日陰皇子の錬丹術師 ~食えない皇子に異端の術を見抜かれ、宮廷の《事件と陰謀》に挑む~

きぃ

一章 火の鳥

第1話 暗闇に咲いた華


「あ、いたいた。遼星リャオシン!」



遼星リャオシン』と呼ばれて振り返ったのは、黒髪の青年だった。


紫がかった藍色の瞳で、遼星リャオシンが無愛想に呼びかけてきた相手を見る。



遼星リャオシンは今年で十七になる、やや童顔寄りの顔立ちをした青年だ。

愛想良くしていればそれなりに人気が出そうな顔立ちをしているのだが、残念ながら本人はそういったことに無頓着。

「いつも不機嫌そうな顔をしていることが玉に瑕」とこの職場では言われていた。



声をかけてきたのは職場の同僚だ。年は遼星リャオシンより上、半年ほど前に入った遼星リャオシンの先輩でもある。

聞こえなかったことにするわけにもいかず素直に待つ。やがて女性は混雑する店内で客をかき分けるようにして近づいて来た。


その時、女性が手に”火が消えた灯籠”を掴んでいることに気付き、遼星リャオシンは「またか」と小さくため息を付いた。



「ごめんなさい、うっかり消しちゃって。お願いできる?」


遼星リャオシンの前まで近づいてきた女性はそう言うと、苦笑いを浮かべて遼星リャオシンに火の消えた灯籠を差し出した。

たまにある業務外のお願いだ。

はぁ、とあからさまに面倒くさそうに遼星リャオシンがため息を付く。


「裏に種火があるでしょう? 俺じゃなくてそっちに頼んでくださいよ」

「だってあそこを管理してる人、嫌みったらしいんだもの。遼星リャオシンならすぐつけてくれるでしょ? ね、お願い」



相手がそう大げさに手を合わせるのを見て、遼星リャオシンは渋々灯籠に手をかざした。



その瞬間、何もなかったはずの遼星リャオシンの手にふわりと炎が灯った。



僅かな羨望が籠もった目で女性が遼星リャオシンを見る。

女性の目の前で遼星リャオシンの手から滑り落ちた火がゆっくりと灯籠の中に落ち、すぐに灯籠には暖かな光が広がった。



――五行術。

遠い異国では『魔法』とも呼ばれているその力は、火を生み、水を操り、空気を震わせて風を起こす。この国の基盤となっている力だった。




「凄いわね。せっかく五行術が使えるのに、なんで遼星リャオシンはこんな所で働いてるの?」



”こんな所”の部分に若干の自虐も含めながら女性が言う。

彼女の明け透けな言葉に遼星リャオシンは思わず頬を引き攣らせそうになるが、言いたいことはわかる。

ここ、――遼星リャオシンが働く職場は、都の端の端、特に治安の悪い場所にこっそりと作られた正規の営業許可を持たない脱法の賭場だ。


通常なら許されない掛け金、そして、表だっては来店できない客を見て見ぬ振りすることで常に賑わっている店だ。

当然集まる客層も荒っぽく、油断すればすぐにでも喧嘩沙汰が起きる危険な場所だった。


まともな育ちの人間なら近寄ろうとも思わない。五行術という力を持つ人間なら尚更だ。

だが、不思議そうに首を傾げる女性に、遼星リャオシンはうんざりした様子でこう答えた。



「だから俺が使えるのは、五行術師として働けるような力じゃないんですって」



五行術は誰でも使える術ではない。

そして使えたところで、誰でも天を焦がす炎を生み出せるわけでもない。


五行術は血筋、または先天的な才能に大きく左右される力だ。

多少の成長はあれど、力の強さも種類も生まれた時点でほぼ決まり生涯変わらないと言われている。

小さな炎を出せる程度の力など、本物の術師には見向きもされないだろう。



(……まぁ、それでも。使、就ける仕事もあったのかもしれないけど)



頭に浮かんだソレは顔には出さない。


そんなの夢のまた夢だと適当にあしらって、いつもならこれで話が終わる。だが、この日は違った。

「でも……」と納得出来ない様子で眉を潜めた女性は、


「最近、宮廷の役人が五行術を使える人をこの辺りでも探してるって噂よ。なんでも、陛下の命令だとか」


と続けたのだ。



ピクリと、遼星リャオシンの眉が動く。

同時に彼の目の奥に灯る光が僅かに色を変えた。



「命令って……」


内心を悟られないように、遼星リャオシンは冷静な口調を保ったまま何かを言いかけた。


だが、それが言葉になるよりも先に賭場の中心で怒声のような声が響き、

――遼星リャオシンは弾かれるように顔を上げた。







遼星リャオシンが女性の灯籠に火をつけた時、

その様子を店の隅で静かに眺めている者がいた。




「……今の見たか?」

「はい。志翠シスイ様」


盛り上がった賭け事の罵倒に紛れて話していたのは店の隅の席についた二人の男だった。


そのうちの一人は中年の男性。

堅物そうな雰囲気を持つ体格の良い男だった。


一方、「志翠シスイ様」と呼ばれたのは、遼星リャオシンとほとんど変わらない年頃に見える青年だった。



高い位置で結んだ長い黄色の髪に透き通るような翡翠色の瞳。

思わず振り返ってしまうほど整った顔立ちの青年だが、今は地味な服装に布を被り、顔を隠していた。

そのお陰か、店内で志翠シスイに注目する人はおらず、彼らは落ち着いて周囲の様子を伺うことができていた。



「五行術……、のように見えましたが。この距離でははっきりしませんね」


遼星リャオシンの様子を注意深く見つめながら男が言う。

彼らが注目していたのは、たった今遼星リャオシンがつけた灯籠の火だ。



彼らこそが、”噂”になっていた術師を探す、皇帝の勅命を受けた役人だった。



宮廷で起きているある事件を解決するため、彼らは少し前から市中で術師を探していた。

だが、調べた術師は全て偽物かただの噂。ここまで目立った成果もなかった。

そんな中で遼星リャオシンはやっと見つけた術師らしき人物ではあったが、それにしては男の表情は芳しくない。


術師……、かもしれない。だが、遼星リャオシンが使ったのは小さな炎を生み出す程度の術だった。

その程度の力なら、皇帝に仕える術師はもちろん市中の術師ですら持っている者は居る。

例え本物の術師だったとしても、自分たちが求めているような相手ではないと思ったからだ。


……当たり前だ、とも思う。

五行術の力を持つ人間は国が厳しく管理している。


彼らが求めているのは宮廷の術者でも手が余る問題を解決できる人間だ。

今更、そんな術者が市中に見落とされているわけがない。それを探してこいと言うのだ。


「……本当に陛下も無理をおっしゃる」


困り切った様子で男は頭を抱える。


「そう言うな。宮廷の術者は誰一人、『火の鳥』の正体を暴けなかったんだ。なら、外を当たってみるしかないだろう?」

「それはそうですが……」


志翠シスイに言われてしまえば、状況を知っているだけに男も何も言えない。

ひとまずこのことを男は棚上げにすることにした。


「……まぁ、術師のことはもう良いでしょう。そろそろ外の兵を呼びますので、志翠シスイ様は店の外へ」


男がそう告げると、目の前の主はきょとんと意図が伝わってない顔をした。

やはり”本題”の方は聞き流していたかと、男が苦い顔で眉間を押さえる。


今日、彼らがここにやってきたのは術者を探すためだけではない。

むしろ術者はついで。本題は、黒い噂が絶えないこの賭場を一網打尽にすることだった。


未認可の賭場というだけでなく、最近は賊や間者の隠れ蓑になっているという黒い噂も絶えない。これ以上は見過ごせなかった。

準備の途中、志翠シスイに賭場にいるという五行術師の噂がバレてしまったことだけは完全に想定外だったが、これで彼の気も済んだだろう。


「もう志翠シスイ様の用はここにはないでしょう?賭場に強い力を持った術師がいる……、なんて最初から眉唾でしたが。やはりただの誇張だったみたいですね」


ここから先は荒事になる可能性が高い。

あとは兵に任せて安全な場所へ避難するように男は促したが、当の本人は納得していないようだった。


うーんと、志翠シスイが何かを考えこんだ様子で遼星リャオシンを見る。



「……いや、あれはもっと面白いものかもしれない」



翡翠色の瞳がきらりと瞬く。

志翠シスイが楽しげに微笑んだのと、賭場の中心で怒号のような声が響いたのはほぼ同時だった。





「何すんだ、てめぇ!」


突然の騒ぎに賭場は一時騒然となる。


何か起こったことを察した遼星リャオシンはすぐに騒動の中心へと視線を向けた。


どうやら喧嘩らしい。


イカサマでもしたか、酔った勢いで相手に殴り掛かりでもしたか。理由はさておき、ここでは客同士のいざこざは日常茶飯事だった。

状況を理解した遼星リャオシンは直ぐに騒動の中心に駆けつけた。


「落ち着け! 何があった?」

「うるせぇ、離せ!」


萎縮した客と、その客に掴み掛かる柄の悪い男の間に遼星リャオシンが割って入る。

元々雑用で入ったはずの仕事は範囲がどんどん広がり、今ではこういった荒事を押さえることも遼星リャオシンの仕事だった。


しかし、興奮した男は聞く耳を持たず、遼星リャオシンを力任せに突き飛ばした。

咄嗟に踏みとどまれなかった遼星リャオシンがそのまま近くの机に鈍い音と共に叩きつけられる。



「野郎……」


その刹那、遼星リャオシンの目に鋭い光が走った。


倒れた時、降りかかってきた賽の目と酒を遼星リャオシンが乱暴に振り払う。

弾かれるように立ち上がった遼星リャオシンは近くに置かれていた灯籠を無造作に掴み――、

そのまま掴んだ灯籠を男に向かって投げつけた。



その時、彼は袖口に隠していた何か、

――灯籠の火の光を反射して、キラリと光った粉のようなモノ、を灯籠の中に向かって投げ入れた。






ソレに気付いたのは、騒ぎにちょうど駆けつけた志翠シスイだけだった。



遼星リャオシンが男に向かって灯籠を投げつける。

野次馬の間からソレを見た志翠シスイは、間髪入れずに遼星リャオシンが手の中にある”何か”を擦るような動作をしたことに気付いた。





パチリ、と。遼星リャオシンの手の中に細かい閃光のような光が数度瞬いた。





薄暗い賭場の中に咲いた”閃光の花”に翡翠の瞳が大きく見開かれ、強く揺れる。

その光景に志翠シスイが息を呑んだ次の瞬間、灯籠の炎が空中で眩く輝き猛々しい火柱へと姿を変えた。




「ひぃぃぃぃっ!」


灯籠の炎は天井を焦がすほどの火柱へと姿を変え、男の服と髪の一部を焦がした。

悲鳴をあげた男は床に倒れ込み、その場で腰を抜かしたまま震え続ける。



「まだやるか?」


ダン、と遼星リャオシンが男の前の床を強く踏みつける。遼星リャオシンは冷たい目で男を見下ろし、そう低く言い放った。


わっと、周囲の客たちも興奮したように騒ぎ出す。

その様子を輪の外で見ていた志翠シスイは胸の奥で強く心を躍らせていた。






「……見つけた」



口の中だけで志翠シスイが言葉を噛みしめる。

遼星リャオシンが映った翡翠色の瞳の中には隠しきれない熱が煌々と輝いていた。






しかし、賭場を包んだ熱狂は長くは続かなかった。



「皇帝陛下の名により、この賭場を取り締まる! 抵抗するな!」



よく通る声が響いたのと同時に統制された足音が賭場に雪崩れ込んでくる。

中の異変に気付き、外に待機していた兵士が店内に突入してきたのだ。


一瞬の静寂。その直後に店内は大混乱になった。


「皇帝だって!? 嘘だろ!?」

「逃げろ! 捕まるぞ!」


その場に居た誰しもが、後ろ暗い場所にいることは自覚していた。

突然の出来事に戸惑いながらも、客も従業員も即座に四方八方に散り、店から逃げだそうとした。

しかし、兵士たちは慣れた動きで逃げ出そうとする客や従業員を確実に捕えていく。



”宮廷からの”役人なら願ったりかなったりとも思ったが、これは想定外だった。


がまだ何もわかってないどころか、調べる足掛かりすら見つかっていないってのに……)


苦々しい気持ちで奥歯を噛みしめ、それで遼星リャオシンも覚悟を決めた。


今、捕まるわけにはいかない。


遼星リャオシンはすぐに顔を上げ、逃げる隙がないか鋭い目で辺りを探り直した。



だが、兵士が踏み込んできた時、騒ぎの中心に居たことが完全に仇となった。

入口も裏口も遠い。兵士たちの包囲網を掻い潜って、この場から抜け出すのは至難の業だ。

突破口を探して周囲を見渡した遼星リャオシンは、……その時視界の端で小さな炎が燻っていることに気付いた。


自棄になった客が乗っていた灯籠ごと棚を蹴り飛ばしでもしたのか、直ぐ近くで小火が起き始めていたのだ。

流石に不味いと遼星リャオシンも焦り始める。


一か八か、強行突破を仕掛けるか。それとも……。


遼星リャオシンがその判断を決めかねていると、パンッと、誰かが手を叩く澄んだ音が耳に届いた。



周囲の空気を揺らしたその音は、同時にあり得ない光景を連れてきた。

遼星リャオシンの目の前で、店内に飾られていた水槽の水がまるで意志でも持っているかのように次々に浮き上がったのだ。


一体何が起きているのか? 遼星リャオシンの考えが纏まるよりも先に実害の方が来た。

激しい水流となった水槽の水は弧を描くように店内へと降り注ぎ、燻っていた火と遼星リャオシンを勢いよく押し流した!



(何が起きてるんだ……?)



幸い、遼星リャオシンは店の奥、裏口付近まで流されただけで止まったようだった。

流されている途中、呑み込んでしまった水で数度咳き込む。

理解できないことばかりが起こるが「逃げなければ」ということだけはわかっていた。


しかし、遼星リャオシンが起き上がるよりも先に彼の前に一つの影が落ちた。



薄暗い店内の中で、残った灯籠の光を反射して翡翠色の瞳が揺れていた。

賭場を制圧する兵士たちから遼星リャオシンを隠すように立ち塞がった志翠シスイは、強い興味を帯びた目で遼星リャオシンを見下ろしていた。



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