第3話
「熱い」
痛む身体を引きずって帰宅した吉人はシャワーを浴びるとすぐ床に就いた。真新しいベッドは寝心地を確かめて買ってきた物だったが、そんな寝具でさえ痣が発する熱には無力だ。
「はぁ、明日からどうしよ」
幸い顔を殴られてはいない。登校自体は可能だが、教室で粕谷と顔を合わせてしまう。
「先生に言うか?」
吉人は呟いたがすぐに首を振る。相談しても解決しそうには思えなかった。自己紹介の時もそうだったがあの担任は明らかにおかしい。昨日なんて女子の尻をずっと目で追いかけていた。気付かれていないと思っているのかもしれないが、そんな都合の良い世界は妄想の中だけだ。既にクラス内での彼の評価は地に落ちている。
「うぅっ」
吉人はある違和感に気付いた。痣からじんわり漏れた熱が身体を巡り、とある部分が反応する。
「な、何で?」
動物は命の危機を感じると子孫を残すために元気になるらしい。そんな説をどこかで聞いた気がする。頭に浮かんだそれを振り払いつつどうするべきかを考える。
「このままだと眠れないし」
空虚な言い訳をしつつ準備を整える。
「何で俺がこんな思いをしなきゃならない」
混濁していく意識の中で呟く。身体はさらに熱くなり、汗が額を流れ落ちていく。
「やっとあの地獄から抜け出せたと思ったのに」
思い出すのは過去と言うには近すぎる日々。イジリ、からかい、物隠しに無関心。時に暴力も伴うそれらは吉人の人生を破壊した。
「何で俺なんだっ」
怒りが湧いてくる。それに伴って動きも早くなる。ただ普通に生きていただけ。それだけでイジメの標的になる。自分ではどうしようもない部分を他人は見つけて攻撃する。そんな世界に救いなんてない。
「クソッ!」
気付けば泣いていた。情けない。あの地獄から抜け出して新しい生活を始めるはずだった。やっと解放されたのに何でこうも上手くいかないんだ。
「くっそぉ……」
霞みゆく視界の中で角の生えた女の子を見た気がした。
♢
「うぅっ」
背に感じる硬い感触。微かにせせらぎが聞こえる。目を開けると曇った空が見えた。
「何だ?」
片手をつくとジャリッと音がした。そのまま上半身を起こし周りを確認する。
「家……じゃないよな」
どうやら河原に寝そべっていたらしい。川幅は広いが向こう側が見えない程ではない。それにしても妙に下半身が涼しい気がする。こう、解放されているような――。
「あっ」
ようやく自身の違和感に気付くと急いで身嗜みを整える。このまま歩き回るのは変質者くらいだろう。
「……ついでに手も洗っておくか」
川に近づくと水深はとても浅いようだ。恐らく歩いて向こう岸に渡る事も出来るだろう。
「ふぅ」
洗い終わった吉人は改めて周囲を見渡す。川以外は何もない。
「夢、か?」
可能性は高いかもしれない。ここまではっきりとした夢は初めてだが。
「他に考えられるとすれば……ん?」
身体の熱さや痛みが消えている。夢なら当たり前と言えばそうだが、さっきまでそれに苦しめられていた身としては不思議な気分だ。
「でもなぁ」
何かしっくりこない。こう、微妙に外しているというか何というか。
ドドドドドッ。
考え込んでいると遠くから何かが聞こえる。それは徐々にこちらに近づいてきている。どうやら川の向こう岸からのようで、吉人は音の方へ振り向いた。
「は?」
音が近づくにつれ姿も分かってきた。最初は二本足で走ってきている人間だろうと思った。肌の色もうっすら赤みがかっているのだってそういう体質かもしれない。恰好がサラシとフンドシなのも個人の趣味だからとやかく言うようなものでもない。額から一本角を生やしているのだってコスプレなのかも。
「違うんだろうなぁ」
ダァンッ!
綺麗なストライドで川の手前まで来るとそのまま踏み切って跳んだ。川幅は人が飛び越えられる距離ではなかったが、空中で足をバタつかせ見事彼の目の前に着地する。その姿は部活動紹介で見せてもらった陸上部の走り幅跳びに似ていたが、ここまでの完成度では無かった気がする。
「うっし、今日も絶好調だな!」
その少女は小さくガッツポーズをすると吉人に目を向ける。
「おいお前!」
腰に手を当てビシッと指を差す少女。
「は、はい」
吉人は目を逸らしながら返事をする。
「何でこんな所にいるんだっ」
少女は指差した方の手も腰に置くと胸を逸らす。吉人はより一層視線を向ける訳にはいかなくなった。
「そう言われましても」
実際、吉人は何故ここにいるのか分かっていない。
「本来渡るべき場所はもっと下流のはず……っておい!」
「はい」
「何であたしを見ようとしない」
「ええっと」
「怪しいやつめ!」
少女は吉人に近づくと両手で頬を挟み、ぐいっと正面を向かせる。
「うごっ」
強制的に顔を戻された吉人は少女の姿を至近距離から見てしまう。幸い上半身だけだが、それでもサラシに覆われていない上半分が近い。そこそこ深い谷間が見えてしまっている。
「で、何でここにいるんだって聞いてんだ」
少女の尋問は続く。逃がすつもりは無いらしい。
「実は……」
吉人の顔は急激に赤くなっていくがどうにか答えた。もちろん直前にしていた内容はぼかしてだ
「嘘は……ついてなさそうだな」
息がかかるくらいに近づき、瞳の奥を覗き込みながら少女は言う。睫毛の長いぱっちりとした黒瞳が吉人の視界いっぱいに広がる。息を止めてこの時間が早く終わるように願った。
「よしっ、いいだろう」
吉人の頬からやっと手を離すと少女は何やら考え始めた。吉人は少し離れて息を深く吸い込む。
「だがまだ隠している事があるはずだ」
ここは三途の川。普通は死者が辿り着く場所なのだという。生者である吉人は本来いてはいけないのだ。
「答えろ」
少女は詰め寄ると精一杯睨みつける。慣れていないのだろう。その姿は迫力に欠けていたが、吉人には既に別の特効があった。
「言いますけど、お、怒らないで下さいね?」
なるだけ少女の姿を直視しないようにしつつ話す。ただでさえそういう話なのだ。話している内に変な気分になろうものなら人生が終わる。
「……」
腕を組み、黙って話を聞いていた少女。傍から見れば変化は無いように見える。
「――って事なんですけど」
「……」
返事がない。ただの少女のようだ。
「あ、あのぉ」
「……」
つんつん。
「うぉわっ!」
ビクゥッと身体を震わせ意識を取り戻した少女は赤い肌をより一層赤くさせると吉人を睨む。目尻には薄っすらと涙が溜まっていた。
「な、なな」
プルプル震えながら吉人を指差す少女。
「話の刺激が強すぎました?」
そんな姿に少し余裕を取り戻したのか、少女を気遣う吉人。それが少女に火を点けるとも知らずに。
「そっ、そんな訳ないだろ!」
「でも固まってましたし」
「固まってねぇ!」
「顔も赤くなってますし」
「これは元々!」
頑として譲らない少女。
「そ、それにもうそういうのは経験済みだし!」
目を泳がせながら少女は余計な情報を投下した。
「いや、そこまで言わなくても……」
「ふ、ふん! お前みたいな童貞野郎とは違うんだよっ」
フォローしようとした吉人に少女は追い打ちをかける。
ビキィッ!
吉人の表情が固まると次第に身体がプルプル震え始めた。
「な、何だよ急に笑顔になって。そんな顔しても怖くなんて……っておい、あたしの腰に手を回してどうするつもり……くそっ振り解けねぇ!
次の更新予定
2025年12月19日 20:08
おててサキュバスとおみあし女鬼(仮) リフ@『 』と呼ばれた少年第二章完結! @Thyreus_decorus
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