黒き破滅のリベリオン
神宅真言(カミヤ マコト)
一章:穢れを喰らうは汚穢の主
01-01
*
深夜の凍てついた闇をヘッドライトの閃光が裂く。巨獣の咆哮めいた重低音を轟かせ、バイクが光の軌跡を残しながら走り抜けてゆく。
街の中心部から外れた道は随分と静かで、午前一時という時間も相まってか、他の車両の姿は皆無だった。街頭すらも少ない中、酷く巨大に見える月だけが蒼白く輝いている。黒と銀で構成された重厚なバイクが、青年と少女を乗せて月影の下を疾駆する。
やがてバイクは速度を緩め、道を逸れてとある建物の敷地内へと進入した。幾つかの近現代的な建物を横目に進むと駐車場を抜けた先、少し離れた裏手に比較的小さな建築物が現れた。どうやら此処が目的の場所のようだ。
バイクのエンジンが停止すると、周囲には静寂が訪れる。月に照らされたアスファルトの上に二人の人影が降り立った。
運転していた青年が濃い鈍銀のヘルメットを脱ぐ。黒革のライダースジャケットを着込んだその背はすらりと高く、そして現れた横顔には鋭い精悍さと同時に端麗さが滲んでいた。肩程まで伸びた漆黒の髪から覗く肌は、月光に照らされてもなお濃く深く沈んでいる。
青年──眞柴空覇(マシバ・カラハ)は無造作にメットをハンドルに掛けた。ふうと短く息をつき、切れ長の眼を助手である少女へと流す。視線の先では、慣れない手付きでベルトの留め金を外した少女がようやくヘルメットを脱ぎ、はあと大きく息を零した所であった。
空覇は片方の口角だけで笑うと、革のグローブを外した手を差し出す。
「おい助手、ヘルメットこっちに寄越せ。──大丈夫か? 始める前からそんなんじゃ身が保たねェぞ」
「あ、えっと……も、問題無いです所長! あの、バイクとか乗るの初めてだったもので、その……」
言いながら被っていたメットを渡す少女、ドーラ・チャン・ドールはおどおどと視線を彷徨わせた。
銀で縁取られた黒いダブルのコートジャケットの背に、長く艶やかな銀髪がふわり風に靡く。黒目がちの大きな銀の瞳は月光を受けて煌めき、白磁めいた滑らかな頬は闇の中でなお蒼白い。年の頃は十八の筈だが華奢な身体のラインは酷く儚げで、自信無さげな挙動も相まってドーラを実年齢よりも幼く見せていた。
ドーラが空覇の『眞柴特殊探偵事務所』に出向という形で務め始めてから、まだ数日と経っていない。書類の仕分けにはもう慣れたが、外での『実務』はこれが初めてだ。ドーラの身体には無駄な力が籠もり動きがぎくしゃくとしている。その綺麗に整った顔立ちに無理矢理浮かべた笑顔も強張っており、引き結ばれた唇は少し震えていた。
「今回はそこまで難しい案件じゃねェからさ。緊張するのも無理は無ェが、ま、もっと力抜けって」
「は、はい、所長。私、その……精一杯、頑張ります」
ますます表情を堅くするドーラに苦笑し、空覇はおもむろにドーラの背をバシンと叩いた。けふん、と軽く噎せ込むと、ドーラは痛みに抗議するように涙目で空覇を見上げる。ニッと笑い大きな手でポンポンとドーラの頭を撫でると、行くぞ、と空覇は建物に向かって歩き始める。
「ホラ早く来いよ助手、とろとろしてると追いてくぞ」
「あ、ちょ、待って下さいよ所長!」
小走りで空覇の背を追うドーラの表情からはぎこちなさが取れ、その身体からはもう随分と緊張が抜け始めているのだった。
*
「……こりゃ、いかにもだな」
二人揃って目の前の建物を眺める。とある私立中高一貫校の敷地内、現在使われている校舎群からはぽつんと離れて建つ木造の建築物。
怪談などで度々舞台に選ばれる、旧校舎、という奴だ。
何より此処は相当の年代物で、この学校が中高一貫校となる前身の洋裁学校の時代からの由緒正しき建物らしい。かつては良家の子女が通っていたというだけあってその造りは瀟洒だ。二階建ての屋根は優美に尖り、かつては純白だったであろう壁には出窓が多く配されている。学校というよりは大きな洋館、華族のお屋敷といった風貌だ。
「じゃあ、ま、行くか。──打ち合わせ通りに頼まァな、ドーラ」
「はいっ、頑張ります」
「まあ気負うなって。大丈夫だ、俺の言った通りにやりゃアいい」
依頼主から事前に預かった古風な鍵でアンティークな錠前を開ける。ガチリと大きな音を上げてロックが外れたのを確認し、いよいよ二人はその古めかしい洋風の廃墟の扉を押し開いたのだった。
──建物内は想像以上に綺麗なままで、それが却って不気味さを際立たせた。月光も廊下までは届かず、黒を塗り込めたような夜が空間を満たしている。二人は充電式のランタンを掲げ、事前に読み込んだ資料にあった見取り図を思い出しながらゆっくりと歩く。
目指す場所は二階の最奥だ。床を踏み締める度に上がる軋みに、ドーラは唇を引き結び息を潜めた。幸い何者に邪魔される事も無く、目的の部屋は呆気なく姿を現す。
二人は揃ってその扉の前に立つ。互いに顔を見合わせると、空覇は充電式のランタンをドーラに手渡し、軽いジェスチャーで作戦の開始を促した。
ここからは助手であるドーラの働きが鍵となる。──ドーラは覚悟を決めた顔で小さく頷くと、傍にある古びた扉に向き直った。一方、空覇は一瞬だけ躊躇めいた感情を滲ませたが直ぐにドーラから視線を逸らし、足音と気配を殺して素早く闇に溶け込んでゆく。
優美な曲線を描くドアノブが、ランタンに照らされて仄かに光っている。意を決し、ドーラは真鍮のドアノブに手を掛けた。
──カチャリ。
静寂の中、解錠の音が合図のように響き渡った。
空覇の気配が完全に消えた事を確認し、ドーラは握ったままのドアノブに意識を集中する。ランタンを掲げる手に力を籠める。噛み締めた唇が、少し震えた。ドーラは覚悟を決め、ゆっくりと深呼吸を一つ。
気を引き締め慎重に扉を押し開く。少し錆び付いた蝶番は、キイ、と予想していたよりも随分と小さな音を零した。
ドーラがその中に一歩踏み込む。掲げたランタンに照らされた部屋は思ったよりも広い。床と壁は光沢のあるタイル張りで、ここも他の場所と同様に荒れた様子は無い。
周囲を見渡すと、左側は一面が薄水色の壁となっている。手前右側には手洗いが二つと掃除道具入れらしき小さなロッカー。手洗いの上部に設置された鏡は曇り、鈍く光を反射させている。
ドーラはランタンを持った腕を伸ばし更に遠くを照らした。奥に向かって二つ、開けっ放しの個室が並んでいる。突き当たりには広めの窓が、そして最奥には他の個室より大きめの閉ざされた扉が明かりにぼんやりと浮かび上がった。
──そう、ここは見渡す限り何の変哲も無い、女子トイレだった。
ドーラは入り口の扉を開けたまま、ゆっくりと歩みを進める。一歩、また一歩。念の為に覗いた二つの和式の個室は、綺麗とは言い難いが特に問題がある訳でも無い。
そして、とうとう一番奥の、閉ざされた扉の前でドーラは立ち止まった。ちらと窓を確認するが、鍵は施錠されたままだ。意識を集中させても何の気配も感じ取れない。
──ここまでは順調だ。しかしその事実こそがまるで嵐の前触れを予兆するかのようで、むしろドーラの胸の奥をざわつかせた。
ゆっくりと深呼吸をして緊張を抑え込み、ドーラは扉に近付いた。右手を握り込むと、コン、コン、コン、と慎重にノックを三回。次いで資料にあった『呪文』を、一言一句確かめるように大きな声で言い放った。
「花子さん、花子さん。いらっしゃいますか。いたら出てきて下さい、一緒に遊びましょう」
一気に言い終え、ゴクリ生唾を飲み込む。台詞の残響だけが僅かにこだまし、そしてざらりとした沈黙が辺りを支配した。──成功、するだろうか。ドーラは一歩身を引いて、ランタンの光に淡く浮かぶ扉をじっと見詰める。
──ぞわり。
声を上げるより先に全身が凍る。突如広がったおぞましい何らかの気配に、ドーラの背中が、うなじが、冷たい物に撫で上げられたかのようにぞくりと逆立つ。
個室の中に出現した何か、それがゆっくりと音も無く、扉を押し開いた。ランタンの光は届いている筈なのに、洋式便器がある個室の中は光を拒絶するように暗黒に沈んでいる。
そしてその闇の隙間から、這い出るとも浮き出るとも言い難い動きで、じわりと一人の少女の顔が現れた。
ドーラはその顔を凝視する。驚きに息が詰まる。違和感が、警鐘を鳴らす。違う、この顔は──。
「……あそ、ビ、まシょ、う?」
少女は闇からズズとその身を滲ませながら、ニタリ嬉しそうに、心底嬉しそうに笑う。しかし発された言葉は音程も抑揚も酷くちぐはぐで、その眼は何者も、ランタンの光も目の前のドーラの姿すらも捉えてはいなかった。
*
黒き破滅のリベリオン 神宅真言(カミヤ マコト) @rebellion-diadem
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