第2話
私立十王学園。生徒数が五千人を超える日本一のマンモス校だ。敷地も広大で、内部の移動には専用バスが利用されている。そんな学び舎の一画にある体育館にて、現在入学式が行われていた。
「では次に各組の担任の発表に移ります」
壇上では髪をピッチリと七三に分けた男が話している。
「まずは一組から」
吉人は落ちそうになっている瞼を必死に引き留めつつ話を聞いていた。ずらりと並ぶパイプ椅子に座る他の新入生達も眠いのだろう。見える範囲だけでも何人かの頭は揺れていた。
(早く終わらないかなぁ)
「次は九組です」
吉人はその声に微かに反応した。九組は吉人が所属する予定の組だからだ。
「担任は――」
♢
「
担任になった男は教壇に立つと自己紹介を始める。既に入学式は終わり、今はそれぞれの組の教室に別れたところだ。
「これから一年間お前達に指導をしていく訳だが、私から言いたい事は一つだけだ」
教壇から降りて机の前を歩きだす。遠目にも突き出た腹がシャツ越しに波打つのが分かる。
「問題を起こすな」
じろりと生徒達をねめつける。その瞳に光は無く、私欲で濁っていた。
(これはハズレかな)
吉人は過去の経験からそう判断する。この手の人間は何か問題が起こると解決ではなく隠蔽に走る。そして自分で抱えきれなくなるまで問題を放置し、いざそれが表沙汰になると他人のせいにして責任逃れをするのだ。
「はぁ……」
根倉にバレないように溜息を吐くと、私の言う事は絶対だの彼女募集中だの後に続く無駄話を聞き流していく。
「じゃあ最後に一人ずつ立って自己紹介をしろ。手短にな」
ようやく話し終わった頃には教室中がお通夜の様な空気になっていた。
「で、ではいきます」
一番前の端の席から順番に自己紹介が始まった。この教室には百人の生徒がいる。もちろん全員をすぐに覚えられる訳もなく顔合わせ程度だ。それでも中には印象に残る生徒もいた。
「私は
その立ち居振る舞いは美しく、出自を語る凛とした声が教室中に響く。真っ直ぐな黒髪が動きに合わせてキラキラと輝いていた。
(綺麗だ……)
自己紹介が終わってもしばらく見惚れていた吉人に根倉の声がかかる。
「次!」
いつの間にか自身の順番になっていた。慌てて立ち上がった拍子に机に膝をぶつけてしまう。
「痛っ」
顔を顰めつつどうにか立ち上がった。すると今度は筆箱が落ち、中身が床にぶち撒けられた。それを慌てて拾い集めているとクスクスと笑い声が上がる。恐る恐る立ち上がると、教室中の視線が吉人に集中していた。その瞬間、頭が真っ白になる。
「えっと、あの――」
「手短に」
根倉が神経質そうに指で教卓を叩きながら言う。吉人は顔を赤く染めつつ何とか自分の名前だけ言って席に着いた。
姫香の方を見ると、憐れみの目を吉人に向けていた。
(終わった)
それからしばらくは普通に自己紹介が続いていたが、ある人物の所で教室の空気が変わる。
「
自分を誇示するように教室中を見回す金髪のツンツン頭。繰り返しのブリーチで傷んだ髪を整髪料でガチガチに固めている。髪型や髪色は校則で決められていないため、それ自体は問題無い。ただ、吉人と目が合うとニヤリと笑った。それは友好とは真逆の嗜虐性に満ちたものであった。
(目を付けられた)
相手を見てマウントが取れると確信したのだろう。吉人はこれから先の学園生活に不安を覚えた。
「何もありませんように⋯⋯」
♢
吉人の嫌な予感は的中した。
入学式からしばらくして、とある校舎裏にて暴行が行われていた。加害者は粕谷、被害者は吉人だ。
「オラッ! どうだカスが」
「ぐぅっ」
昔より身体が成長したとはいえ吉人は小柄だ。反撃も出来ず、ただただ頭を守る事しか出来ない。
「ふぅ、スッキリした~」
一通り殴り終えると粕谷はその場を去っていく。この暴力に彼が気持ち良くなる以上の意味はない。
後に残ったのは粕谷のストレス発散に使われたという事実と全身の痣だけだ。
「クソッ」
吉人は最初の自己紹介で躓いてから孤立していた。周りは順調に友達を作っていくのに自分だけが取り残される。その事実に内心焦っていた。
だから粕谷が声を掛けてきた時、最初の印象とは違っていいやつなのではと勘違いしてここまでついてきてしまった。
「まさか暴力とは⋯⋯ね」
よろよろと立ち上がると校門を目指す。もう放課後だ。暗くなる前に帰らなければならない。
植え込みに投げ捨てられた鞄を拾うと歩き始める。
「ん?」
遠くに笑顔で話す粕谷と姫香の姿が見えた。粕谷は先程までの粘ついた笑顔とは違い、少し照れたような顔で姫香と話している。
「あいつっ」
叫びたい衝動を抑え建物の陰に隠れる。姫香は押しの強い粕谷とも対等に話せる数少ない人間だった。
(何でこうなったんだろうな)
運が無かったと言われればそうなのかもしれないが、既に明暗がはっきりと分かれてしまった。片や光の中で青春を謳歌している二人、片や建物の陰からそれを覗く自分。
「最悪だ……」
吉人は呟くと二人に背を向けて歩き出した。これ以上は見ていられない。眩しすぎて自分という存在が消えてしまいそうだ。
「あーあ、折角買ってもらったのに」
見れば制服の裾が解れている。ジャケットが格好良かったのもこの学園を選んだ理由の一つだった。
「自分で直せるかな」
こんな事で母親にこれ以上負担を掛けたくなかった。
「はは、破れてないだけマシか」
吉人が俯いて笑うと地面に雨粒が落ちた。それは時が経つごとにポトリポトリと数を増やしていく。
「雨の予報、無かったんだけどな」
家に帰り着いてもしばらく雨は止まないだろう。道行く人も彼に声を掛けようとはしない。数多ある雨粒の一つをわざわざ気に掛けるようなお節介はこの世界にはいないのだ。
「あはは」
こうして星ノ宮吉人の高校デビューは失敗した。
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