第21話 花火の音と耳栓
花火大会の案内って、だいたい「音」が抜けている。
ポスターには色とりどりの光、川面、浴衣、笑顔。そこに「どーん」は書いてない。書けないけど、あれが主役の一つなのに。
私はそのポスターを駅の掲示板で見て、反射みたいに紗季に送ってしまった。
『今週末、花火いかない?🎆』
送信してから、「あ」と思った。紗季は、花火が苦手だ。去年、雑談の流れで「音が急に来るのが、ちょっと……」と言っていた。言い切らない感じで。言い切らないってことは、本人の中でもまだ扱い方を探しているってことだ。
でも、もう送ってしまった。通知は取り消せない。世界は厳密に続く。
既読がついて、返事が来た。
『花火、好きなんだけど…音がね。ごめん、行きたいけど迷う』
迷う。迷うって言葉が、優しくて、刺さった。断られてないのに、私が勝手に断った気持ちになる。誘ったのは私なのに、紗季に判断の負担を渡してしまっている。
私は返事を書きかけて、消して、また書いた。
『無理しないで!また今度で!』
これは簡単で、正しいっぽい。でも「正しいっぽい」は危ない。配慮のふりをして、ただ遠ざける言葉になる。私は送信ボタンの上で指を止めた。指先が、スマホのガラスに汗で吸い付く。夏の迷いは、べたつく。
結局、私は違う文を送った。
『音が苦手なら、別の方法ないかな。無理なら全然大丈夫』
言い切らない。逃げ道を残す。残しながら、投げない。
当日、私たちは駅で待ち合わせた。夕方の改札前は、人の熱でむわっとしている。屋台の匂いがもう流れてきて、焼きそばのソースと、冷たいきゅうりの青い匂いが混ざる。紗季はTシャツに薄いカーディガン。浴衣じゃない。浴衣じゃないほうが、気持ちが軽い日もある。
「ほんとに来てくれてありがとう」
私が言うと、紗季は笑って、肩をすくめた。
「好きなの、光とか、空気とか。音だけがね」
音だけ。花火は、音も光もセットなのに。セットなのに、分けたい。分けたい人がいる。分けられないと思い込んでいるのは、たぶん私のほうだ。
会場へ向かう人の流れに乗ると、川沿いの道がざわざわしていた。屋台の呼び込み、子どもの笑い、ビニール袋の擦れる音。すでに音は多い。花火の音が来たら、さらに重なる。私は紗季の横顔をちらっと見た。眉がほんの少しだけ寄っている。寄っているけど、無理して笑ってはいない。ここまでの自分の選択が正しいか、私はずっとテストを受けている気がした。
「ねえ、美咲」
紗季がバッグをごそごそして、小さなケースを取り出した。白い、丸い。見覚えがないのに、用途がすぐわかる。
「耳栓。持ってきた」
「耳栓?」
「うん。昨日、薬局で。完全に消えるわけじゃないけど、刺さる感じが減るって」
彼女は言い切らない。減るって。ゼロじゃない。ゼロを求めると、世界から降りるしかなくなる。減らすなら、残れる。
私はその小ささに、少し笑いそうになった。花火大会に耳栓。音楽フェスならわかるけど、花火に耳栓って、なんだか真面目で可愛い。可愛いって言うと軽くなるから、言わない。
「それ、いいね」
「ね。『行かない』か『我慢して行く』の二択じゃなくて、真ん中を作りたくて」
真ん中。そうだ。便利と公共の衝突も、だいたい二択を迫るところから始まる。置き配をするかしないか。通知を見るか見ないか。暑いか寒いか。真ん中は、だいたい自分で作るしかない。
私たちは川沿いの少し後ろのほう、木の影になる場所に座った。前方の最前列は、熱と音が濃そうだった。後ろの方は、視界が少し欠ける。でも欠ける分、呼吸ができる。紗季が耳栓を指でつまんで、そっと耳に入れた。手つきが慎重で、まるで小さな約束をしまうみたいだった。
開始のアナウンスが流れ、人のざわめきが一段上がる。私のスマホが震えた。通知。誰かが「今どこ?」と送ってきたのだろう。でも私は見なかった。今は、目の前の空気を見たい。
一発目が上がった。
どーん。
腹の底に響く音。空気が一瞬だけ押される。光が開いて、すぐ消える。火薬の匂いが、遅れて鼻に来た。焼けた金属みたいな匂い。夏の夜の湿気に混ざって、少し甘い。
私は反射で紗季を見た。彼女は肩を少しだけすくめたけど、顔は崩れなかった。目は空を追っている。追えている。
彼女が小さく言った。
「これなら……いけるかも」
いけるかも。言い切らないけど、ちゃんと前に出る言葉。私は胸の奥がゆるむのを感じた。今度は悔しくない。配慮って、遠ざけることだけじゃない。近づける形を作ることでもある。
花火が続く。大きい音のときは、紗季が耳栓の上からさらに手で耳を覆う。小さい花火のときは、手を下ろして笑う。笑うタイミングが、私と少し違う。私は音が鳴った瞬間に「来た」と思うけど、紗季は光が開いた瞬間に「きれい」と言う。その違いが、面白かった。花火って、同じ場所でも別の楽しみ方ができるんだ。
途中で、私は屋台で買ったラムネの瓶を開けた。ビー玉が落ちる音が、花火の「どーん」と違って軽い。軽さが救いになる。紗季が「その音は好き」と言って、笑った。私は「花火よりラムネ派?」と冗談を言って、二人で小さく笑った。笑いは、音量を上げなくても成立する。
フィナーレの連発が始まると、音が波みたいに押し寄せた。どーん、どーん、どーん。火薬の匂いが濃くなる。空が明るくなりすぎて、夜が消えそうになる。紗季は耳を覆って、それでも空を見ていた。見ていることが、すでに参加だ。完璧に楽しめなくても、そこにいることができる。
終わって、人が動き出す。ざわめきが現実に戻る。私は立ち上がって、スカートの裾についた草を払った。紗季が耳栓を外して、ケースに戻す。外した瞬間、周りの音が急に大きくなるのを見て、彼女が小さく笑った。
「世界、うるさいね」
「うるさい。でも、今日のうるささは、ちょっと平気だった」
紗季の言葉は、勝ち負けじゃない。調整の言葉だ。私はそれが嬉しくて、でも大げさにしないように頷いた。大げさにすると、また二択になるから。
帰り道、川沿いの風が少しだけ涼しかった。人の熱が引いて、代わりに水の匂いが出てくる。火薬の匂いはまだ髪に残っている。残っているのに、嫌じゃない。夏の夜の記憶として、ちょうどいい濃さ。
私のスマホがまた震えた。通知。私はまだ見なかった。見なくても、花火は終わったし、駅は混むし、私たちは歩ける。
配慮は、距離を取るだけじゃない。同じ場所にいるための道具を渡すこともある。耳栓みたいな、小さくて、でも効く道具。
世界は今日も、音を鳴らしながら続く。私はその中で、遠ざける以外のやり方を一つ覚えた。火薬の匂いと一緒に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます