殺し屋だって歯医者は。

メンソレーチャム

殺し屋だって歯医者は。


 キンと肌に刺さるような寒さに耐えながら、駅から歩くこと10分。

 3つ4つほどの薬局を横目に堂々聳え立つそこが、本日の目的地である。いくつかの専門科が集まり、おまけに清潔なベッドとお喋りな看護師まで完備されている——いわゆる総合病院だ。


 私がここに来るのは二度目なのだが、だからといって「クソ行きたくない」という気持ちは、当然晴れることはない。何なら、二度目の今日の方が前回よりもよほど足取りは重い。


 この病院を勧めた知人の脳天を、ソイツが被るイキったデザインのチューリップハットごと吹っ飛ばせば、少しはすっきりするだろうか。私が常用する”グロック19”は、きっとその役割にぴったりだ。


 しかし一方で、もし実行すれば、ソイツから貰った病院の紹介状の効力はどうなるのだろうと考える。

 そもそも”仕事”でもないのに、うっかりやってしまった場合の始末書は……と、そう数秒思考を回したところで、面倒になるため止めた方が良いという結論にたどり着いた。


 そんなようなことを想像しながら、ようやく正面玄関までたどり着いた私は、そこに立っている警備員に挨拶をした。幸い、緊張で引きつった顔はマスクで隠れたようで、警備員はすぐに事務的な笑みと言葉を返してくれた。


 自動ドアを通り過ぎ院内に入れば、そこは私を慰めるように暖かく、思わず「ほう」と息が漏れた。

 しかし、その後吸った息と共に肺に入った空気は、”病院”というテーマに完全に寄り添ったフレグランスで、それが私の気分を再度落ち込ませた。


 まっすぐ受付に行けば、仕事のできそうな女性コンシェルジュが迎えてくれた。私は「おねがいします」とコートのポケットに入れていた診察券や保険証などを渡す。

 彼女はそれを受け取ると目元で笑い、私に席で待つように促し、それに私はすぐ頷き、運よく空いていた近くのソファーへ浅く腰を掛けた。


 待つ間、現実逃避のために周りを見渡してみると、さすが総合病院というべきか、朝でもごろごろと人がいた。

 それらの人間が、はたして患者か医療従事者か、服装を見る前に歩くスピードで判別できてしまうのが少しおかしく思えた。


 スマホも触らずに、人の流れを見ながらぼーっと自分の鼓動を聞いていると、受付に呼ばれ席を立つ。

 同じ窓口へ行くと、彼女は油の無いかさついた手を私の右後方へ向けた。


「歯科口腔の受付は、二階ですので」


「……」


「後ろのエスカレーターを上がって右に進んでくださいね」


「はい」


 私はその案内に一度後ろを振り返り、その言葉が真実であると確認したところで了承の意を伝え、いくつか渡された紙を手に、従順な犬みたくその場を去った。


 エスカレーターに右足から乗り、左足から降りる。角を右に曲がって、廊下の奥にあるゴールまでの距離を目算した。


 廊下をとつとつと靴音を鳴らし歩く。窓から外を眺めると、木が風に揺れ、葉を貫く木枯らしが吹いているのが分かった。

 遠くに建設中の高層マンションも見つけ、「あそこは何区だったかな」と無駄に記憶を思い返した。


 目の前の女性に必要なものを渡し、またも座って待つように言われる。ふと、窓口の奥へ目を向けると広い空間が見え、横のスライドドアからそのまま処置室に繋がっているのだろうことが見て取れた。

 そこには、いかにも「ここは歯医者だ。観念しな」と言いたげな椅子が並んでいて、とてもげんなりした。


 待っている間、親指を握りこみながら先より若干速くなった鼓動に耳を傾けていると、ドアが開き名を呼ばれた。歯科助手の女性がこちらを見て言う。


「どうぞ中へー。2番の椅子に座ってくださいね」


「はい」


 私はちょっと食い気味に返事をし、腰を上げた。

 右足からドアの仕切りを超え、促されたところへ向かう途中に聞こえた、スタッフたちの柔らかな挨拶にも一つ一つ返した。


 たどり着くなりさっさと荷物を籠に置き、スッと椅子に座る。その場で笑って迎えてくれた医者に、私の心を見透かされたくなかったためだ。


 私は「全然問題ない」という雰囲気を醸し出しながら、うがい薬を片手に持ち、医者の女から説明を受けた。


「左下の親知らずですね。麻酔してから抜いていきます。あなたの親知らずは大きいので、まず歯茎を切って、上から歯を割っていきます。それで、割れた歯から取り出してって……取り切ったら、歯茎を糸で縫って終わりです」


 前回も聞いたような話だったが、前と違うのは私の「覚悟」だろうか。仰々しい同意書も提出してしまったし、なにより、ペラペラのよだれかけを首に付けたまま、院内を走る姿は「滑稽」を絵にかいたようなものだと、容易に想像できた。


「ゆっくりやっていきましょうね?」彼女が椅子を倒しながらそう言う。

 私の心もそっちのけに、業務を遂行しようとするその姿は誰よりも”仕事人”に見え、私はその瞳に小さく頷いた。


※※※


 寒さで来る震えなんて比じゃない。これは、恐怖である。私の頭が自覚するのにそう時間はかからなかった。もう、麻酔の時でダメだった。


 麻酔針が刺さった瞬間は痛いのに、そこから徐々に感覚がなくなっていく。さらに悪いのは、目を固く閉じているために何をされているのか分からないことだろうか。

 しかし、一度目を開ければ二度とこの椅子に戻ってこないという自信があった。


 私の目じりがぴくぴくと動いているのに医者は気づき、「痛いね?ごめんね」と声を掛ける。

 低めの声に反し、優しく上がる語尾。それがふいに、温度となって恐怖に染まった心を包み込む。

 まるで子供に戻った気分になって、昼なのに悪く酔いそうだった。


 この医者の前では、全ての人間が”大人”を保っていられない。そう確信できる何かが、その医者から出ていた。


 「麻酔効いてきたので、抜いていきましょうか」私が極めて個人的な感情を軸に頭を回しているうちに、なにやら周りに機材が増えている気配がした。

 空気の流れが変わり、口へ手が近づいてくる。


 「怖い音鳴りますけど、がんばってくださいね?」


 その声と同時、何かが口の中に入ってくる。その刹那、それがキュウウイイ―――ン!と轟いた。


 ——「鳴る」という語彙は適切だったか。

 災害警報を聞いた時と似た危機感が脳裏を爆ぜる。なんだこれは。

 例えこれが警報ならば、すぐに避難するなり衝撃に備えるなり行動すればいいが、今はそうじゃない。舌一つ動かしてはいけない。


 今までの常識と酷く掛け違えた現状に、私が混乱している間にも、さらに、ゴゴゴガガガという振動や、患部にかかる圧が加わる。


 ようやく音が止み器具を入れ替えたと思えば、顎をぐぐぐっと下から押され、バキバキッガキィッと固いものを砕き、取り出すような音。


 それがまた、テコを使って抜いているようで始末に負えない。昔、理科室で見たそれを口内で完全に再現している。初めての経験だった。


 それらの繰り返しに、私が耐えられず「ウグクゥウウウウウ」と喉から犬の奇声を発しても、医者は一切手を止める様子がない。

 いや、今止められても困るけれど、そういう話ではないのは分かるだろう?


 「今後もし、この女がターゲットになったときには……」と医者にひどい恨みをかけていれば、そんな私の沸点が上がる丁度のタイミングで「ごめんね?がんばってね」と声を掛けられ、またもえもいわれぬ心地になった。


 ……まあ、女も仕事であるわけで。第一、これは私に対する救いの行為だ。と自分に言い聞かせていれば、ひときわ大きく顎への圧を感じ、そしてふっと、全てが収まった。


「お、綺麗に取れましたよー?後は縫って終了ですね」


 突然にそう言われ、ほんの少しまた口をごちゃごちゃと触られたところで、「お疲れ様でした」と医者と助手が同時に言った。


 椅子がゆっくりと起き上がっていく。

 それにようやく目を開け、緩くかぶりを振った後そろりと横を見れば、いくつもの器具が置かれたトレイの中に、血まみれの”それ”があった。


 確かに医者の言った通り、鋭く割れている部分もある。しかし一方で歯の根っこ、二本足のような場所はつるりと、綺麗に形が残っている。大きな歯だった。


 一瞬前まで自分の中にあったものが、外界の空気に触れている。

 それにまるで、タイムカプセルを開けた時みたいな郷愁と興奮を思えば、反対に、ランドセルを捨てた時のような寂しさもじわりと浮き上がる。そんな不思議な気持ちだった。


 カタカタと震える手でうがいをし、助手にガーゼを噛まされ止血している間も、ずっとそれを見ていた。

 「気になるなら、置いておきますね」と、それ以外の器具を仕舞いに行った医者が次に帰ってくる時まで、ひと時も目を離さなかった。


 麻酔が効いているせいもあるのだろうか、どこか夢心地で、その塊にここ数年で一番の”非日常”を感じた。


※※※


 そんな具合で、気づけば病院を出ていた。

 びゅんと吹く風が私の目を覚ましてくれたようだ。


 手には処方箋が一枚握られている。あとは、好みの薬局へ赴き薬を貰えば、今日のミッションは完了なのだろう。


 このあと麻酔が切れれば痛みも出るし、明日は頬も腫れるそうだ。口内に残された糸も1週間後に、外しに来なければならない。事実を述べれば、まだやることはあるし気に掛けることもある。


 しかし、今はまだ……

 なんと表現したものか——結局はこの、キラキラとした達成感に浸っていたいと思えた。

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殺し屋だって歯医者は。 メンソレーチャム @TNZ-NG

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