかった反動です」
「それって出来るタイプって言わないの?」
「⋯⋯知りません」
僕って本当に自分のことが見えてない。
「フジ君てさ? ちょっと世間ズレしてるよね? いや、悪ぐちじゃなくってさ。今いくつ?」
「28です」
「え、私より歳上なの? あ、私25。なんか意外」
「それって頼りないってことですか?」
「ん? うん。ちょっとね? だってフジ君、四六時中オドオドしてるじゃん?」
そうかも。特にリンゴさんの前だと自信がない。ぜんぶ見透かされているみたいで。でも逆に、こんな自分を見てくれることが、少しこそばゆくもあり、嬉しくもある。
リンゴさんといると、なんだか僕⋯⋯。
「ん? フジ君? 大丈夫? 顔、赤いよ?」
「うん、なんだか頭がぼうっとして⋯⋯」
「えっ、ちょ──」
ザザァン⋯⋯ピチョン、ピチョン。
水の音?
暗い。庭と灯籠がボワリ淡い光を放つだけだ。
部屋の露天風呂に人影?
あ。
「リンゴさん?」
ザァ。
「あ、起きた?」
「あの⋯⋯」
「あなたもどう? せっかくの露天風呂だし」
「え⋯⋯」
「恥ずかしいならいいよ」
どうしよう?
「では、お邪魔します」
ザザァ⋯⋯。タオルで前を隠して。ヒバでできだ浴槽へと入る。
「どう? 気持ちいいでしょ」
「はい、とても」
⋯⋯。
「ありがとうね?」
「何がですか?」
「昨日、あなたと過ごせて良かったから」
「僕も楽しかったです」
「それで?」
「え?」
「自分は見つかった?」
「ええ、リンゴさんがたくさん見つけてくれました。今も新しい自分の発見に驚いています」
「そう、良かった。私もね?」
「はい」
「私も、自分を見つめ直すことができたよ?」
「え、今でも十分素敵なのに?」
「それ、天然?」
「え?」
「本気にしちゃうから。私、何度も男に失敗してるのに、いつも同じ失敗を繰り返してしまうの。今みたいな言葉にのせられて、つい、心と体を許しちゃう。ほんとバカ」
「何言ってんですか。僕を見てください。勉強と仕事しか知らないとこんなになっちゃうんです。笑っちゃうでしょ?」
「童◯だしね? うふふ」
「あはは。いや、童◯って言い過ぎ!」
「あはは⋯⋯あ、見て?」
リンゴさんが海の向こうを指さした。いつの間にか空が白んできている。
「青森って朝風呂が名物なんだって」
「本当、気持ちいいですね♪」
「うん♪」
⋯⋯。
「「あの!」」
⋯⋯まただ。
「どうぞ?」
「いえ、りんごさんからどうぞ?」
「ううん、じゃ、せーので同時に」
「はい」
「せーのっ!」
「もう一泊しませんか!?」
「あははははははは!」
「もうっ! リンゴさん、ズルいです!」
「ごめんごめん! でも、言おうとしたことは同じだよ?」
「じゃあ?」
「うん、いいよ♪」
「やった!」
僕の肩にリンゴさんの頭が寄りかかる。
その頭に自分の頭を寄せた。
「ねえ」
「はい」
「好きになっちゃいそう」
「実は、僕もです」
ザバと水面が大きく揺れて、大量のお湯が流れ落ちた。
まとめあげていた彼女の髪も落ちて、彼女の背中の向こうに朝日が見えた。
青森二日目。
僕の自分探しの旅は始まったばかりだ。
みちのくで見つけた自分は、とても刺激的で、とても甘かった。
もしかすると僕は、未知なる自分を見つけるつもりが、本当の自分を見失ってしまったのかもしれない。だがもう、そんなことはどうでも良かった。
少なくとも僕は、彼女の瞳の中に、新しい自分を見つけることができたのだから。
おしまい
みちのくみちづれみちすがら 〜男女みちのくふたり旅〜 かごのぼっち @dark-unknown
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます