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まだ口の中にはラムネの甘さが残っていた。
右肩にはさっきまで生きていた人間がもたれかかっている。
人間は死ぬと21グラム軽くなるらしいけど、所詮都市伝説ということか。
何度繰り返しても死んだ人間はひどく重たい肉の塊に変わってしまう。軽くなんてならない。
重たい身体にまだ残る体温を右半身に感じながら、電話をかける。
「もしもし、
手身近に事務的なやり取りをして電話を切った。
握られたままの右手はまだ柔らかい。
若干の名残惜しさはあったが、それを蜜柑の皮でも剥くかのように引き剥がす。
たまに考える。このまま冷たくなるまでこの手を離さなかったらどうなるのかなって。
「ごめんね。本当の名前すら教えないような、ひどい嘘吐きで。」
いずれ知らない誰かに食べられてしまう予定の肉塊に話しかける。
動かない、話さない、まだ眠っているかのようにしか見えないそれを長いソファにどさりと横たえ、添い寝でもするかのように身体と背もたれの隙間に潜り込む。
内出血ができると値段が下がるから少し気を付けないといけない。腕枕なんて以ての外だし、体重がどこかに掛かるのもいけない。
さっきに比べると随分冷たくなってしまった。胴体はまだ少し熱が残っている。
業者が引き取りに来るまでの間の、この時間が好きだった。この時間だけ、『これ』は誰のものでもなく自分だけのものだからだ。
頬の傷を撫でる。綺麗だった。
昔読んだ江戸川乱歩の小説で、愛した美しい女優を殺して、土蔵で屍体を愛でる話があった。
腐ってしまったら意味がないのにな。と思った。殺し方も雑だし。何より、心が無い。
人の心を手に入れるには、抱えた痛みの共有が手っ取り早い。
共感や共有、信頼と安心の中で永遠の眠りに落ちていくのは多分幸せなことなのではないかなと思う。死んだことがないから分からないけど。
手を握りながら死んでいった彼らは、大なり小なりの信頼を自分に預けている。
そうでもなければ、初対面の人間と心中の真似事なんかするわけがないのだから。
でもそれは、片方が本当に死ぬという別の意味での真似事なのだけれど。
取引先の馴染みの担当者からは「なんでそんな周りくどいやり方するんですか。もっとサクッとやっちゃえばいいじゃないですか。皆下さんならそれぐらい簡単にできるんじゃないですか。」と言われるが、「心中するのが趣味なんですよ。他人の心と死体を弄びたいんです。」などと正直に答えたらドン引きされて取引契約を解消されるかもしれないので「商品を傷付けないために気を使っているんですよ。それにほら、わたしは暴力とか苦手じゃないですか。血とか出ると後片付けも大変ですし。」と答えておいた。
嘘ではない。物は言いようだ。
催眠術では人は死なない。
それはたとえ藍居ビルシステムの物件であっても。
ましてやこの集合住宅群は実用性乏しく応用もできないことから管理を外されたプロトタイプ。人を殺す力などないのだ。
錠菓に混ぜ込み飲ませる毒物は無味無臭。少量でも致死量になりうるが、後々食用になることを考えてある程度の熱を加えたら分解するものを選んでいるし、自分は中和剤を飲んでいるので死ぬことは無い。
中和剤を飲まなかったら、という考えが頭をよぎることも何度かあったが、いずれ疲れたらそういうこともあるかもしれない。
無用の長物。
大きいばかりで役に立たない集合住宅群の管理を任されたのは、同じく役たたずの烙印を押された自分だった。
化け物アパートにぶち込まれ、命からがら逃げ出したあと、髪の毛の脱色といった身体的な異常のほか、認識や感覚の一部が正常に働かなくなる変化が表れた。
具体的には催眠術の類や環境が及ぼす錯覚による精神への影響が極端に低くなった。
あのアパートのコンセプトが『人間の恐怖心を最大限に引き出す』だったことを考えれば(それはあとから聞かされた)、何らかの感覚を破壊されたとしてもおかしくはない。
藍居ビルシステムの正社員としては採用されなかったが(こちらから願い下げだ)、その特性を買われて、或いは情報の秘匿のために、この放棄された集合住宅群の管理を任された。
とはいえそれは単に名目に過ぎず、実際のところ、自分が藍居ビルシステムの管理下に置かれたに過ぎない。
「近隣に工場を誘致しています。表向きにはここは社宅になりますが、奥の号棟に行くに従いフィールドの『特性』が出てしまいますから、皆下さんにはそのエリアの管理を担当していただきます。また、副業として提携している食品関連の子会社での仕事もいくつか紹介します。少々特殊なものを取り扱っていますが、皆下さんであれば、問題なく業務にあたれるとおもいます。」
やたら愛想のいい、いけすかない上長にそう言われ、物件管理と並行して、『ある種の好事家向け』に人間の死体を手配、斡旋する仕事を始めた。
端的に言うと人殺しである。
藍居ビルシステムは本当にろくでもない最悪な組織だ。
人肉を取り扱うような『特殊な食品会社』では、悪夢を記録し加工販売する部門も実在しているようだったが、自分には他人の夢に入る適正がなかった。
そもそも夢なんて、何年も見ていない。
荒唐無稽な本当と嘘を吐きながら、自分と似たような人間を探して、繰り返し心中の真似事をし続ける生活はとてもまともではなかったが、ほんの一瞬、それが偽物だったとしても、信頼を胸に誰かと眠るそれは少しだけ幸せだったのだ。
熱を失う身体の境界が段々と曖昧になり、微睡みの中に沈んでいく。
「おやすみ。」
誰に言うわけでもなく小さく呟いて目を閉じた。
E-Q 望乃奏汰 @emit_efil226
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