もっと強くなる日

那須茄子

もっと強くなる日

 小さな町の片隅に、タケルという内気な男の子が暮らしていました。背は同年代より少し低く、肩はいつもどこか丸まっている。人と話すときは視線をそらしがちで、声も小さく、教室の隅で本を読む時間が何より落ち着く、そんな子でした。

 家は古い木造の二階建てで、朝の光が差し込む縁側には季節ごとの鉢植えが並んでいます。タケルは縁側で母の淹れたお茶を飲みながら、外で遊ぶ子どもたちの声を遠くに聞くのが日課でした。声は届くけれど、自分はその輪に入れない。そんな距離感が、いつの間にか彼の居場所になっていました。


 隣に住むアヤは、タケルとは対照的に明るく社交的な少女でした。笑顔が自然にこぼれ、誰にでも分け隔てなく接するため町の人たちから「アヤちゃん」と親しまれ愛されていました。


 幼い頃から二人は顔見知りでした。アヤはタケルのことをよく見ていて、彼が人前で緊張すること、言葉を選ぶのに時間がかかること、そして本当は誰かと一緒にいると安心することを、さりげなく理解していました。




 春のある午後、いつもの小さな公園の砂場でタケルは黙々と砂のお城を作っていました。指先で形を整えると、時間がゆっくり流れていく。そんなとき、決まってアヤがやって来ます。ランドセルを背負ったまま軽やかに腰を下ろし、にっこりと笑って尋ねます。


「タケル君、何してるの?」 


 タケルは顔を少し赤らめながら、小さな声で答えました。


「一人で遊んでるんだ」 


「じゃあ、一緒に遊ぼう!」とアヤが言うと、タケルは待っていたかのように深く頷きます。二人で作る時間は、言葉よりも手の動きが多くを語る時間でした。タケルは細かな壁や階段、堀を丁寧に作り、アヤは葉っぱや小石、折り紙で小さな旗を飾ります。黙々と作業を続けるうちに、砂のお城はみるみる立派になっていきました。 

 夕暮れの光が砂を金色に染めると、二人は満足そうに顔を見合わせて笑いました。


 しかし、ふとした瞬間に事件は起きます。砂場から出ようとしたタケルは、足を敷居に引っかけてつまずき、そのまま転んでしまいました。アヤも手を繋いでいたため、二人は一緒に倒れ込みます。

 砂が飛び散り、タケルの膝には小さな擦り傷ができました。アヤは痛そうに顔をしかめましたが、すぐに立ち上がり、タケルを助け起こしました。彼女の目には小さな涙が光っていましたが、声を荒げることはなく、落ち着いた手つきでタケルの傷を拭き、優しく頭を撫でました。


 そのとき、タケルの胸の中に複雑な感情が湧き上がりました。恥ずかしさ、申し訳なさ、そして自分の弱さに対する悔しさ。誰かに頼ることは温かいけれど、同時に自分の足で立てないことへのもどかしさもあったのです。彼は心の奥で小さく誓いました。

「もっと強くなりたい」。それは単なる体力の話ではなく、自分の言葉で自分を伝えられるようになりたい、困ったときに自分で考えて行動できるようになりたいという願いでした。


 翌朝、タケルはいつもより早く目を覚ましました。胸に芽生えた決意が、彼を動かしていました。学校へ行く道すがら、何度も深呼吸をして自分に言い聞かせます。『今日は違う。今日は自分でやってみるんだ』と。


 公園に着くと、アヤはいつものように笑顔で迎えてくれました。タケルは緊張しながらも、はっきりとした声で言いました。


「アヤ、今日は手を繋がないで」


 その言葉は短かったけれど、彼にとっては大きな一歩でした。


 アヤは一瞬驚いた表情を見せましたが、すぐに柔らかな笑顔になりました。「そうなんだね」とだけ言って、タケルの隣を歩き始めます。これまで誰かの後ろに隠れるように歩いていた自分を思い出しながら、タケルはゆっくりと、確かな足取りで前に進みました。アヤの笑顔が、背中を押してくれるように感じたからです。



 学校では、タケルは授業中に手を挙げることを試みました。正解を答えるのはまだ難しかったけれど、手を挙げるという行為自体が彼にとっては勇気でした。クラスメイトの中には驚く者もいましたが、アヤは誇らしげにタケルを見つめていました。その視線は励ましであり、タケルへの応援でもありました。

 放課後には図書館に一人で寄るようになり、司書さんに本のことを尋ねることもできるようになりました。失敗する日もありました。言葉が詰まってしまったり、うまく伝えられずに落ち込むこともありました。そのたびにタケルは立ち上がり、次にどうすればいいかを考えました。


 日々の挑戦が積み重なって、タケルの世界はじょじょに広がっていきます。

 アヤはいつもそばにいて、必要なときだけ手を差し伸べ、過度に助けることはしません。彼女はタケルが自分で考え、行動することを尊重していたのです。


 二人で歩く影が伸びる帰り道、アヤがふと呟きました。


 「大きくなったね、タケル君」


 その言葉はそっと染みこんでいくように、タケルの胸に特別な意味を持って響きました。

 目を伏せたあと、タケルはゆっくりと顔を上げ、力強い声でそれに答えます。


「うん。アヤ、僕、いつかもっと強くなるよ」


 それはきっと、遠い未来の日。


 背は伸び、肩は自然と張り、声には以前よりも落ち着きが宿っているタケルがいることでしょう。例えば砂場のそばで泣いている子を見つけたタケルは、ためらわずに近づいてそっと声をかけます。

「大丈夫?」と差し出すその一言は、かつて自分が欲しかった言葉であり、同時に自分が出せるようになった証――貰い贈り届けられたプレゼントなのです。

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