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「悪夢を見せるって、そんなの、どうやって。」

そもそも自分が悪夢を見ているという自覚がないうえに、他者と見ている夢を共有するということが僕には全く想像がつかなかった。

果たしてそんなことが本当に可能なのか。


冬真は相変わらず僕の頬の傷を撫でている。

「どうとかっていうのは、口で説明したって入瑞はその調子ならきっと理解できないと思う。どういう仕組みかなんて俺だって分からないよ。入瑞はさ、飛行機がどうして飛ぶのか実はよく分かっていないみたいな話は聞いたことがあるかな? それでも飛行機は空を飛ぶ。別に飛行機じゃなくても、例えば電気について、送電線を通ってきた電気によって電球が明るくなるみたいなのは仕組みがわかっても理屈はよく分からないだろ。同質性の高い人間同士は夢の中に入れる。でもその仕組みは分からない。そういうふうになっているとしか言いようがない。多分、テレパシーとか、あとは双子間で起こるシンクロニシティ、そういうまだ明らかになっていない他者間での意識の共有の領域が明らかになればもっと実用的な『科学』や『技術』になるんだろうけどね。」


そもそも、まだよく分かっていないものを使って、他者の無意識であるところの夢に干渉する、それは危険なことなんじゃないのか?


「その、例えば、夢に入られた人間は、精神に異常をきたしたり、廃人になったりとか、そういうことはなかったのか? 他者の精神? 思考? 無意識? なんかよくわかんねぇけど、そういうものに干渉するっていうのは、ヤバいことなんじゃないのか?」

冬真の指が止まり、視線が上の方を少しだけ彷徨ったあと、何か考えた様子で口を開く。

「でもさ、こうして会話をするのだって、広義でいえば他者の精神や思考に干渉してるのと変わらないんだよ。起きていようが寝ていようがそこに違いはないんじゃないかな。ましてや、この催眠団地でトラウマを刺激されて精神が不安定になってる入瑞は、既に精神干渉を受けている。俺に言わせりゃ夢に入るよりも藍居ビルシステムの呪物物件のほうがよっぽどヤバいよ。あれは精神干渉による支配と管理に特化した『システム』だから。まぁ、仕組みは置いといて、他人の夢の中に入るのは接触が多ければ多いほどいい。さっきまで手を握っていたのも、頬に触っているのも、実際スキンシップは同質化を高めるのには効果的だからね。俺は紳士だからそれ以上は同意がないとやらないよ。」

無許可でベタベタと身体に触ってくる人間のことを紳士とは呼ばないと思うが。

「ちなみに、全く接触しないで夢に潜れる奴も本社にはいるらしい。会ったことのない人間の夢に干渉できるとかなんとか。もともとそういうのをやってる家系だとかなんとか。まぁ、やっぱり俺もよく知らないんだけど。」


冬真の話をぼんやりと聞き流しながら、僕は住棟入口で暗闇に手が溶けてしまったような感覚を思い出していた。

同質化。

あれは闇に手が溶けていたのではなく、冬真に握られていた手がそのまま混ざりあってしまっていたのだろうか。


「入瑞、ぼーっとしちゃって。俺の話全然聞いてないでしょ。ま、こんな話は聞いても聞かなくてもどうでもいい話だから別にいいんだけど。」

確かにどうでもいい話だった。

こいつの仕事も職場も僕には直接関係ないのだから。

「ベラベラ喋ってごめんね。俺、喋ってないと落ち着かないんだよね。1つ訊かれると10喋っちゃう。他人との距離感がよく分かんなくて。」

「それもどうでもいい。」

「だよね。」


冬真の話の内容に関わらず、この世の全てが基本的に僕にとってはどうでもよかった。

どうでもいいから、どうでもいいと流されてきたから、今こんな、知らない男の部屋のソファでわけのわからない話を聞かされ、頬を触られ、夢に入られそうになっている。

間違えたのだから、正しい方には戻りようもないのだろう。


「他人の夢に入るには幾つか方法があるみたいなんだけど、俺の場合はこれを使う。」

そう言うと冬真は、着ていた上着の左胸のポケットから何かを取り出した。

それは青みがかった緑色の、駄菓子屋にあるような、何の変哲もない粒ラムネのボトルだった。中身も一見したところ、粒ラムネが入っているように見えた。

「・・・・・・眠剤か。」

「粒ラムネのボトル見てそう思うのは疑心暗鬼すぎるだろ。普通にラムネだよ。まぁここでは実質眠剤みたいなもんだけどさ。」

眠剤じゃねぇか。


「睡眠薬の成分はひとつも入ってないよ。一般的なラムネと同じぶどう糖。ただ、これをおいしく食べるわけじゃない。そういえば、入瑞、ラムネのぶどう糖はアルコールを分解するから二日酔いによく効くという話は知ってる?」

「話を逸らすな。」

「ははは。ごめんごめん。これは入瑞のスイッチとか、俺の空の水鉄砲のような役割を果たす。擬似的な死をもたらす道具立てだよ。これを呑んで死体の真似事をしてもらう。偽薬、プラシーボのほうが聞いた事あるかな? 実際そんな効果が無くてもその薬が効いたような反応が出るやつ。思い込みの効果がこの催眠団地では増幅される。僕は仕事のために入瑞をここまで連れてきた。都合がいいから。もうラムネってバラしちゃっててもここはさ、常軌を逸した藍居ビルシステムの手掛けた異常建築物だから、そう定義すればこれは『致死量の毒物』になる。」

「そのまま死んだりしないよな。」

「まさか。偽薬だよ。」


冬真がボトルを軽く振り、じゃらじゃらと乾いた音が部屋に響く。

全然信用出来なかった。

ないものをあることにする空間には果たして『どこまで』適用されるのか。


「それが本物の毒物でないという証拠は?」

「夢に入るには僕もこれを一緒に呑まなきゃならない。言うなれば俺と入瑞は擬似心中をするってこと。同じものを呑むんだから、信用してもらえる?」

「そもそも、僕が悪夢を見ているとして、それを提供することで僕に何の利点があるんだ。死んでまで得られる何かが。」


死んでまで。

死の疑似体験。

むしろ、それそのものが利点なのではないか。

『あるべき形』に戻す行為。


僕は、初めから心のどこかでそれを望んで、こんな所まできたのではないか。


僕がそんなことに頭を巡らせていると、冬真

が口を開く。

「夢の買取は内容にもよるけど、相当高額な報酬が支払われると思っていい。ちょっといい最新家電が買えるぐらいの額かな。」


最早金なんてどうでもよかった。


「わかった。やる。」


僕がそう言うと、冬真は少しだけ意外だというような顔をした。


「じゃ、これ。一つ取って。もう一つは俺のね。」

冬真は左の掌にボトルからラムネを2つ出した。

僕はそのうちの一つを摘んだ。

何の変哲もない白い錠菓。偽物の毒薬。

天井から電球だけがぶら下がる薄暗い部屋の中、それ自体がぼんやりと発光しているかのようだった。


「入瑞は嫌じゃない? 俺と死ぬのは。」

冬真は掌に一つだけ残ったラムネを指先で転がしながら訊いた。

「誰と、は問題じゃない。ここに来たのと同じだ。僕はただ、終わった場所を見てみたいだけ。」

「本当に?」

「何を今更。」


一度死んでしまえば、また新しく生まれ変われるのではないかと、僕はまだそんなことを考えてしまう。

冬真はこちらを見ながら、はにかんだように笑った。今までのどこか投げやりで嘘くさい笑顔とは少しだけ違う、初めて見るような顔だった。


「偽物でもさ、一緒に死んでくれる相手がいるっていうのはうれしいものだよね。俺あんまりこの仕事好きじゃないんだけど、ここだけ好きだな。心が温かくなるよね。」

「悪趣味すぎるな。」


冬真の右手が僕の左手を握った。

それは柔らかく体温のある人間の手だった。


「そろそろ行こっか。」

冬真は、まるで一緒に散歩にでも出かけるみたいにそう言うと、ラムネを口に含んでそのままソファの背もたれに頭を預けて目を閉じた。


僕もそれに倣い、ラムネを口に入れる。

甘い味がした。どこか懐かしいような。

ラムネなんて、全然食べたことがないのに。

舌の上でそれを転がしていると、緞帳が降りてくるかのように急激な眠気が頭の中を満たしていく。


睡眠薬を呑んだことはないが、こんな感じなのだろうか。これはただのラムネ菓子だというのに。


頭の重さに耐えきれず身体が大きく傾き、冬真の肩にもたれかかってしまう。

身体はもう動かない。


薄れゆく意識の中、遠くで「おやすみ」という声が聞こえた気がした。

誰の声だったのかはもう―――――

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