日陰皇子の錬丹術師 ~食えない皇子に異端の術を見抜かれ、宮廷の《事件と陰謀》に挑む~
きぃ
一章 火の鳥
第1話 暗闇に咲いた華
「あ、いたいた。
『
紫がかった藍色の瞳で、
愛想良くしていればそれなりに人気が出そうな顔立ちをしているのだが、残念ながら本人はそういったことに無頓着。
「いつも不機嫌そうな顔をしていることが玉に瑕」とこの職場では言われていた。
声をかけてきたのは職場の同僚だ。年は
聞こえなかったことにするわけにもいかず素直に待つ。やがて女性は混雑する店内で客をかき分けるようにして近づいて来た。
その時、女性が手に”火が消えた灯籠”を掴んでいることに気付き、
「ごめんなさい、うっかり消しちゃって。お願いできる?」
たまにある業務外のお願いだ。
はぁ、とあからさまに面倒くさそうに
「裏に種火があるでしょう? 俺じゃなくてそっちに頼んでくださいよ」
「だってあそこを管理してる人、嫌みったらしいんだもの。
相手がそう大げさに手を合わせるのを見て、
その瞬間、何もなかったはずの
僅かな羨望が籠もった目で女性が
女性の目の前で
――五行術。
遠い異国では『魔法』とも呼ばれているその力は、火を生み、水を操り、空気を震わせて風を起こす。この国の基盤となっている力だった。
「凄いわね。せっかく五行術が使えるのに、なんで
”こんな所”の部分に若干の自虐も含めながら女性が言う。
彼女の明け透けな言葉に
ここ、――
通常なら許されない掛け金、そして、表だっては来店できない客を見て見ぬ振りすることで常に賑わっている店だ。
当然集まる客層も荒っぽく、油断すればすぐにでも喧嘩沙汰が起きる危険な場所だった。
まともな育ちの人間なら近寄ろうとも思わない。五行術という力を持つ人間なら尚更だ。
だが、不思議そうに首を傾げる女性に、
「だから俺が使えるのは、五行術師として働けるような力じゃないんですって」
五行術は誰でも使える術ではない。
そして使えたところで、誰でも天を焦がす炎を生み出せるわけでもない。
五行術は血筋、または先天的な才能に大きく左右される力だ。
多少の成長はあれど、力の強さも種類も生まれた時点でほぼ決まり生涯変わらないと言われている。
小さな炎を出せる程度の力など、本物の術師には見向きもされないだろう。
(……まぁ、それでも。俺が使えるのが本当に五行術なら、就ける仕事もあったのかもしれないけど)
頭に浮かんだソレは顔には出さない。
そんなの夢のまた夢だと適当にあしらって、いつもならこれで話が終わる。だが、この日は違った。
「でも……」と納得出来ない様子で眉を潜めた女性は、
「最近、宮廷の役人が五行術を使える人をこの辺りでも探してるって噂よ。なんでも、陛下の命令だとか」
と続けたのだ。
ピクリと、
同時に彼の目の奥に灯る光が僅かに色を変えた。
「命令って……」
内心を悟られないように、
だが、それが言葉になるよりも先に賭場の中心で怒声のような声が響き、
――
◆
その様子を店の隅で静かに眺めている者がいた。
「……今の見たか?」
「はい。
盛り上がった賭け事の罵倒に紛れて話していたのは店の隅の席についた二人の男だった。
そのうちの一人は中年の男性。
堅物そうな雰囲気を持つ体格の良い男だった。
一方、「
高い位置で結んだ長い黄色の髪に透き通るような翡翠色の瞳。
思わず振り返ってしまうほど整った顔立ちの青年だが、今は地味な服装に布を被り、顔を隠していた。
そのお陰か、店内で
「五行術……、のように見えましたが。この距離でははっきりしませんね」
彼らが注目していたのは、たった
彼らこそが、”噂”になっていた術師を探す、皇帝の勅命を受けた役人だった。
宮廷で起きているある事件を解決するため、彼らは少し前から市中で術師を探していた。
だが、調べた術師は全て偽物かただの噂。ここまで目立った成果もなかった。
そんな中で
術師……、かもしれない。だが、
その程度の力なら、皇帝に仕える術師はもちろん市中の術師ですら持っている者は居る。
例え本物の術師だったとしても、自分たちが求めているような相手ではないと思ったからだ。
……当たり前だ、とも思う。
五行術の力を持つ人間は国が厳しく管理している。
彼らが求めているのは宮廷の術者でも手が余る問題を解決できる人間だ。
今更、そんな術者が市中に見落とされているわけがない。それを探してこいと言うのだ。
「……本当に陛下も無理をおっしゃる」
困り切った様子で男は頭を抱える。
「そう言うな。宮廷の術者は誰一人、『火の鳥』の正体を暴けなかったんだ。なら、外を当たってみるしかないだろう?」
「それはそうですが……」
ひとまずこのことを男は棚上げにすることにした。
「……まぁ、術師のことはもう良いでしょう。そろそろ外の兵を呼びますので、
男がそう告げると、目の前の主はきょとんと意図が伝わってない顔をした。
やはり”本題”の方は聞き流していたかと、男が苦い顔で眉間を押さえる。
今日、彼らがここにやってきたのは術者を探すためだけではない。
むしろ術者はついで。本題は、黒い噂が絶えないこの賭場を一網打尽にすることだった。
未認可の賭場というだけでなく、最近は賊や間者の隠れ蓑になっているという黒い噂も絶えない。これ以上は見過ごせなかった。
準備の途中、
「もう
ここから先は荒事になる可能性が高い。
あとは兵に任せて安全な場所へ避難するように男は促したが、当の本人は納得していないようだった。
うーんと、
「……いや、あれはもっと面白いものかもしれない」
翡翠色の瞳がきらりと瞬く。
◆
「何すんだ、てめぇ!」
突然の騒ぎに賭場は一時騒然となる。
何か起こったことを察した
どうやら喧嘩らしい。
イカサマでもしたか、酔った勢いで相手に殴り掛かりでもしたか。理由はさておき、ここでは客同士のいざこざは日常茶飯事だった。
状況を理解した
「落ち着け! 何があった?」
「うるせぇ、離せ!」
萎縮した客と、その客に掴み掛かる柄の悪い男の間に
元々雑用で入ったはずの仕事は範囲がどんどん広がり、今ではこういった荒事を押さえることも
しかし、興奮した男は聞く耳を持たず、
咄嗟に踏みとどまれなかった
「野郎……」
その刹那、
倒れた時、降りかかってきた賽の目と酒を
弾かれるように立ち上がった
そのまま掴んだ灯籠を男に向かって投げつけた。
その時、彼は袖口に隠していた何か、
――灯籠の火の光を反射して、キラリと光った粉のようなモノ、を灯籠の中に向かって投げ入れた。
ソレに気付いたのは、騒ぎにちょうど駆けつけた
野次馬の間からソレを見た
パチリ、と。
薄暗い賭場の中に咲いた”閃光の花”に翡翠の瞳が大きく見開かれ、強く揺れる。
その光景に
「ひぃぃぃぃっ!」
灯籠の炎は天井を焦がすほどの火柱へと姿を変え、男の服と髪の一部を焦がした。
悲鳴をあげた男は床に倒れ込み、その場で腰を抜かしたまま震え続ける。
「まだやるか?」
ダン、と
わっと、周囲の客たちも興奮したように騒ぎ出す。
その様子を輪の外で見ていた
「……見つけた」
口の中だけで
しかし、賭場を包んだ熱狂は長くは続かなかった。
「皇帝陛下の名により、この賭場を取り締まる! 抵抗するな!」
よく通る声が響いたのと同時に統制された足音が賭場に雪崩れ込んでくる。
中の異変に気付き、外に待機していた兵士が店内に突入してきたのだ。
一瞬の静寂。その直後に店内は大混乱になった。
「皇帝だって!? 嘘だろ!?」
「逃げろ! 捕まるぞ!」
その場に居た誰しもが、後ろ暗い場所にいることは自覚していた。
突然の出来事に戸惑いながらも、客も従業員も即座に四方八方に散り、店から逃げだそうとした。
しかし、兵士たちは慣れた動きで逃げ出そうとする客や従業員を確実に捕えていく。
”宮廷からの”役人なら願ったりかなったりとも思ったが、これは想定外だった。
(”あの人”のことがまだ何もわかってないどころか、調べる足掛かりすら見つかっていないってのに……)
苦々しい気持ちで奥歯を噛みしめ、それで
今、捕まるわけにはいかない。
だが、兵士が踏み込んできた時、騒ぎの中心に居たことが完全に仇となった。
入口も裏口も遠い。兵士たちの包囲網を掻い潜って、この場から抜け出すのは至難の業だ。
突破口を探して周囲を見渡した
自棄になった客が乗っていた灯籠ごと棚を蹴り飛ばしでもしたのか、直ぐ近くで小火が起き始めていたのだ。
流石に不味いと
一か八か、強行突破を仕掛けるか。それとも……。
周囲の空気を揺らしたその音は、同時にあり得ない光景を連れてきた。
一体何が起きているのか?
激しい水流となった水槽の水は弧を描くように店内へと降り注ぎ、燻っていた火と
(何が起きてるんだ……?)
幸い、
流されている途中、呑み込んでしまった水で数度咳き込む。
理解できないことばかりが起こるが「逃げなければ」ということだけはわかっていた。
しかし、
薄暗い店内の中で、残った灯籠の光を反射して翡翠色の瞳が揺れていた。
賭場を制圧する兵士たちから
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